自分の基礎をつくった「自由と責任」の家庭環境
「ひとことで言うと、『自由と責任』を重んじる家庭で育ちました。」
笑顔でそう語るのは、筑波大学 生命環境学群 4年生の金子拓未。おもむろに、小さい頃のお小遣いについて語り始めた。
「月ごとに決まった額を渡されていた方が多いと思いますが、私が育った家庭は少し特殊でした。毎年1月1日に1年分のお小遣いを渡されて、自分で使い方を考えなさいと言われるんです。1月に使い果たしてもいいし、自分で計算をして『毎月これぐらい使えるな』と目安を決めて使ってもいい。大きく範囲を提示するから、その中で自由にやりなさいという教育方針でした。小学1年生の頃からこの制度が始まり、そのおかげで早期から自分の頭で考える癖がつきました。」
「特殊」なお小遣い制度が今の自分に大きな影響を与えていると語る金子。小学校1年生の頃には人生で最初の決断をしたという。
「体操クラブに入りました。当時、オリンピックで活躍する内村航平選手を見て、体操って面白そうだなと思ったのがきっかけです。それと、人が棒を中心にグルグルまわったり跳んだりすることが不思議でなりませんでした。でも同時に、自分の身体にもそのような可能性があるんだろうなとも思っていて、体操を始めることにしました。」
精力的にクラブ活動に参加していた金子。小学校生活も順調そのものだった。
「自分で言うのも恥ずかしいですが、毎年選抜リレーに出るほど足が速く、テストも100点以外とったことがなかったんです。児童会長もやっていて、全てにおいて完璧でした。その分、プライドも高かったですね。」
演劇が私の人生を180度変えた
小学校を卒業した後、金子は中高一貫校に進学した。中学生活も順調に進むだろうと思っていた矢先、金子の人生に最初の衝撃が走った。
「最初の中間テストが終わり、数学の結果が返却された時です。『点数が2ケタ』『平均点以下』というダブルの衝撃を受けました。」
部活は体操部に入った。しかし、ここでも様々な苦労があったという。
「中学時代は部活動を通して友だちを作ることが多いと思いますが、体操部には同級生がおらず、友達の輪を広げられませんでした。競技でもいい成績を収められず、顧問の先生ともいい関係を築けず、孤独な中で次々とプライドが崩れていきました。」
中学で様々な挫折を経験した金子。しかし高校時代に、人生を大きく変える転機がおとずれる。
「環境を変えようと思い、9年間つづけた体操を辞めました。悪く言えば『逃げ』とも捉えられますが、顧問の先生との関係性が悪化していたこともあり、思いきって辞めました。代わりに、陸上部と演劇部に入ることにしたんです。」
演劇は、金子の「ものの見方」を180度変えた。
「これまでは、他者と比べて勉強や運動ができる・できないという、偏差値のような指標しかないと思っていましたし、それによって自己評価をしていました。しかし演劇は、演技の上手い・下手という世界ではなかったんです。金子にはこの役が合う、この人はこの役が得意、という、適材適所というニュアンスが強くて。演劇に出会って、楽しさや嬉しさでも自分を評価できるようになりました。」
高校卒業後は筑波大学に進学した。演劇との出会いによって人生が激変した金子は、入学当初から「大学生活の軸は演劇に置く」と決めていたという。演劇だけでも忙しかったが、他にも様々なサークル活動やアルバイトに打ち込んだ。
「農業サークルと養護施設の子どもに勉強を教えるサークルにも入っていて、4年生からは就職活動の支援活動にも参加し始めました。アルバイトは飲食店の仕事に加え家庭教師もやっていたので、5〜6個の活動を同時並行で進めながら学校の授業や研究活動にも勤しんでいました。」
「他人と違う選択」をするということ
充実した大学生活を送りながら、金子は次第に将来のことを考えるようになっていった。何を生業にして生きていこうか。色々と考えた末に、彼は大学2年生の頃に芸能オーディションを受けることを決意する。
「『筑波大学生って一般就職が当たり前だよね』という空気感の中、芸能オーディションを受けることは道を外れる感覚でした。しかしこれからの人生を考えた時、どうしても役者になる夢を諦めきれず、オーディションを受けることを決意しました。」
芸能の世界では、事務所に入る前に養成所に入ることが一般的だ。芸能オーディションでは、養成所に入れるか否か、そして入れる場合はどれくらいレッスン料を免除してもらえるか、という戦いが繰り広げられる。
「オーディションの結果は合格でした。さらにレッスン代も減額いただけることになりました。全額免除には至りませんでしたが、一定の評価をいただけて安堵したことを覚えています。」
