こんにちは!採用広報のきょんきょんです。
今回は「あおちゃん」にインタビューしました。ぜひご覧ください!
大人になるしかなかった
ーー本日はよろしくお願いします!まずは自己紹介をお願いできますか?
2024年新卒のあおちゃんです。UGでは2023年の秋に内定者インターンシップとして働きはじめ、大学在学中の2024年2月に入社しました。2024年3月に大学を卒業し、4月からフルタイムで働いています。
ーーありがとうございます。働きはじめてもう1年以上経つんですね!
早いですね(笑)インターンシップしていたころがなつかしいです!
ーー本当ですね。まずはこれまでのあおちゃんについて聞かせてください。幼少期はどんな子供でしたか?
ディズニープリンセスに憧れていたようです!保育園の廊下を端から端まで歩いてパレードごっこしていました。小さいころから社交的で、人見知りも全然しないタイプでした。小学生のときに映画『ハイスクールミュージカル』の主人公に一目ぼれしたことをきっかけに英語圏の国に興味を持つようになり、中学では英語の成績が爆上がりしました。休み時間にALT(外国語指導助手)の先生とずっとお話ししていましたね。
ーー小さいころから好奇心旺盛で行動力抜群なんですね。
親にも海外に行きたいという話をたくさんしていて、高校1年生のときにバンクーバーで2週間ほどホームステイをしました。環境もホストファミリーも相性がよかったみたいで「私は日本よりこっちの環境が合っている!」と強く感じました。2年生では修学旅行でイングランドに行き「やっぱり海外のほうが住みやすい!」と再認識しましたね。
ーーでは、海外の大学へ進学も考えたんですか?
もちろん興味はあったんですが、経済的な理由で断念しました。国公立大学の中で、英語で学びを極められ、留学もできるところを探した結果、国際教養大学にたどり着いたのでそこを目指すことにしました。国公立で就職率100%だったこともあり、親もすんなりOKしてくれました。めちゃくちゃ勉強して無事合格し、いざ入学したのが2020年。コロナ禍真っ只中で、1年目はすべての活動がオンラインでした。がんばって入学したのに対価を得られなかったことで、少しうつっぽくなった時期もありました。でも、そのとき担任だった先生がとてもいい人で「いつでも相談に乗るよ」って声かけてくれて。そのおかげで迷うことなく前に進めるようになりました。
ーー先生やホストファミリーなど、周りの大人といい関係を築いてきたんですね。
そうですね。大変なときも、必ず「すてきな大人」がいて助けてくれました。高校のときも、教頭経験のある非常勤の英語の先生のところに毎日通っていて、私生活のことまで相談していました。UGに入った今も周りにいてくれる方がすごくいい人たちで、そういう点は恵まれていると感じます。
ーーその後の大学生活はいかがでしたか。
大学2年目になってようやくキャンパスに通えるようになったので、寮に入りました。国際教養大学は秋田にあり、それも大学を決めたひとつの理由でした。東京の大学を選んだら、楽しいことばかりで遊んじゃいそうだなって思っていたんです。楽な方ばかり選んでしまいそうだなと。せっかく親にお金を出してもらって4年間大学へ通うなら、勉強に集中しやすい環境に行くことにしました。
ーーストイックですね!
いえ、あまのじゃくなだけです(笑)高校時代の同級生などがSNSでキラキラした大学生活の様子をたくさんアップしていたけど、あえてそっちにはいかない!って決めたような感覚です。
そもそも、あまのじゃくってマジョリティがあるからそう言われるだけで、私は私の選択をしているだけなんですよね。自分のやりたいことを決めて、それを信じて一直線に進んできただけなんです。
ーーそうやって自分で決めて行動できるようになったきっかけがあるのでしょうか?
高校生のときに、父の死をきっかけに親族との話し合いに巻き込まれ、いろいろ経験したことが大きいですね。失敗体験とかそういうものではないけど、どん底に突き落とされたような、ある一定のダウン期を味わったかなと。学びもあって、物事を俯瞰して見れるようになったんですよね。精神年齢も一気に上がったような気がします。そのあたりから、同世代よりも大人との会話のほうが学べることがたくさんあって楽しいし、充実していると感じるようになりました。見えているものの大きさの違いみたいなところですかね。大学3年の夏にはイングランドへ10ヶ月ほど留学に行って、さらに受容する力も養われました。
ーー留学のこと、詳しく聞かせてください。
第1志望は人気で埋まってしまい、第5志望にしていたイングランド北部に行きました。今となってはここでよかったと思っています。基本的に現地の学生とつるんでいたおかげで、小さいころからの夢だった外国人の彼氏ができました!今でも仲の良い友達です。この留学でかなり自信がついたと思います。「一人でも生きていけるじゃん!夢も叶ったし。」なんて思っていました。
ーーそのまま海外で働く選択肢はなかったのでしょうか?
