都会の喧騒の中、静かに佇む温泉旅館があります。2019年5月8日、新宿に都市型温泉旅館ブランド『由縁』の一号店ONSEN RYOKAN 由縁 新宿が誕生しました。これは、温泉旅館を現代のニーズに合わせて再編集した『由縁』が生まれるまでの物語です。
《都市型の温泉旅館ブランド》
UDSでは今回のプロジェクトの話をいただく前から、東京で、コンパクトな旅館をつくれないか考えていました。プロジェクトが始まった2017年頃、海外から日本を訪れる旅行者の間で温泉や旅館への注目が高まっていました。
地方には有名な老舗旅館はあっても東京で温泉旅館に泊まれる体験はなかなかない。また、旅館は食事の時間が決められていたり、畳の上の布団といった独自の仕様がある。それらを、現代や海外ゲストのニーズにあわせて再編集して提供する新しい温泉旅館を提案できないか。そんなことを考えていた時に、東京の新宿近くの宿泊施設のお話しをいただきました。
東京を中心に和のデザインのホテルが増えてきていましたが、それとは一線を画す設計やサービスのあり方を目指しました。海外からのお客様が日本に求めていることを調べ、コンパクトで価格を抑えながら、利用頂きやすい旅館を提案して展開していこうと、話が進んでいきます。
《旅館とはなにか》
コンセプトは、『旅館の本質を編集』。旅館を現代に合わせて再解釈・再編集し、空間・サービスへ展開する。
そもそも、旅館とはなんなのか。「簡素で無駄のないコンパクトな空間」「静かさと落ち着きのある空間」「日本のおもてなしを実現」「本質的な日本の美意識を感じられる体験」など、キーワードから旅館の本質的な要素を整理していきました。
旅館の要素の中には、二食付きで食事の時間は決まっている、寝具は畳に布団、など見つめ直したい部分もありました。そうした点を現代のニーズに合わせて編集し、利用しやすさを追求しました。
旅館の本質を設計で表現する上で大切にしたのは2つ。“日本的な体験や情緒性をどう表現するか”、“地域をどう読み解くか”。表面的に靴を脱いだり、大きな提灯を飾ったりするような形式的なことではなく、いわゆる”おもてなし”をしたいと考えました。
また、新宿駅から20分ほど歩く立地を活かして、静寂さや凛とした空気感がもたらす豊かさを提案しました。さらに、街歩きやビル群などもコンテンツに落とし込んでいます。
《床の間のように景色が変わる》
コンセプトを設計にどう落とし込んでいくか。
入り口ではクラシカルで古典的な日本を、奥に進むにつれて無駄が削ぎ落とされたモダンな和を表現しました。暖簾から始まり、アプローチは石畳で奥行きを出し、突き当たりには手水鉢があって水が流れている。建物の中に入っていくと、四季の香りを楽しめ、外の風景が見えるようなしつらえにしました。チェックインスペースまでの間に歩く体験を入れることで、五感で季節を感じられるようにしています。
設計段階で意識していたのは、たくさんの景色があること。お庭があったり暖簾をくぐったり、床の間のようにどんどんシーンが変わっていくことが旅館の楽しみの一つだと考え、様々な表情を楽しめるように設計しました。
また、施設全体に光のデザインを丁寧に施しています。陰翳礼讃(いんえいらいさん)の考え方で、陰影を与えることで和の空間のあり方を研究。「影を捕まえる」「光を切り取る」ことをテーマに、光と影がつくり出すそれぞれの表情や対比、設えを表現していきました。
奥行きのある配置計画にして、手前に平屋建て、奥に18階建てのホテル棟を配置。道路側のファサードは、切妻屋根の和の建築としました。ホテルは夜の姿がメインになるので、夜は黒い客室棟の部分が闇に溶け込み、手前の平屋部分にフォーカスされることで和の建築が際立つようにしています。
数奇屋門からレストラン脇のアプローチを抜け、ロビーまでの動線上では、光と影が空気の流れや切り替えを表現しています。一定の間隔で床に配置された光溜まりをたどることで、心地よく感じながらフロントへと歩を進められます。
エレベーターホールには、「菊」をテーマに制作したアートを展示し、光による陰影を楽しめます。1階は”縁をつくる場所”のイメージがあることから丸円の形としました。
《場所の“由縁”を表現する》
施設の名称は『ONSEN RYOKAN 由縁 新宿』。由縁とは「ことの起こり」や「由来」を意味します。旅館の由縁、場所の由縁を空間に落とし込んで、旅館を再編集したこれまでにない旅館を目指した名称です。
旅館を再編集する過程で、新たな体験も落とし込んでいきました。
一般的な旅館であれば、滞在中はずっと建物の中にいることが多いですが、今回は都市型旅館として、周辺のまちを回遊できるようにしました。単なる寝巻きとしてではなく、由縁を拠点にまちを散策できる浴衣を作成したり、雪駄、足袋タイプの靴下も用意しました。
客室空間は家具類を全て低床タイプで統一し、布団のように低い位置にベッドを設置することで、日本の生活文化を感じていただけるようにデザインしています。
一般的なホテルのような四角い窓ではなく、雪見障子にインスピレーションを得た幅2mの横⻑の窓は座ったり横たわったりしたときに新宿の風景が見えるようになっています。床に近い位置に配置することで圧迫感を感じさせない効果もあります。
天井や壁は影のように暗く仕上げ、客室に足を踏み入れると、新宿のまちの光を拾う窓に自然と目が向くように計画しました。
《都市にいながら四季を五感で感じる》
運営コンセプトは、『五感で四季を感じるおもてなし』。館内に一歩足を踏み入れると、季節の生花が皆様をお出迎え。フロントでは四季によって変化する香りや音楽をお愉しみいただけます。また、旅館らしいおもてなしの一つとして、お部屋で召し上がれる客室菓子やお茶も用意しています。
・視覚:季節の生花を使った室礼
・聴覚:四季によって変化する館内音楽
・嗅覚:juttoku.に調合いただいた季節のお香
・味覚:旬の食材を使った和食
・触覚:季節湯
夏は火種を下に、冬は上に置くと火がつきやすいという口伝を名前の由来としている館内のレストラン「夏下冬上」では、全長8mの銀杏の一枚板を使った温かみのあるカウンターがゲストをお出迎えします。テーブル席からは坪庭を眺めながら食事ができます。
最上階18階には、箱根の温泉「芦ノ湖温泉 つつじの湯」から運ぶ温泉露天風呂を設けています。必要な明るさを確保しながら落ち着きのある空間に仕上げることで、新宿の夜景に自然と目が向くように設計しました。細長い羽板を設けることで、お風呂に入って座った時に景色が覗けるつくりとなっていており、新宿の景観を眺めながら温泉に入るという贅沢な時間が過ごせます。
《あとがき》
その土地の“由縁”を大切にすることでその土地に馴染み、それぞれの魅力を新しい形で伝えていく。今や国内に3店舗ある由縁。どの土地の由縁にいっても、旅館の安心感とその土地の魅力に出会えるワクワクが旅に心地よさを与えてくれます。