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教育は難しくない。目の前の子ども達に、大人が楽しんで生きる姿を見せ続ける―前編―

とにかく熱い、熱い情熱を燃やし、目の前の子ども達のためにと学校内外で挑戦を続ける北フェロー。不動産会社、人材会社を経て教育、Teach for Japanに興味を持ったキッカケとは。また、赴任1年目から人の何倍も行動し続けてきた中で手にした、成果とは。
赴任した小学校、地域、市、県とどんどん人を巻き込み、人脈を拡大させながらも、日々、丁寧に子ども達と向き合う姿を追いました。

名前:北敢(きた・いさむ)


赴任期間:2017~2020(6期フェロー)

赴任先 :福岡県校種小学校赴任(1年目:2、2年目:5、3年目:6年生担任)

出身大学:横浜国立大学(教育人間科学部国際共生社会過程)

教員免許:臨時免許

経歴  :三井不動産株式会社(三井不動産投資顧問出向)⇒株式会社インテリジェンス 現パーソルキャリア(株式会社ベネッセ i-キャリア出向)⇒Teach For Japan

趣味  :ドライブして道の駅を回りながらキャンプをすること

好きな言葉:Living is not breathing but doing(生きることは呼吸をすることではなく、行動することだ)

街づくりへの情熱が、人、そして教育へ。幸せに生きるためには『自分自身と向き合い、学び続けられる人間になる必要がある』と気付いた

教育やTeach for Japan(以下、TFJ)に興味を持ったキッカケを教えてください。

キッカケは、社会人経験の中で抱いた葛藤にあります。

私は大学時代に街づくり、そしてそこに住まう人々のコミュニティづくりに興味を持ち、新卒で三井不動産に就職しました。初めは希望に満ち溢れていたのですが、だんだんと仕事ができない・楽しくない、残業が多くてしんどい、社員と仲良くなれない、相談できる相手がいない、と悩むようになっていきました。最後には夜も眠れず、逃げたいとまで思うようになってしまったんです。

そんな時、大学の友人に「逃げてもいいんだよ、会社はここだけじゃないよ」と言ってもらえたことで肩の荷が下り、それと同時に、大手企業で働くことで得られる安定や高収入、福利厚生や親孝行に目がくらんで、本当に自分がしたいことに向き合えていなかったことに気が付きました。

そこからは、本当に自分がしたいことは何だろう、興味を持ってやり続けられることは何だろうと深く考えるようにました。そうして出した答えが『就活生に自分と同じような思いをしてほしくない、学生のうちから本質的にやりたいこと、なりたい自分を考えてもらい、そのうえで、納得いく進路選択ができる手助けがしたい』という想いでした。

自分の苦い経験が、次に進むべき道を教えてくれたんですね。そこから人材会社に転職され、TFJのフェローになられたとのことですが、どういった経緯で教育、TFJへと舵を切ったのでしょうか?

人材会社に転職後、就活生と実際に話す機会を得たのですが、もっと早い段階で本質的な自分のやりたいこと、なりたい自分像に向き合わなければならないと感じたことがキッカケです。

2社目として、インテリジェンスに入社し、インテリジェンスとベネッセの合弁会社に出向しました。この会社では、ベネッセの強みである“学ぶ”と、インテリジェンスの強みである“働く”を掛け合わせ、大学生向けのキャリア教育事業を行っていました。

そこで、企業と大学生とをマッチングさせる業務に従事していた私は、就活生と面談する中で、彼らがやりたいこと、なりたい理想像をイメージできていないことに強く危機感を感じたんです。

どんなことがしたいの?と聞いても、別にない。どういう会社で働きたいの?と聞いたら、安定していて高収入な会社。その理由を聞いたら、楽をしたいから、と。

この時、就職活動が目前に迫って初めて、自分の将来を考えるのでは遅すぎるんだと気付きました。

それからは『子ども達に様々な世界を見せながら、「やりたいこと」を見つける手助けをし、見つかった時に実行にうつせる力をつけさせる』が私のビジョンになりました。

そんな中で出会ったのが、TFJでした。

なるほど、幼い頃から自分のしたいこと、なりたい姿を思い描けて且つ、そのために行動できる子ども達を育てる必要があると感じたんですね。そんな問題意識が、北フェローを教育へと向かわせたんですね。

赴任直後から挑戦の連続。周りの信頼を獲得しながら、目の前の子ども達のために学級、学校、地域で出来ることに全力で取り組む

TFJのフェローとして、福岡県の公立小学校に赴任されました。1年目は、どういったことをされたのでしょうか?

