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「教師」という選択肢に辿り着くまでと子どもたちに伝えたいこと

学生時代や社会人になってから、「自分はどんなことに興味があるんだろう?」と考えたことはありませんか? 今回インタビューさせてもらったTeach For Japan(以下、TFJ)フェロー4期生の篠田さんは、悶々とした日々を過ごした先に、教師という仕事に出会いました。教師になるまでの紆余曲折と、教師として経験したこと、そしていま取り組んでいることを伺いました。

篠田啓介


赴任期間:2016~2018(4期フェロー)

赴任先 :福岡県校種小学校赴任(3年生、特別支援学級担任)

出身大学:同志社大学(法学部政治学科)

教員免許:小学校二種(通信生大学にて取得・赴任時は臨時免許)

経歴  :銀行員→ベンチャー企業→TFJフェロー→教育系企業

趣味  :レゴ®シリアスプレイ®・ワークショップ・温泉巡り

好きな言葉:人間万事塞翁が馬

自分の好きなことを追求できる人生を送ってほしい。

まず、教育に興味を持ったきっかけを教えてください。

興味を持ったのは、中学校高校のときかと思います。学校の先生になりたいなぁとぼんやり思っていました。大学を選ぶときにも教育学部も考えていましたね。でも、そのときの自分は教育学部は選びませんでした。

結局、歴史が好きだったので、政治史が学べる政治学科に進学しました。この時は、将来の職業を考えるというより、興味関心で選択していたと思います。大学での学びは自分の好きなことだったので楽しかったですね。どこにでもいる普通の学生でした。そこそこ勉強して、単位とって、サークルに参加したり、夜遅くまで友だちと飲み明かしたり。笑

でも本当は自分は何がしたいのかよくわからないまま、悶々とした日々を過ごしていました。何をしたらいいんだろうか、悩んでとりあえず学生団体とかボランティアとか、リュックひとつで格安の海外旅行にいったりとか、自分なりに模索していたと思います。

いざ、就職を考えるタイミングで、「自分は何がしたいんだろう?」と改めて、突き付けられました。大学3年生のときに、大学の授業の一環で地場の企業に関わらせてもらったことがあります。そのときに、社長がかっこよくて、こういう人と仕事してみたいなぁと思いました。その社長や働かれている人の人柄や雰囲気がとてもよくて。すでに働いている大学の先輩に相談すると、それなら銀行もいいんじゃないかと言われました。それがきっかけでそのまま、銀行に就職することになりました。でも、教育系の企業も気になっていて、受け続けていました。結局、教育系の企業からは内定をもらえず、銀行に就職することになりましたが。笑

銀行では、とてもたくさんの経験や勉強をさせてもらいました。経営者と話をする機会も増えました。会社を経営している人の話って、すごいんですよね。どの経営者の方もすごく辛い状況に追い込まれたこともあると思いますが、こういうことしたいとか、自分の夢はこれなんだっていうものがあったり、この人たちが輝いていて魅力的なのって、真剣に自分に向き合って、こうなりたいっていう姿を目指しているからだろうなって思ったんです。

そんな中で、自分はこのままでいいのかなぁという気持ちが大きくなっていきました。自分にはこのまま働き続けるイメージは持てませんでした。それを考えると、悶々と過ごしていたんだなと思います。ずっと「自分したいことはなんだろう?」って問いかけていた気がします。

そのあとは人を支援できるような仕事ができればなと思って、ベンチャー企業で1年間働きました。仕事は楽しかったんですが、悶々とした気持ちは続いていました。「自分がやりたいのはもっと人の根幹に関わる仕事じゃないかな」と思っていました。そこで、まずボランティアで学校に入ってみることにしました。

高校生と話をする機会を得て、高校生に将来の夢やいまやりたいことを聞いたんです。そうしたら、したいことや楽しいことがないという答えが返ってきました。それが、なんだか自分の姿と重なったんです。そのときの僕も何をしたいのか自分自身を見失っていたので。だとしたら、この子たちも、なんとなく選択して、なんとなく働いていくんじゃないかなと。そうはなってほしくないと思って、自分は子どもたちと関われる教師になると決めました。好きなことを好きと言えて、興味があることを追求できるようなそんな人生を送れる、そう思える子どもたちになって欲しいという想いを持ちました。

どうしてTFJのフェローを選んだのか教えてください。

教師になると決めてから、教職大学院を受験することにしました。大学院に行くための専門学校に通ったのですが、そこの先生に「大学院に行きたいの?それとも現場に出たいの?」と聞かれました。現場に行きたいと答えたら、「大学院だと今から勉強して時間もお金もかかるけど本当にいいの?通信制の大学なら2年で教員免許が取れるし、認定試験もあるから、それも並行して受けたらいい」「まず現場に出てからでもいいかもよ。」とアドバイスされました。

そこで、週末の時間を使って、通信制大学に通いはじめました。TFJの出会いはそのころだったと思います。たまたまとった授業で知り合った人がTFJのことを教えてくれて、そのときは「なにそれ?免許持ってないけど先生になれるの?」と素直に疑ってかかっていました。笑

その授業の帰り道に、TFJのことを検索して、フェロー(TFJから派遣された教師)が取り上げられているweb記事を見つけたんです。その記事には、商社やサッカー選手、楽天のバリバリの営業マンやNGOで人道支援をしていた人まで、様々な人たちが教師として学校現場に飛び込み、生き生きと働いている姿が書かれていました。「こんなにおもしろい人たちがいるんだ!」と驚きましたね。それで、私も1週間後にはエントリーしました。笑 直感的にですが、「これだ!」という感じでしたね。現場にもすぐ出られると聞いたので、私にとってはいいことしかなかったですね。

選択肢を増やすこと。考える力と追求する力をつける

実際に学校に赴任して、教室では何を意識して実践していましたか?

