Nozomu Tanihiro
1989年、神奈川県生まれ。慶應大学経済学部卒業。
大学2年生時にvery50のMoGプログラムに参加して以来、合計9カ国以上のアジア新興国でソーシャルビジネス支援やビジネスアクセラレーションに携わる。大学卒業後、ユニ・チャーム(株)をへて、学生時代にインターンをしていたvery50のミッションに強く共感し、正職員として再参画。現在は、副代表として経営や組織運営を担いながらも、教育コンテンツ開発責任者も務める。
教育コンテンツディレクターとして、さまざまな学校や企業プログラムのカリキュラムデザインからプログラム設計などを手掛け、当団体の2017年アクティブ・ラーニング・アワード銀賞、2018年経済産業省「キャリア教育アワード(中小企業の部)「優秀賞」を牽引。2021年から文部科学省委託のWWLコンソーシアム構築事業「FOCUS」/三菱みらい育成財団委託事業「EGG」のカリキュラム設計/ファシリテーションにも携わる。アメリカン・エキスプレス・リーダシップアカデミー2020に選出。
★ MoG(モグ:Mission on the Ground)とは?
very50の代表的なプログラムです。国内・海外のソーシャル・ビジネス(社会企業や事業家:チェンジメーカー)の経営課題を題材として、高校生や大学生が社会課題の解決に取り組みます。詳細はこちら。
こんにちは、認定NPO法人 very50 副代表の谷弘です。
シリーズ第1弾は「very50の教育サービス開発にかける思い」について書きました。
今回のテーマは「あい」です。誰かを愛するという意味での「愛」となると語る資格がないのですが、誰かを思う熱量の源泉である愛について、ひらがなの「あい」としてお話したいと思います。我々が教育サービスを設計するときに頻繁に議題にあがる「あい」と教育の関係についてとても大切にしているコンセプトをご紹介します。
◆「あい」のある教育
皆さんにもぜひやってほしいのですが、目を瞑り、自分を形作った教育的場面を思い浮かべてみましょう。どんなシーンが浮かんでくるでしょうか。
例えば私の場合、深夜に父親に叩き起こされていたことなどが思い浮かびます。父は、毎日日付を跨いでから帰って来るほどストイックに長時間働く人で、帰ってくるとまず子供部屋を見にきて深夜1時より前に眠りについていると、叩き起こされていました。「こんなに成績が悪いのに、もっと頑張らないでどうする!」と。
その結果として、勉強をしている雰囲気を出しながらハンターハンターを読むという技が身についたのですが、今考えてみると何かに取り組む時には人より時間をかける覚悟を持つなど、私の大きな軸になっている性質はこのような父との時間が形作ってくれたように思います。
また、2011年に当時学生の私がvery50代表菅谷の引率のもと、インドネシアのプロジェクトに参加したときは、毎回のプロジェクト報告へのフィードバックや、外を連れ回されて菅谷本人が1番目をキラキラさせて途上国の面白さを伝えられました。当時は、世の中に対してかなり退廃的な姿勢になっていた私が今ではすっかり、「世界を変えないでどうする!?」といった良くも悪くも前のめりな姿勢になったのも、この時の経験が形作ったものだと思います。
このような印象的な場面、そして振り返ったときに今の自分が形作られたと思える場面には、それを伝えてくれた相手の「あい」があった気がします。
◆ 教育から「あい」という非効率は排除されてきた
「あい」がある場面が目立つのは逆にいうと、「あい」がある教育の場面が当たり前では無いからだと思います。なぜ教育現場に「あい」があることが当たり前では無いのかを、そもそもの「教育」の定義から見ていきたいと思います。
▶ そもそも「教育」って何のこと?
※ここは、記事の中に書ききれないことがたくさんあるので直接お会いした時に聞いていただけたら嬉々として5時間ぐらいかけて説明させていただきます。
この図は、人に作用する活動を要素分解してみたものです。「対象者」に、「何か」を「何らかの方法」で植え付けます。そして、植え付けられた対象者が「環境」(=社会)に出ていくことで、社会と対象者の間に「行動」および「思考」が生み出されます。その「行動」「思考」によって、生み出された新しい社会によって「誰か」が「何かを得る」という一連の構造になっています。この中でも特に、「対象者」の決定と、「何」を、「どうやって」植え付けるかの部分までが世間で教育と言われていることが多いように思います。
人に作用する活動、つまり誰に何をどう教えるという範囲よりさらに広範囲の意味での「きょういく」はこれだけの変数の中で語られています。よくイベントやテレビなどで見る教育談義がなかなか生産的なものにならないのは、議論の前提条件としてこれだけの変数を揃える必要があるからだと思います。特に、「対象者」が社会の中で「行動」「思考」した結果である、「誰が」「何を得る」ための教育なのかという部分はほとんどの場合前提が揃っていないように感じます。
▶ 教育者と教育の分断が生んだ「効率」と弊害
現在の教育システム設計の大部分は、「日本政府」が「経済発展に便利な日本国民」を得て理想的な国家運営を実現することから逆算されています。その結果、先生という専門家と親だけに教育を任せて、限られたリソースのなかでも国家運営に便利な人材を生み出していく効率的なシステムが構築されました。そして皆さんも恩恵を享受している通り、日本社会はとても豊かになりました。
結論から言うと、私はこの効率的な教育システムの構築がその弊害として「きょういく」から「あい」を奪い、「教育」にしてしまったと考えています。
「あい」のある「きょういく」をよく見てみると、最後の部分である「誰」が「何を得る」の部分に教育者本人がいます。先の例で言えば、私の父は「日本政府」が「良い国家運営ができるため」に私を叩き起こしていたのではなく、子供が幸せになってくれることが、「親自身」が「幸せな人生」を得る方法だという考えから、居てもたってもいられずに成績の悪い私を叩き起こしていたのだと思います。これが「誰」が「何を得る」の部分に教育者本人がいるということです。
今、学校の先生方は、大まかに分けると教育事務、教育執行者、教育者(=「きょういく」者)という3つの役割を持っています。そして、定められた業務時間はほとんど教育事務と、教育執行者としての膨大な業務に追われている状況に見えます。
教員の方自身が、人生をより良いものにするために「きょういく」を展開しているのは、ほぼ100%サービス残業の時間になっていて、やりがいだけでそのような時間を取っている先生方には本当に頭が下がります。一方で先生の教育事務や、教育執行の業務が肥大化する中で、「きょういく」は削り取られ、教育現場に流れる「あい」の総量は大きく減ってしまっているのではないでしょうか。
※我々の社会を豊かにしてきた「効率」が、その弊害として失ってきたものについてはボーダレスジャパンの鈴木さんの記事や動画がとてもわかりやすいです!