1年目は2年生の担任を任されました。しかし、5月になると、学校の体制変更により、体育主任代理まで任されました。

6月には、まだ参加したことのない運動会の運営をしなければいけないといった状況だったので、赴任後3カ月間は本当に忙しく、あっという間に過ぎていきましたね。

でも、これが良かったんだと思っています。

右も左も分からない中、大イベントである運動会を任されたことで、必然的にまだ親交がなかった周りの先生方にアドバイスをいただく機会が増えました。その中で人間関係を育めたほか、運動会では地域の方々にも大変ご協力いただき、皆さんに真摯に向き合うことで、地域からの信頼も得られました。

そのご縁で地域のお祭りにも参加させていただき、多くの保護者や児童に早い段階で顔も覚えてもらいましたね。

赴任後数カ月のあわただしさがうかがえます。そんな忙しい中でも、学級運営の一つとして取り組んでこられたことがあるんですよね。

はい、それは児童との1on1です。社会人の時に上司としていた経験から、児童たちとやりたいと思っていました。

昼休みに一人15分、最近どう?というアイスブレイクから始め、まずは自分の良いところを話してもらいます。それを受けて、私からもその子の良さを伝えて、最後には今後の目標と達成するための行動まで話して終わります。

コーチングを意識して、叱らない、責めない、自分で答えを見つけるように誘導するということを意識しています。この1on1は子ども達に好評で、次はいつやるの?と聞かれるほどです。先生を独り占めできる機会って意外とないんですよね。

この結果、自己肯定感が上がったり、自分の得意不得意を言語化できたりと、子ども達の成長を感じています。今後も一人につき2カ月に一回は行えるようにしていきたいですね。

そんな1年目の活動が評価され、様々な機会を得ています。

校区の講演会に登壇する機会をいただきました。自分の目から見た田川市についてお話ししたのですが、これをキッカケに、より多くの地域の皆さんに自分の存在を知っていただけました。

また、年に二回、市内の先生の実践をレポートという形で報告をするのですが、その際に学校の代表として担当させていただきました。周りの先生方に期待していただいていることが分かって、嬉しかったですね。

ただ、この時期、学校としては大変な状況にあったんだとか。

赴任して1年目の後半には、学校の子どもたちも落ち着かないことも多く、他の先生たちも慌ただしい日々を過ごしていました。

そんな中でも、私の担当学級は1年の成長が手に取るようにわかるなど、教師としての仕事にやりがいを感じていました。児童たちは、講師1年生の私についてきてくれて、成長してくれて、本当に感謝しています。

また、学校だけでなく、違うコミュニティがあったことも大きかったと思います。

TFJの同期はもちろんですが、地域での人脈作りや新しい挑戦を積極的に行っていました。その一つが、福岡県中小企業経営者協会が主催している、「学生が中小企業で働く人たちを取材し、記事を書いてウェブ上で企業の魅力を発信する」という、インターンシップ「キャリア・スクープ・プロジェクト」への参画です。

このプロジェクトでは、大学生が5、6人で1チームとなり、数カ月かけて地元企業にインタビューを行い、働くということに対する理解を深めていきます。私はそこに、学生たちの社会人メンターとして参加しました。

ここで出会った方とは今も交流があるだけでなく、人の輪はどんどん広がっています。

赴任1年目から濃密な経験をなされたのですね。それでは、2年目には、どういったことに挑戦されたのでしょうか?

2年目からは正式に体育主任となり、5年生の担任を任されました。

新しく赴任してきた4つ年下の女性教員とタッグを組んで担当したのですが、彼女とは年齢が近いこともあり、同志といった感じでしたね。よく教育論や手法を巡って言い争いになることもありました。だからこそ、今では阿吽の呼吸で一緒に働けるようになりました。

ここで知ったことの1つが、情熱を持って働かれている先生は、思っていた以上にたくさんいるということです。私は正直、フェローとして赴任するまでは、現場にはどれだけやる気のある先生がいるのだろうか?と懐疑的でした。でも、学校現場で働いていくうちに、彼女以外にも多くの情熱溢れる教師がいることが分かりました。今は、そんな仲間たちと働けることを誇りに思っています。

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