日本の大学を卒業して現地で働くのは、人種差別などもあってかなり厳しい環境です。もし働くとしても、生涯賃金を上げるため大学院に行って、資格を取ってから就活することが多いみたいなんです。私は当時、「日本で社会人経験を積んでから、大学院に行って、そのあと海外で働こうかな」と考えていました。今も、この先ずっと日本で暮らすことはあまり考えていなくて、年に一度帰ってきて、1ヶ月程度滞在できればいいかなと思っています。住むならイングランドかバンクーバーがいいですね。大陸よりも海に近いところがいいです。何事も波があると思っているので、理性半分・本能半分でタイミングが来たと思ったときに「今だ!」って動く予定です。
↑留学中の写真
早く知りたいし、知ってもらいたかった
ーー就職活動はどのように進めたんですか?
イングランド留学中に、オンラインの選考に参加したりしていました。あと、ボストンキャリアフォーラムに参加しました。イングランドから2~3時間で行けることもあり、いい会社との出会いがあればいいなって思って参加したんですが、1日目だけで満足したので2日目はボストンの街を自由に散歩していました(笑)
ーーえ!(笑)もったいないとは思わなかったんですか?
靴が合わなくて痛くて耐えられませんでした(苦笑)あと、雰囲気を知りたかったのが一番の目的だったんですよね。世界の名だたる企業ばかりが出展し、高級品を身に付けてバリバリ働いている社員の方々がブースで前のめりに会社説明している様子を見て、すごいとは思ったけどこういった企業で自分が働くイメージは持てませんでした。
帰国後、引き続き10社ほど話を聞いたり面談に参加したりしました。オファーをもらった中小企業やベンチャー企業を中心に進めていたと思います。「焦ってもろくなことないから、もし決まらなかったら大学院に進学しよう」と思いながら、とにかくできることをやって、3社内定をいただきました。
ーーUGの第一印象はいかがでしたか。
やっぱり高井さんの印象が強いですね。ファンキーだなって思いました(笑)対面で初めて会った面談の一言目が「黒ひげ危機一髪やる?」だったんです。しかも、一発目で高井さんが当てたんですよ(笑)役員がこんなにファンキーなら社員もファンキーだろう、クセが強いけどこの会社なら目立たなくて済みそうって思いました。
ーー目立ちたくない気持ちがあったんですね。
日本だと、”出る杭は打たれる”じゃないですか。だから目立ちたくないなって思って。いろんな人に見られるということは、いろんな制約がかかると思うんです。裏でひっそりと「あおちゃんってできるやつだよな」って言ってもらえるような、社内で評判のいい人になりたいです。
ーーなるほど。UGへの入社の決め手も目立たなくて済みそうだから、ですか?
ほかにもあります!自分が知っている世界を狭めたくない、井の中の蛙になりたくないと思っていたので、一番ゼネラリストになれそうなUGに決めました。コーポレートエンジニアも見方によってはスペシャリストですが、仕事の幅が広くてなんでも対応するのでいろいろ経験できそうだなと。あとはシェアード社員としてさまざまなお客様に入り込むので、そこでいろんなことを知れそうだなと思ったんです。
ひづめちゃんが採用担当だったことも決め手のひとつかもしれません。裏表がなくて、試されている感じが全然しなかったんですよね。ひづめちゃんが私の担当で本当によかったです。
ーー採用担当にとってこれ以上ないくらいうれしい言葉ですね。
自分が納得できる選択ができなかったら、本格的に大学院進学を検討しようと思っていました。決断したのは4年生の夏ですね。最初に内定をもらったのがUGで、他社とも検討してから決めました。
ーー決断してすぐ内定者インターンシップにも応募してくれましたよね。応募のきっかけを教えてください。
内定者インターンシップに参加しようと思ったのは、社内でのつながりを増やしてUGのみんなに名前を知ってもらいたかったからです。ぶっちゃけ業務内容はなんでもよくて、「言われたことはだいたいできるし!」と根拠のない自信を持っていました(笑)インターンシップの業務はすべてオンラインで実施しましたが、業務内容が社員へのインタビューだったこともあり、こんな人たちがこんな風に働いているんだという実際の雰囲気を知ることができました。
ーー11月からインターンシップで働きはじめて、翌年2月には社員になりましたね!