◆ 世界をもっとオモシロクするための第1歩
▶ 効率化のその先を描きたい
教育事務・教育執行という活動の効率化はここ数年でより一層進んできています。アダプティブラーニングを圧倒的速度で世の中に広げた、atama plusの企業ページにある図が私はとても好きです。
技術の進歩によって、ビジネスがどんどん実現していく効率化によって、社会に伸び代が生み出されるという考え方です。
私は、教育というテーマでこの伸び代のなかに描いていくべき未来こそが「あい」がもっともっと流れ込んだ「きょういく」現場の実現だと思っています。
▶ なぜ「あい」のある教育がいいのか
なぜ、「あい」のある「きょういく」を増やすことがいいのかについて、1つ目の理由はシンプルに、効率的な仕組みの中で取りこぼしてしまったものが沢山あることです。自己肯定感、非認知能力、問題解決力etc.. トレンドと場面によって表現は変わってきますが、その多くが教育現場に「あい」を流し込むことで一定の解決を実現できると思います。
2つ目の理由は、「きょういく」者を経験したことがある人が世の中に沢山生み出されることが素敵だと思うからです。これを読んでくださっている方がどのぐらい「自分自身」のための「きょういく」を経験されたことがあるかはわかりませんが、これは本当に素敵な体験です。ここは説明するより、過去very50の行ったプログラムの中で「きょういく」者の役割を担う社会人フェロー体験者の記事を読んでいただくのが1番良いかと思います。こんなことを経験した人がもっともっと増えると良いだろうなと強く思っています。
★記事①: 「あんなに心が揺れたのは人生で初めて」総合商社で働きながら、社会人フェローとしてMoGに初参加して見えたもの
そうして迎えた最終プレゼンの内容はとても素晴らしかったのですが、なにより初日とは見違えた生徒の姿に感動し、終始涙が止まりませんでした。自チームに限らず、他チームの生徒を含めて相当純度の高い"人間の成長"という変化を目の当たりして、人生で初めてレベルで心が揺れた瞬間でした。
★記事②:「“本気で熱狂“する覚悟」
一人一人の特性は異なるので、その子が自分の能力を発揮できるよう、個性を見極めながら、伝えるべきことを伝えていく。この経験は会社では味わうことができません。出発前は、「自分に務まるだろうか、大丈夫か」と不安でしたが、まずは役に立つために自分から動く。当たり前ですが、「私にできない」でなく、「私に何ができるだろう」と考え続ける大切さに気づきました。
〜中略〜
最終日に現地の起業家に活動を報告し改善提案をする光景はあまりに美しくて、誇らしくて、涙腺の弱い私はずっと泣いていました。笑
★記事③:「自分の人生をぶつけ、自分の人生を問いなおせる経験だった」 殻を破って挑戦する高校生から刺激を受けた社会人フェローシップ-vol.1
高校生たちをファシリテーションしたり、1on1などで相談に乗ったりする中で、自分が生徒たちに何を伝え、何を語るのか、答えが見えない場面も多かったです。でも正直そこに正解はなくて、自分を全部さらけ出して正面から生徒と向き合い、自分の人生をぶつけていくことに尽きるなと感じました。
どんなにマーケティングのインプットをしても、生徒たちへのファシリテーションの基礎を学んでも、最後は自分の一言一言にのってくるものは、自分の人生なんだと思います。だからこそフェロー期間、特に現地の期間では生徒たちと本気で向き合い、一緒に考え、一緒に挑戦していました。
▶ 世界をもっとオモシロク
very50のミッションは、「自立した優しい挑戦者を増やして、世界をもっとオモシロク。」です。この、「オモシロク。」を実現していく人材は「あい」無しに生み出されるとは到底思えないのです。
作用する方と作用される方、「きょういく」者と被「きょういく」者、どっちが受益者なのかさっぱりわからないような「あい」が流し込まれた「きょういく」が世の中で教育とよばれている未来が、我々のミッションを実現していくための基盤作りだろうなと確信しています。
このように直感的にも論理的にも「あい」の流し込まれた「きょういく」が作る未来の可能性をとても強く信じることができています。very50も「きょういく」団体として、very50自身が自立した優しい挑戦者によってオモシロク変えられた未来の世界を楽しむためにも、「あい」をもっともっと教育という場に流し込むことをコンセプトとして、日々教育サービスの開発に汗を流していきたいと思います。
シリーズ第3弾へつづく…