こんにちは、トーコン ホールディングス前原です。初のミートアップが目前に、、、ちゃんと実施できるかな~とブルブルしています。https://www.wantedly.com/projects/374515
さて、今日はちょっと自分のことでも話してみたいと思います。けっこう珍しい経歴なんですよ、私。
私は中途入社です。そして、且つ『出戻り』です。ちょうど昨日面接した学生さんにも、「前回の説明会で出戻り社員がいるって聞いて、そんな人本当にいるのかなって思ってました・・」って言われたんですが、ええ、いるんです。私です。
大学も1社目も、地元広島で過ごしました。大学では教員を目指し教員免状はとったものの、教員試験を受ける前に広島県の高校国語科採用枠がその年1名だってことを知って即離脱。だったら好きなこと仕事にしよう!と当時1番好きだったアパレルブランドへ応募し、トントンと内定。リクスーを1度も着ることなく就活は終了しました。
地元広島の店舗に配属され楽しく働いていましたが、販売の仕事に2年で飽きて、遠距離してた東京の彼氏の家に転がり込むようにして上京を果たしました。
そこでトーコンに応募するんですが、その時の面接の様子は前回の記事、「なんでTOKONって女性が長く働けてるの?」ってよく聞かれるのでそのあたり説明します!」でもちょっとだけ触れたんですが、まぁよく採用されたなぁと思います。
最初は営業アシスタントとして配属。その後、新規事業の立ち上げ的なことを通じて仕事の面白さに目覚め、その後は全体管轄を行う社長直下の部署で、採用や、人材育成などに取り組み、思えば田舎から出てきた何も知らない未経験ながらいろいろな経験をさせてもらいました。
その後、いろいろあって彼の実家がある関西に転居することとなりトーコンを一度退職。京都の某上場メーカーに転職し、200名規模の新卒採用を任されることに。中小企業の採用しか知らない私が、一気に大企業の採用に直面。ド文系の私が、機電情の理系採用を手掛けることとなり、且つ文系大学生に向けたBtoB機器の営業職採用のイベントを企画したり、さらには当時世の中でも注目されつつあった外国人留学生採用を任されるなど、目まぐるしくいろんなことに取り組みました。全国津々浦々の大学を回り、当時流行りだしたtwitterも活用し、たくさんの出会いを経験しました。ここでの出会いは自分の財産です。
その後、またいろいろあって彼が名古屋に転居。私は関西への未練はありありでしたが・・結局悩んだ末退職し、名古屋へ転居、留学生採用で非常にお世話になった某人材系企業Dさんからのお声掛けで入社。名古屋を中心として、東海地区の様々な大学・専門学校で某新卒採用サイトをご紹介しながら就活ガイダンスの講師を担うという大学渉外のミッションを担いました。とにかくひたすらいろんな学校を回り、就活支援のお悩みを聞く日々・・・企業側からだけでなく教育業界からも「就活」を見るという機会、これは貴重な経験になりました。
さて、そんな中再び彼が異動で東京へ戻ることに。悩みましたが、結局私も上京を決意。トーコンで働いている元同僚の夫婦に「東京に戻るからまた遊んでね」とLINEしたら、速攻その話が回って、かつての上司から電話が!!!!!
もちろんすぐには決められませんでした。けっこう悩んだ記憶があります。まだ決めきれず悩んでいるときに、「どう?そろそろ気持ち決まった?」って電話がかかってきて、ちょうど帰宅中だったので「すいません、今坂道で息切れしてて・・」って言ったら、「そんな体力じゃうちの仕事できないぞ(笑)」って言われて。「まだ全然戻るなんて言ってないじゃないですかっ!!」って言いあったのもいい思い出。
「辞めた会社になぜ戻れるの?」
そんな風に聞かれることよくあります。多くの人は「さすがに辞めた会社にもどるって気まずいよ」そんな風に思うんじゃないでしょうか。確かに辞めた会社にもどるってけっこうな覚悟です。
なぜ戻ったのか。それは、かつて一緒に働いて苦楽を共にした仲間が待っていてくれて、必要としてくれるということが全てです。それは何にも勝る魅力でした。
私が復帰するということが全社の朝礼で発表されたとき、フロアで、過去私が辞める直前で面接をして内定になったある女性社員から歓声があがったって聞いたときは、とっても胸が熱くなりました。
過去自分が採用に携わった仲間や、成長を期待していた後輩が活躍しているという事実。そんな彼らと一緒にいい仕事してみたい!!!と素直に感じたんですよね。
戻ってきてから、もちろん楽しいことばかりではなく「出戻りだからこその苦悩」みたいなものはあったわけですが、それはまた次の機会に。