僕の教育に関わるビジョンは「自分で考え、判断し、自分のなりたい姿に向かって人生を選びとることができる人を増やすこと」です。子どもと関わるときに意識していたのは、考える力話す力、そして追求する力です。その当時は、まだ「探求」という言葉はあまりメジャーではなかったですが、似たようなことを思っていたんだと思います。

例えば、自分の追求したいことを研究して発表する「研究発表会」という活動を行っていました。着想はPBL(Project Based Learning)です。1人ひとりと面談して、自分が興味のある内容を決めていきました。そして研究発表会当日に、それぞれが自分の研究成果を発表するというものです。子どもたちが没頭して、調べたり、発表の練習をしたりする姿はとても素敵でした。このときは僕はほとんど見ているだけでした。笑 子どもって「これやりたい!」って思ったら、没頭して、その時間を使うんですよね。

【研究発表会のテーマの一部】
・なぜ僕は勉強するのか
・世界でいちばん大きいは虫類
・ドッジボール攻略法
・がんのしくみ
・戦争はなぜ起こるのか
・ディズニーの10このひみつ
・6年生を送る会はひつようか
・プロサッカー選手になるためには

「戦争はなぜ起こるのか」の問いを研究していた子の結論は、マンションを作るというものでした。ケンカをするから戦争が起きる。だから、みんなが楽しく住めるマンションを作れば戦争はなくなるという内容でした。

「ドッジボール攻略法」は、どこを狙ったらいいのかや、コートのどこに相手がいるかで、どう攻撃するかを考えました。最終の必殺技が、「顔面を狙う」だったのがおもしろかったです。一か八か手を出すかもしれないからという理由で。笑

研究発表会の準備のための時間は、図書室で調べたり、コンピューター室で調べたり、他の先生方にも手伝って頂いて進めていきました。自分で考えることや追求すること大切にしていたので、「なんでそう思うの?」や「ていうのは?」という言葉かけをよくしていたのですが、いつの間にか、子どもたちの口癖にもなっていました。小学3年生が、「っていうのは?」ってお互いに深めている姿はかわいらしかったですね。笑

特別支援学級を担任した2年目の経験を教えてください。

特別支援学級を担任した1年間は、教育って一体何なんだろう?と問い続けると同時に、教師の専門とは何か?を問われた毎日だったと思います。

漢字が書けない子が書けるようになること。足し算引き算ができない子が計算ができるようになること。言葉で書くと当たり前なんですが、とても難しいことだと思い知らされました。時間通りに動くことが難しい子もいますし、朝、起きることができない子もいます。登校前に起こし行くことを日課にしていた時期もありますね。忘れ物が減るように一緒に作戦会議したりとかもしました。広く捉えたらこれも全て教育だと思います。

学校には本当に様々な子どもたちがいます。子どもによって、本当に特徴や特性は全く違います。そこをしっかりと見極めて、教師がどれだけその子に合った選択肢や学びを考えられるかがとても大事だと思いました。私はいつも力不足を感じていましたが、自然にやっているベテランの先生もいらっしゃるんですよね。こういった場面を見るたびに、教師は職人仕事だなぁと思いつつ、未熟さを反省していました。

2年目で印象的だったことはありますか?

1年間の学習を通して、漢字がたくさん書けるようになった子がいました。その子は5年生だったのですが、1学期は自分の名前と数字くらいしかまともに漢字で書けませんでした。1年間いっしょに勉強して、学年末に3年生で習う漢字のテストで100点を取ることができました。それをお母さんのところに持って行ったんです。そしたら、それを見たお母さんが突然泣き崩れたんです。「この子のことをできない子だと思ってたけど、そうじゃないですね。」と。今までそんなお母さんの姿は見たことありませんでした。一緒になって僕も泣いてしまいましたね。お母さんもどうしていいかわからなくて、苦しかったんだと思います。

そのあと、修了式の日にその子が、駆け寄ってきて、「先生ありがと」と言って、シャーペンをくれました。号泣ですよね。笑 いまでも僕の宝物です。

学校の先生は、子どもの未来を作る仕事なんだと改めて感じました。同時に、その子どもにとっては最後の砦だと実感しました。この子とお母さんとのできごとが僕が今も教育に関わり続ける強い原体験になっていると思います。

子どもに対して大人の役割って?

改めて、いま振り返ると、子どもに関わる大人の存在ってとても大きいと思います。ロールモデルというのでしょうか。自分の興味や好きなことを追求している大人が子どもだった私の周りにはいなかったと思います。学校は楽しく通っていましたし、担任の先生には感謝しかありません。それでも、学校現場では好きなことを追求していいよって言ってくれる先生はあまりいなかったと思います。学校ではこうしなさいと言われていたのに、大学進学のときには「好きにしていいよ!何がしたいの?」と突然言われて「えっ知らないよ…」というギャップがありました。就職活動のときも近いかもしれませんね。それって、小中高で考えさせてくれる大人が自分にはいなかったからだと思います。

でも、TFJのフェローたちは、いろいろな経験やバックグラウンドを持っているので、多様な選択肢を見せてくれるようなロールモデルになっていると思います。自分の子どものときには決して会うことのなかったフェローのような人が増えたらいいなぁと、自分がプログラムを終えて、その気持ちは、なお強くなっています。

(編集後記)
「子どもが成長していくために、 特別なことだけでなく 、日々のご飯とみそ汁をどれだけ丁寧に出すことができるか」と教師の仕事を例える篠田さん。教師の仕事の尊さを実感した上で、子どもや大人の選択肢を広げる活動に取り組む篠田さんのこれからが楽しみです!

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