はじめまして。永井絢です。
タイトルにもあるように、大手広告代理店からCRAZYへ転職した私は、「どうして!?」と不思議がられることが少なくありません。だけど、人生一度きり。後悔のない人生にするための決断の結果が、この転職だったと私は考えています。
今回は、転職に迷う方や人生軸に迷う方、あと一歩が踏み出せない方の力になれたらという気持ちで、その経緯をシェアできればと思います。
全ての原点、「文化祭」
高校1年目の文化祭。それはそれは輝いていて、眩しかった。最高に楽しかった。
その後迎えた2年目の文化祭前、私たちの校舎は新しくなりました。
大好きなアスファルト打ちっぱなしの味のある校舎から一転。新しい校舎はなんだか綺麗すぎて、真っ白すぎて、どこか自分たちの居場所じゃない気がする。そんな場所でした。
そのせいもあってか、2年目の文化祭後には「また前の校舎で、文化祭がやりたい」という声が沢山ありました。
高校3年目の文化祭。
往復5時間の通学も覚悟で選んだ大好きな高校最後の年。
人からみればたかが文化祭かもしれないけれど、「この校舎のせいで」を理由に、学生生活を否定したくない。“ここに来てよかった”とみんなが思える文化祭にしたいと決意。大袈裟かもしれないけれど、この日が大人になってもずっと記憶に残る日になるかもしれないと思って、奮闘しました。
この2日間だけは「校舎の白い壁を全て塗りつぶそう!」と、美術部と一緒に壁一面に絵を貼ったり、前夜祭と後夜祭のステージも、全員参加の時間を目指して、特定の誰かが司会を行うのではなく、各クラスから司会者を選出する新しい試みにチャレンジし、何度もみんなと打ち合わせを重ねました。
休み時間はもちろん、授業中、通学路、家に帰ってからもずっと文化祭のことばかり考えていました。
当時、TODOリストを絶対に忘れないように手の甲に書いていたのですが、その頃はいつも手が真っ黒になっていました・・・(笑)
「不安すぎて逃げちゃいたい!」という気持ちと「何とかして良い日にしてやる」という両方の気持ちを抱えて迎えた当日。
ステージからの景色とみんなのキラキラした顔を見た時の感動はとてつもないものでした。
その時に私は、「これをずっとやっていたいな。」と思うことになります。
すごく辛いのに、やり切った先には最高の気持ち良さが待っている。とっても中毒性が高い体験でした。笑
この体験を通して、自分で描いて企てたことで「私たちの人生いいかもね」と誰かが自分を肯定し、感動する瞬間を届けることが、自分自身の喜びかもしれないと思いました。
将来もそんな仕事に就きたいと思い、高3の時にネットで職業を色々と検索しました。その結果、「広告代理店」というところならずっと文化祭な人生を送れそうだと思い、当時の私は、広告代理店を目指すことを決めました。
3年間働いて見つけた、原動力
夢叶った広告代理店への新卒入社。
3年間は、とにかくがむしゃらに働こう!と決めて、ノンストップで駆け抜けました。
企画をしてそれを世に出すために四苦八苦する日々は、本当に楽しくやりがいのあるものでした。たくさんの素敵な先輩や、同僚にも恵まれました。まさに私がやりたかった「文化祭」な日々です。今思い出しても感謝が尽きません。
そんな日々を積み重ねて見えてきたことは、その仕事の先で、「誰かにとって『少しでも明日を生きる勇気』そして、『自分を愛する一助になれる』と思えた時、自分のエンジンにブーストがかかる」ということでした。
そう気づいた時、「人生で大切にすること」と「仕事で大切にすること」 を同じにして生きていきたい私は、自分自身のそのライフミッションと、会社の事業やミッションが一致しているキャリアがよさそうだと考えるようになりました。その結果、もっともっと、人の心や人生に直にアプローチしたいと思うようになりました。
「CRAZYみたいな会社ない?」
理想を探してたどり着いた場所
CRAZYとの出会いは、大学時代。
たまたま見たサイトで知ったその日からファンになりました。
自分の人生の主役として生きる全てのシャイン。
心の琴線に触れ、勇気をギフトできるサービス。
「いつか自分も、CRAZY的事業、CRAZY的生き方をしたい」という思いが、いつも心のどこかにあったのだと思います。
自分にとって理想のキャリアに気づき始めた時私は、「CRAZYみたいな会社ないかなー?」と周囲に相談し始めました。
