Ryoh Sugitani
認定NPO法人very50で事業統括マネージャーとして活動中。 大学時代にムスリム向けアプリケーション開発で起業、大学院時代にはネパールの災害復興における住民意識の変遷について研究。新卒で株式会社マザーハウスに就職→認定NPO法人very50に転職。 NPO法人Stand with Syria Japan副理事長。
◆ 途上国との出会いとNoblesse Oblige
自分が途上国という世界に初めて出会ったのは小学生高学年の時でした。親の社員旅行に同行して訪れたタイは、当時経済成長の真っ只中にあり、高層ビルが立ち並ぶ一方、住む場所がなく、お金もなくただ物乞いを続けるだけの人々というコントラストが胸に残りました。その当時、特に夢もなく、なんとなくみんなと同じようにサッカー選手になりたいと言っていた自分にとって、大きな興味を抱いた初めての経験でした。
世界にはこんな場所があるのか、自分の見てきた世界は日本という狭い範囲に収まっていたんだ、世界には自分の想像がつかないほど多くの困っている人がいるんだ、そんな感想を持った記憶があります。この出来事をきっかけに自分は途上国という地域への興味を強めていきました。何か世界に役に立つ仕事が将来したい、そんなレベル感ではありましたが、自分が初めて描いた将来の具体的なビジョンでした。
役に立つ仕事をする→信頼を得なければならない→ちゃんとした大学に行くのが近道という短絡的な思考で、今まで全くモチベーションのなかった勉強に真剣に取り組み始めました。意志を持った努力というのは通常以上の力が出るのか、成績も無事伸び、志望していた高校にも合格できそうなラインになりました。
そのとき塾の最後の授業で出会った「Noblesse Oblige」という言葉(社会的に恵まれた成功者は、その能力を社会に還元しなければならないという意味)は、受験勉強という日本のシステムの中で恵まれた環境にいる自分に突き刺さり、途上国のために働くという自分の使命感をより一層強くした言葉でした。
初めての途上国との出会いが自分の人生の行先を変え、そして1つの言葉がその行先を行きたい場所から行かなければならない場所に変えました。自分は将来、途上国や世界のために何か役に立てる仕事につかなければならない、そんな思いをもって高校に入りました。
◆ 行動で開けた世界
高校に入ってからは個人的には非常に悶々とした日々を過ごしていました。自分の使命を持っているものはあるものの、どうやってアクセスしたらいいのか、どんな方法があるのか、情報が限られている中で臆病になって「今はとにかく考えて、力をつければいいや」と考えている自分がいました。
それが大きく変わったのが、2011年に起きた東日本大震災でした。この時、自分は衝動的に今の日本のために、困っている人のために何か出来ることがあるはず、何かしなければならないと考えて、学生団体を立ち上げて募金活動を開始しました。募金活動なんてしたことがないし、するためにどんなステップを踏んでいいのかもわからない。警察署で成人の承認がなければ認可出来ないと言われて、社会のシステムに本気で怒りをぶつけたこともありました。今までのとりあえず今は考えようと思っていた自分とは大きく違う自分がそこにはいました。
結果、賛同してくれた友達や後輩の力を借り、お世話になった先生を警察署まで引っ張っていき、何とか募金活動を行うことができ、300万の募金を集めることに成功しました。このとき、素直に思ったことが「世界は考えることでは変えられない、どんなに泥臭くてもあがいて何か行動することでしか何も変わらないんだ」ということでした。
そのことを学んでからは大学生時代に起業やMoGへの参加といった積極的に活動することを意識し、大きな世界ではなく、まずは目の前の世界を変えることを考えて行動してきました。行動することでしか世界は変わらない、そして自分自身も変わらない、そんなことを感じた高校生、大学生生活でした。
★ MoG(モグ:Mission on the Ground)とは?