周りと違う道に進む決断をし、見事に結果を残した金子。その後どうなったのだろうか。
「実は色々考えた結果、養成所には入らないことに決めたんです。いざレッスン料を払うとなった時に、リアルな未来が見えたんですよ。役者の世界はほんの一握りの人しか成功できない厳しい世界。私は、スターになれない未来を想像してしまいました。それと、演劇に自分の人生を捧げるのかと改めて問うた時に、しっくりこなかったんです。」
ぬぐえない違和感と、新たな光
養成所への道を断った金子は、2年生の終わりから一般就職に向けて動き出した。表現をすることや、ゼロから創り出すことへの興味から、エンターテインメント業界を中心に受けていたという。
「空間づくりに興味があり、コンセプトを作ったりプランニングをしたりする会社を中心に受けていました。就職活動は順調に進んでいました。」
4年生の6月には大手企業を含む3社から内定を獲得していた。結果だけを見ると順調そのものと言えそうだが、選考を受ける中で、とある「違和感」が大きくなっていたと語る。
「表現をすることが好きで、自分で考えたものをゼロから創ることを夢見ていましたが、途中で、エンタメ業界の仕事は『他者・他社の要望を形にすること』だと気づき始めたんです。それが4年生の5、6月、つまり各社の選考が終盤にさしかかっていた時期だったので、大きくなる違和感を抑えながら選考にのぞんでいました。しかし、第一志望の会社の選考に落ちたことがきっかけで、エンタメ業界への思いがプツっと切れたんです。」
それを機に、改めて自分の人生を考えたという金子。
「自分はエンタメがやりたかったのか、自分のアイディアをゼロから形にしたかったのかを考え直した時に、後者だと思ったんです。そして、自分のやりたい事を形にする仕事は何かと考えた時に、『起業』『事業をつくる』というイメージがわきました。ただ、今の自分にはビジネス経験がない。それならば、自分の可能性を広げられそうな会社に就職しようと思い、内定をすべて辞退して2度目の就職活動を始めました。業界はITに絞りました。」
内定を辞退することはとても怖かったという。
「友人には『あとで怒られるかもしれないけれど、1社だけでも内定承諾しておきなよ』と説得されました。でも、内定を持ちながら活動することによって甘えてしまいそうでしたし、自分で納得がいかなかったんです。怖いけれど、意を決して全社の内定を辞退することにしました。」
人生は選択の連続である
4年生の6月に全ての内定を辞退した後、2ヶ月間で約40社の選考を受けた。
「様々な会社を受けていましたが、その中でもWealthParkに興味をもった理由は『選択の自由が当たり前の世界を創る』というビジョンにありました。シンプルに面白いと思いました。実は、2度目の就職活動で最初に内定をいただいたのがWealthParkだったんです。その時点で他社の選考はすべて辞退させていただきました。」
他社の選考結果を待たずして決断をした金子。決め手は何だったのだろうか。
「選考を通して、WealthParkのみなさんが私としっかり向き合ってくれましたし、同時にじっくり見極めようとしてくれたからです。WealthParkは『あなたはどうしたいの?』という問答をひたすらし続けてくれる会社で、そこに強く惹かれました。」
将来は、自分で事業を起こしていきたいと語る彼は、ビジネスの観点からもWealthParkに魅力を感じたという。
「WealthParkは、投資のプラットフォームを広げてWealthParkの輪を作っていこうとしているんですね。その方法を学んでおくことが今後の自分のキャリアに活きると思ったんです。それと、お金に近いところにビジネスが存在しているので、お金のまわり方を学べそうだなとも思いました。」
これまでの人生で様々な選択と決断を積み重ねてきた金子。最後は、彼から就職活動中の方やこれから就職活動をする方へのメッセージで締めくくりたい。
「小さなことから大きなことまで、すべての選択の連なりで今の私があります。人生は選択の連続だとよく言われますが、本当にその通りだと思います。
インタビュアー
渡邉あす香|Asuka Watanabe
愛知県出身。大学卒業後に人材会社に入社。
企業のITエンジニア採用支援に5年間従事した後、2020年にフリーのライターに転身。
現在は、就転職や採用関連の記事を中心に執筆している。
https://www.facebook.com/asuka.watanabe.129