そんな私に友人がくれたのが、「とりあえずCRAZYに挑戦してみたら?」という一言です。
そのシンプルさに驚きながらも、強く納得してCRAZYに挑戦することを決意した結果、入社することとなりました。
迷ったら“何を選べる自分が好きか”で決める
転職を決めた時、給料水準が一時的に下がることへの心配を周囲から受けました。
しかし、そこに対して自分自身が迷うことはありませんでした。
それは、「何を選べる自分が好きか」を大切にしている自分がいたからだと思います。
余談になりますが、私はロックスターに憧れている節があります。
特に歌詞が好きで、小学生の頃からCDショップでCDを借りては歌詞を印刷し、それを眺めながら大熱唱してから学校に行っていました。今でも、歌詞を味わいながら音楽を聞いている時間が大好きです。
ロックは私の生き方の源流になっています。
グロリアスレボリューション / BUMP OF CHICKEN, 作詞・作曲:藤原基央“震えてるのかい? そいつは武者震いだろう”
怖くて震えている時、「それ、実は武者震いかもよ?」と弱さだと思っていたものを、勇気と自信に変えて背中を押してくれた歌詞。
ギターもろくに弾けないけれど、自分の人生を通してそんな優しいロックを歌えるようになりたいと思っています。
ゴッホ /ドレスコーズ, 作詞:志磨遼平, 作曲:the dresscodes“右か左か 選ぶ時がおとずれたら
めんどうになりそうな方に進め ベイビー”
「あのロックスターだったらどういう道を選ぶかな?迷ったら面白い予感がする方を選べる自分が好きだな。」と考えながら日々を過ごしています。
転職に関しても、憧れのロックスターが私のロールモデルになって、最高の決断を後押ししてくれたのだと思います。笑
転職は唯一無二への近道(かも)
異業種転職に対する不安の声をもらったこともありましたが、キャリアのカスタマイズは希少価値を上げられるところに面白さがあると私は考えています。
広告代理店で働く人は沢山いるけれど、かつウェディングプロデューサーの経験がある人はそれよりも少ない。
転職は職を転ずるのではなく、掛け算をすることです。
コミュニケーションプランナーであり、コピーライターであり、ウェディングプロデューサーになる。
まだ名前のついていない職業・職種、唯一無二の存在に、この先なっていくこともまた、転職のワクワクするところだと思います。
人生を肯定し、勇気を提供できる人へ
そんな名もなきキャリアを楽しもうとしてる私が初めてIWAIの婚礼を見た時、私のやりたいことが詰まっていると感じました。
これまでの日々を振り返ったり、支えてくれた人との絆を改めて感じることができる、「自分でよかった」と丸ごと人生を受け入れられる。IWAIという空間。
きっとここでの思い出は、これからの日々の中でしんどい時や自信を失いそうになった時に、もう一度頑張ってみようと思える勇気や糧になるに違いないと確信しました。
これは、人生は美しく、最高のものだと気づかせてくれる私の大好きな優しいロックと同じじゃないか!と感動したことを今でも覚えています。
ビューティフル / 毛皮のマリーズ, 作詞・作曲:志磨遼平“ビューティフルに ビューティフルに
生きて 死ぬ、ための 僕らの人生 人生!”
職種も業界も今までとは大きく変わりますが、本質は同じです。
“人生を肯定し勇気を提供する”
そのための手段であることには何ら変わりがないので、これまでの経験に加え、ウェディングプロデュースという武器を携え、これからも理想に1歩ずつ近づいていきたいと思います。
2021.10.29 永井絢
採用プロセスに関わった渡部からの一言
「まるで風のよう」それが、彼女の第一印象でした。
出会ったその日、彼女から出てくる言葉を聞くほどにその純真さと、ユニークさ、なによりも跳ねるように生きる軽やかさに惚れました。
彼女が愛されるのは、人や環境を疑うよりも、よりよくするために自分が何をできるかを考えられる人であること。人の気持ちに想いを馳せられること。その上で、自分の良いと思うものに素直であれること。それが理由だと思います。
遠慮なく、会社すらも超えて貪欲に、世の中をより面白くする小さな巨人になるだろうことを確信してます。
CRAZYにようこそ!大いにあなたらしい風を吹かせてねー!
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