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私たちは常に進み続ける。ウイング社長・樋山証一の創業記

私たちウイングは1991年5月の設立から、今年で30年目を迎えます。

今回は、創業者・代表取締役である樋山社長にインタビュー。ご自身の生い立ちから、ウイングの創業まで、まさに波乱万丈の半生を語って頂きました。

零細金属加工工場の4人兄弟の長男。高校3年生の夏に父親から後を継ぐなと言われた。

(高校時代の樋山社長。特別に写真をお借りしました。)

――樋山社長の生い立ちについて教えて下さい。

今は世界からも「ものづくりのまち」として知られる新潟県の燕市で、家族で小さな金属加工工場を営む家の長男として1957年に生まれました。
親父が創業した会社です。家族と、雇った2~3人とで金属のプレス加工をする小さな町工場でした。
子どもの頃は休みの日になると工場を手伝っていたのを覚えています。

――ものづくりのお手伝いは楽しかったですか?

ぜんぜん楽しくないよ!単純作業の辛いこと。
例えば加工した製品を箱に詰め込む作業は、「1時間くらいは仕事をしたかな?」と思ってパッと時計をみても5分しか経っていない。
いつまで経っても終わらない地獄みたいな気分でした。

――でも、昔は家業を継ぐ気持ちでいたんですよね?

当時は、それが当たり前だと思っていました。
プレス加工の機械は非常に危ないもので、両親ともに指を切断しています。
それで、製造機械の勉強をして安全性の高いプレス加工機械の開発に関わって、いずれ家業を継ごうと、大学は工学部に行くつもりでした。

本格的に受験勉強をしようと思った高校3年生の夏休みに親父から「後を継ぐな、自分の道を歩け」と言われたんです。
一番勉強を頑張らなきゃいけないタイミングで、いきなり考えていた道を閉ざされて…。勉強に手が付かなくなりました。

 それで、親父から「新潟で初めてコンピュータの専門学校(当時は電子計算機専門学校)ができたから、そこに行ったらどうか」とすすめられて、この道に入りました。

ヘッドハンティングか?起業か?で、起業を選択。


――親に言われて踏み込んだシステム開発の業界はいかがでしたか?

専門学校を卒業して、まずは東京のソフトウェア会社で働きました。
実際にシステム開発の仕事をしてみて、自分に合っているなぁと実感しました。
特に、「こういうシステムが欲しいんだけど」というニーズに対して、どうすれば応えられるか考えることにやりがいを感じました。

うちは下請けの会社だったのですが、大手のシステム会社が「できない」と手放した案件を、「こうすればできるぞ!」とみんなで試行錯誤するのは楽しかったです。

――新潟にはどのタイミングで戻ってきたのですか?

新潟で大手ソフトウェア企業の地方SE会社が立ち上がるという話があり、東京の会社から派遣という形で業務をしていました。

4年ほど働くと、その会社の経営陣から「うちの会社に入らないか?それか、起業してうちと取引をしないか?」と声をかけてもらったんです。

それなら起業しようと、27歳の時に最初の会社を創業しました。

(当時の樋山社長です。)

――声をかけてくれた会社は大手ですよね?起業することに迷いや不安はなかったのでしょうか。

私の生まれた燕市は「日本一社長が多い町」なんて言われるくらい社長ばかり。
うちの隣の家も社長、そのまた隣も社長で、みんな社長みたいなものでした。
「男が一人前になったら社長になる」というのは当然だと思っていました。

また、性格としても「決められたところにみんなで飛行機に乗るよりも、一人で風を見ながら自転車の旅がしたい」というタイプなので、自分のやりたいことを自分のペースでやる方が性に合っていると思いました。

はじめての経営で大きな失敗。創業した会社を去ることに。

――会社経営に挑戦してみて、上手くいきましたか?

創業当時は、私が営業からシステム開発、経営管理や財務、人事まで、全部自分一人でやっていたんです。仕事は多かった時代なので、6年間で社員20数名の規模になりました。

会社が大きくなるにつれ、これ以上は一人でできないなと思っていたのですが、経営に参画して一緒にがんばろうとしてくれる人がいなかった。
それで初めて「経営について勉強しなければいけない」と思い、有名な経営者の本を読み漁りました。

――全部自分でやることに限界が来て、経営を学びはじめたんですね。

そうです。パナソニックの松下幸之助や、京セラの稲盛和夫などいろいろな経営者の本を読む中で、アシックスの創業者の鬼塚喜八郎さんの話がすごく身にしみて。

鬼塚さんは自分がワンマン経営だと思っていたそうで、それに気づいて自分の持ち株の7割を全社員に分け与えたというエピソードがありました。

私も権限を分け与えれば、責任感を持って一緒に頑張ってくれるだろうと思って、自分の持ち株が過半数以下になるようにして、幹部に株を渡しました。

――自社株を分配、しかも持ち株を過半数以下にするとはすごい決断ですね。効果はありましたか?

実は、それがきっかけで想定外のことが起き、私が会社を出ないといけない状況に追い込まれてしまったんです。

今思えば、ビジョンや夢に共感して「一緒にがんばろう!」という気持ちが大切だったのに、株や権限といった形式ばかりを先に進めてしまったことが間違いだったと気づきました。


ウイング創業!4人の若者に請われて再起を決断!