very50の代表的なプログラムです。国内・海外のソーシャル・ビジネス(社会企業や事業家:チェンジーカー)の経営課題を題材として、高校生や大学生が社会課題の解決に取り組みます。詳細はこちら。
◆ 自分なりの「自立した優しい挑戦者」になるために
very50との出会いは大学生時代に行ったタイのMoGでした。社会課題をビジネスの力で変えていくという仕組みに興味があったことはもちろんですが、自分の初めての途上国体験がタイだったこともあり、自分の原点を確認する意味でも、行ってみたいと思い参加を決めました。
10日間の現地ワークは過酷な環境下で、自分の知力と体力の限界と勝負するような日々で正直つらかった部分もありました。しかし、その中で自分は何が得意で何が不得意なのか、自分は何が出来て何が出来ないのかということをはっきりと気付かされたことは今の自分の中にも残っています。これは途上国現地という厳しい環境の中で、かつ真剣に向き合ってくれる社会起業家やvery50スタッフ、インターンがいたからこそ感じられたことだと思います。
そんなvery50という団体とのつながりを持ちつつ、自分は自分なりのvery50の掲げる「自立した優しい挑戦者」になろうと思い、その後のキャリアを考えました。その中で出てきた答えが、マザーハウスでした。
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」というミッションを掲げる、日本で最も成功しているソーシャルビジネス(マザーハウス社員は自分たちのことをソーシャルビジネスとは呼びませんが)の1つの中で、ビジネスの世界と思いや優しさをどのように両立していくのかを身をもって体験したいと思ったことが決め手の1つでした。
マザーハウスでは店舗スタッフ、生産地品質管理、商品開発と様々な業務を経験させてもらい、ビジネスとして本気で成立させるために社員の思いが必要であり、その社員の思いをカタチにするためにビジネスとしての成功が必要ということを身をもって感じました。さらには、そのビジネスと優しさの支えあいの結果、途上国の人々の労働環境改善のような社会貢献とビジネス的な成功を両立させていることも強く感じました。
◆ 「途上国に出会って世界が変わった」を届けるために
マザーハウスでの仕事を通して、自分の中に生まれた違和感はこの思いの部分でした。自分の出発点が本当に困っている人々のために役に立つという、いわば闇の部分に立ち向かう部分だとすれば、マザーハウスが目指しているのは、途上国というラベルを貼られた可能性のある人々と一緒に世界が驚くものを創ろうという、光の部分に焦点を当てることでした。このことに気付いた時、自分の中でより精緻なミッションが描かれました。
自分にとっての使命は「世界の不条理に立ち向かっていくこと」だとした上で、自分自身が行動して変えていく実行者という役割と、まだ若い世代の教育を通して、次の実行者を育てていく教育者という2つの役割を自分のミッションにしました。そのミッションが実現できる場所はどこなのか、それを考えて様々な団体や企業を探した結果、「自立した優しい挑戦者」を育てるというミッションのもと、社会起業家のサポートという実行と、高校生・大学生の育成という教育を同時に行えるvery50に行き着きました。
実行者としては、very50での業務はもちろんですが、自分個人としても国際協力という文脈で様々な活動を行おうと考えています。現在は個人ブログでの発信にとどまっていますが、今後現地の調査やアクションを通して、目の前の世界から少しずつ大きな世界の不条理に立ち向かっていこうと思っています。もしよければ、個人ブログをご覧ください。
また、very50の業務においては教育者としての役割も非常に大きいと3ヵ月経ってひしひしと感じています。日々出会う高校生・大学生を前に、彼ら・彼女らの人生を変える経験とはどんなものなのか、数年後になってすごく良い経験だったなと言ってもらえるプログラムはどんなものなのか、はたまたMoGのプロジェクト中には、少しでも心に残る機会にするためにはどんな言葉がどんな表現が適切なのか考え続けています。
そんな日々を通して、今自分が純粋に感じているvery50でやりたいことは、2つあります。1つは自分が小学生の時に見たような自分の人生の行先が見えてくるような経験、言うなれば「途上国に出会って世界が変わった」経験を届けることです。そしてもう1つは、叶うならば行きたい場所がいかなければならない場所に変わるような、希望が使命に変わるような出会いや言葉を提供していくことです。
最後になりますが、very50が今よりもより良いプロダクトを届けられるように、そしてより多くの「自立した優しい挑戦者」を育てられるように、精一杯頑張っていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。