そうでした!12月に卒業論文の提出があったので、インターンシップと並行して取り組んでいました。卒業できる見込みがたったタイミングで「UGは早期入社ができる」という話を聞き、いいかも!と思って迷いなく決めました。
ーー早期入社いいかも!と思ったのも、社内でつながりを増やせると思ったからですか?
そうですね、基本的な動機は一緒です。あと、2024年4月入社が約30名いると聞いていたので、一斉に入社したら覚えてもらえないなって思ったんです。「みんなで一斉に」「よーいドン!」に合わせるのが苦手なんですよね(笑)だから、先にスタートできるならしちゃおうって思いました。
ーーあおちゃんらしい選択ですね。ご家族や周りの人はどんな反応でしたか?
家族は放任主義なんでとくに驚かれたりもしませんでした。友達はびっくりしていましたね。でも、そのときやりたいことがあるわけじゃなかったから、さっさと社会人になってお金を稼いで、資金を作っておいたほうがいいなって考えて決めました。もともと親のお金でなにかをするのが好きじゃなかったのもあります。アルバイトだと稼げる金額はたかが知れているので、UGで働き始めちゃおうって思いました。
↑高井さんとの写真
誰もやらないから、やるしかない
ーー入社してから担当しているお客様や業務について教えてください。
入社翌月から担当しているお客様1社で今も働いています。常に4〜5名が関わっているお客様で、最初はお試しで関わりはじめ、PCの整理や梱包などを行いました。そこから、ヘルプデスクの一次受けなどをやるようになり、スクラム(※)のメンバーが大きく入れ替わるタイミングで、チームタスクの管理やスケジュール全般の調整をメインで行いはじめました。
※スクラム:お客様ごとに、その企業を支援するメンバーで構成されたグループ
ーーえ!入社1年目でマネジメントのような動きをしているんですか!?
はい。関わりはじめた当初、ちょうど繁忙期に入るタイミングだったこともあり、全員が常にたくさんの業務を抱えている状態で目の前の仕事をこなすのが精一杯でした。業務整理やタスク管理がスクラムの課題としてあったけど誰も着手できていなくて、トラブルも多発するようになりました。このままではまずいということでスクラムメンバーを入れ替えたり、それぞれの担当業務を変えたりするなかで、自分が今やっている業務は誰ができるかな?となかなか決まらなかったんです。「誰もやれないけど誰かがやらなきゃいけないなら、やるしかない」と思ってやりはじめました。もちろんやったことない仕事ばかりでしたが、穴があったからとにかく埋めたという感覚ですね。もともと人と関わるのが苦手じゃないのもあって、いろんな人とコミュニケーションを取る社内の調整役という仕事は自分に向いている部分も多かったみたいです。失敗もたくさんしつつ、周りの助けも得ながらやっています。
ーー仕事の穴も埋めて、自分のポジションも確立したんですね!
そうですね、タイミングと運がよかったんだと思います。あと、このチャレンジでうれしかったこともあって。入社から早い段階でシェアード社員の「認定レベル」を上げることができました。社内の調整役をするようになって少し経ったころ、スクラムメンバー全員で各人の業務内容と認定レベルの見直しを行いました。シェアード社員の単価はひとりひとり認定レベルによって最高値が設定されますが、実際に発注するときに必ずしも最高値でサービス提供するとは限らず、お客様先での業務内容によって調整しています。今回、同じスクラムのメンバーたちに比べて、私が認定レベルと単価が低いまま高度な業務を担っている状況だったため「あおちゃんがそこを継続して担当するなら相応の単価でサービス提供しよう」ということでお客様と交渉し、無事に単価を上げていただきました。同時に認定レベルも更新し、最高値が上がりました。
ーー実績として単価や認定レベルに還元されたんですね。
はい!スクラムメンバーやお客様に納得していただけるくらいがんばった自信もあったし、実際にメンバーみんなが後押ししてくれました。
ーー特に自信を持ってがんばったのはどんなことですか?