――その事件から数ヶ月後に、ウイングを創業されます。すごいスピードだと思いますが。

創業した会社を離れる事になって、本当にショックでした。

当時33歳で、会社を去ることが1月に決まって、それからは人間不信になり、感受性がすごく強くなっていました。
だから、しばらく休んで、この先の人生をどうしようか考えようと思っていたんです。

そんな時に、前の会社にいた4人の若者が「社長やめるんだって?俺たちは社長と一緒に仕事がしたい」と家を訪ねてきた。

ただ、私はお金もなかったし、前の会社の取引先を奪うわけにもいかないので仕事のアテもない。
その時は「給料も払えないから、今の会社でがんばれ」と追い返しました。

――同じ気持ちで働きたい人が前の会社にもいたのは嬉しいですね。

その4人がまた来て「やっぱりどうしても社長と一緒にやりたい。もう辞表を出してきた」と言うんです。
「えっ。俺、何もできないぞ」って言うんだけど「お金はいらない。社長と一緒に仕事がしたい」って。

その中には、新婚が2人いたんです。
だったら早くお金を稼げるようにならねばと、慌ててつくった会社がウイングです。

理念も、ビジョンも、準備も何もしていなかった。
でも、「ウイング」という社名だけは、その4人とどんな会社にしていきたいかを一生懸命考えて作ったものです。

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――仕事も、お金もないけれど、「頼られたからやってやろう」という樋山社長の懐の深さを感じます!

彼らには、「俺がせっかくゆっくり、これからの人生のことを考えようと思っていたのに。お前たちが来たからまたこんなことになったんだ」と、若い頃は冗談で言っていました。

でも、やっぱり自分のところに来てくれたのは感謝しています。
ただ、食わせなければいけないのはすぐに4人だけじゃなくなった。

――えっ?どういうことですか。

実は東京へ営業に出かけていった途中で「前の会社のスタッフ20数名が解雇された」と電話があって。

話を聞くと、経営陣が変わってから仕事も減ったようでした。
すぐ新潟に帰って、みんなを集めて「自分で職を探せる人は探してくれ、自分で探せない人は俺のところにきなさい」と。

それでいきなり10数名のスタッフを抱えることになりました。

――いきなり大所帯に!?ご自身の見通しも立たない中で、なんで「面倒見よう」と思えたんですか?

何でって…。そういうきっかけを作ったのは俺だし。

それから30年。ウイングで育まれてきた精神とは。

――創業期はかなり大変だったのではないでしょうか?

仕事が無い時、社員の中で魚沼の農家の子がいたので、「米を仕入れて売るか?」なんてことも考えるくらいでした(笑)。
ただ、大変なときはみんなで力をあわせてやるしかないですから。
まずは食べるために「まわりの2倍働こうよ!」と声かけながら、単価が安い仕事しかなかったけれどガムシャラにやりました。

それから、「どうしたらお客様に選んでもらえる会社になれるのか?」「他のシステム会社がやっていないことはどんなことか?」みんなで考えながら常に「変化」し続け、今までやってきました。

――ウイングで一緒に働く人たちの気持ちをひとつにするために、工夫したことはありますか。

最初の会社を去る時に、精神的に不安定にもなっていて何のために生きるのだろう?何のために働くのだろう?ということを毎日考えていました。
そんな時に家族からの支えのありがたさを痛感しました。

例え、優秀なエンジニア1,000人に囲まれても、妻一人には敵わないだろう。
私は愛する人・家族のために働いていると気づいた。
社員のみんなもきっとそうだと思い、社員とその家族が幸せになれるように一緒に頑張ろうと声をかけるようになりました。

社員や社員の配偶者、お子さんの誕生日に手紙を書くのは、その想いを皆さんに伝えたいからです。

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――また、一人ひとりの力を発揮できるようにしようと常々言われています。

人は比較すると、できる人・できない人というのが気になりますが、一人ひとりを見れば個性もあり、魅力があります。
相対的な評価でなく、その人が成長できるかどうかをちゃんと見ようと思いました。

一人ひとりが「やりたい」「よし、やろう」と、自分で考えて動けているときは、その人の生産性や成長2倍にも3倍にもなると思います。
だからこそ、自分で考えたことをチャレンジでき、それを評価できるような組織にしようとしています。

――ウイングの文化づくりは創業時からずっと積み重ねてきた結果なのですね。

経営も組織づくりも紆余曲折ありました。
業績が良かった時代に、社員が一気に2倍になったこともありました。

優秀な人はたくさん来てくれたのですが、やはり価値観が違うとなかなかうまく行かない。
経営が傾いたときには、そういう人からすぐ居なくなってしまうんです。
いきなり規模拡大しても文化の共有は難しいと学びました。

ウイングは今、若い管理職が出てきたのですが、彼らが部下の自発性をどう発揮させるかに悩んでいる時期です。
組織は数字を追ったり、管理するほうが楽なんです。
けれど、本当に生産性を高めて競争力を持つには、社員一人ひとりが自分で考えて動くことで仕事を楽しめなければいけません。
そのやり方についても、若い管理職や社員たちと一緒になって工夫を続けています。

樋山社長、ありがとうございました。

今のスタッフも知らないお話を聞くことができました。
樋山社長とウイングは、その名の通り、考え続け、変わり続けてきた30年だったということが実感できました。

そして、これからも私たちは変化し続けていきます!

今回の記事を通して、樋山社長の人柄や、ウイング創業の背景を知ることで、ウイングの雰囲気が少しでも伝わってほしいと思います。

ウイングに興味を持った方は、ぜひ「話を聞いてみたい」ボタンからご連絡ください。

社員一同、お待ちしています!

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