お客様社内でのコネクションづくりですね。普段からコミュニケーションをとっておくことで、業務が円滑に進むだけでなく、失敗したりトラブルがあったりしたときも言いやすくなるかなと思って、誰が相手でもすぐにコミュニケーションを取るように心がけています。性格上、いろんな人に声かけたり電話したりすることが苦じゃないし、誰に対しても躊躇せずに話しかけられるので、そこも自信につながったのかもしれません。
ーーたしかに性格による仕事の向き・不向きってありますよね。やってみて大変なことはありましたか。
たくさんあります。一番大変だったのは状況を把握することですね。拠点がたくさんあるお客様で、設定のパターンが多かったり、分岐がたくさんあったりしてとにかく覚えることが多いんです。IT環境や会社組織などバックグラウンドの知識がまったくないので、そこを理解していくのも大変でしたね。
ーーどうやって乗り越えたんですか。
別のオフィスへ出張に行かせてもらう機会があって、今までデータでしか見ていなかったものを実際に見れたことで理解がかなり進みました。以前から「UGの方、どなたか出張へ行ってみませんか」とお客様が声をかけてくださっていたみたいなんですけど、忙しくて誰も行けていなかったんです。少し余裕が出たタイミングで、UGの他のメンバーに「行っておいで!」と背中を押してもらい、なることともに行ってきました。
ーーやっぱり実際に見てみるって大事ですね。お客様先の業務で忙しかった中、UG社内の活動にも取り組んでいましたよね。
はい、7月の拡大全社会の運営に携わりました。これもなること一緒でしたね。
ーーどんなきっかけで運営に携わるようになったんですか?
4月に同期の新卒メンバーが入社した頃、新卒向けに運営メンバー募集の連絡が来ました。素直におもしろそうだなと思ったし、自分を知ってもらういい機会になると思ったので手を挙げました。
ーー常に社内でのつながりを広げようと考えて動いているんですね。
なんでもチャンスは逃したくないので(笑)知ってもらうには司会だ!と思い、主に午後のコンテンツで企画と司会を担当しました。当日はちょっとしたトラブルもありましたが楽しかったし、思い描いていたイベントができてよかったです!アンケートにも「よかったよ」といったポジティブなコメントをたくさんいただけてうれしかったです。
↑拡大全社会の運営メンバーとの写真
失敗したら謝る
ーーUGで働いてみていかがですか?
予想通り、クセが強い人がいっぱいいました!みんな一癖も二癖もあるんじゃないかなと思います。そういう人しかいないって思っていたのでギャップにはなりませんでした。そもそも、会社に何も期待していなかったのでギャップも何もないんですけど。
ーー期待していなかったんですね。
期待すると、そうじゃなかったときに疲れるし無駄だなと思うからあんまり期待しないようにしています。常にフラットでいることを心がけていますね。ただ、最近気づいたんですけど”期待している人”が意外と多いですよね。
ーー詳しく教えてください。
仕事に限らず、何事も楽しいことだけじゃないという感覚を持っています。だから、期待通りにならないことがあるときにすぐ別の選択をするっていう発想が自分にはないんですよね。とくに会社は仕事をする場所だと思うので「楽しいことだけじゃないし、期待通りにならないこともたくさんある」と常に考えています。
ーー深いですね。あおちゃんはなぜそうやって考えられるようになったんですか?
やっぱり高校生のときの経験が大きいですね。人生山あり谷ありだということを忘れないように生きています。極端に聞こえるかもしれないんですが、「いつ死んでもいい」って思って生きています。だから、落ち込むこととかもあんまりなくて。なにかやらかしたとしても「怒られたらどうしよう」という不安を感じたことがないですね。失敗したら謝る、それだけです。やる前から「違ったらどうしよう」「失敗したらどうしよう」と考えるのはもったいないですよね。
ーーすばらしい考え。そんなあおちゃんの今の目標を教えてください。
シェアード社員として、もっと社員より社員らしく、お客様に入り込んでいきたいです。正直、まだ「外部の人」「委託先の人」と捉えられてしまっていると感じることがあります。「外部って言わせないぞ!」という気持ちで、もっと社員の方と接する機会を増やして、飲み会とかゴルフとかカジュアルな交流もしていきたいです。
あと、お客様のニーズをしっかり満たせるスキルを身につけたいです。ITの知識や経験がまだまだ不足していて、もっと技術的なところでスキルアップしていきたいなと。流行り廃りがあると思うので、特定の分野というよりは幅広く、お客様が必要としていることに常に応えられるゼネラリストでありたいと思っています。そのために今少しずつチャレンジしている段階です。
ーーまだまだ成長は止まりませんね!最後に人生のプランを教えてください。
人生プランですか?ないですよ!気分次第で「今だ!」って思ったら動きます!!!
ーーあおちゃんらしさ全開のインタビュー、ありがとうございました!