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【インタビュー】ITベンチャー企業の営業が小学校教員になった理由と教員になって感じたこと。

転職をするときに、一番重視することはなんでしょうか? 働きがいやスキルアップ、給料アップや待遇、働きやすさや職場の雰囲気など、10人に聞いたら10通りの答えがあるでしょう。

今回の記事では、Teach For Japan(以下、TFJ)のフェロー(教員)になった田中綾乃さんが転職した理由をお伺いしました。また、教員になって感じたこと、公立小学校と私立小学校の経験を踏まえていま思うことも語ってもらいました!

目次

(上記の見出しをクリックすると、Teach For Japan内のブログコーナーから本記事を読むこともできます)

言葉にできないけれど、涙が流れ、心を動かされた。

ー教員になるまでのキャリアを教えて頂けますか?

IT系のベンチャー企業がファーストキャリアでした。業務の内容は、企業と企業のマッチングをするサイトの運営です。簡単に言うと、サイト内に登録している会社同士で仕事の発注や受注ができるプラットホームです。私は、営業職としてサイトへの登録を促したり、プロモーションのためのWEBマーケティングをしたりしていました。社長や上司はリクルート出身の方だったので、パワフルに営業をする社風の中でとても鍛えられていました。

ーなぜ、IT業界から全く畑違いの教育へと進んでいったんですか?

もともと大学時代は教育人間学を専攻するほど教育の世界にどっぷりだったので、教育にはずっと関心がありました。教育の世界にも戻ろうと思ったのは、営業として働いているときに感じた2つの課題意識があります。

1つは、東京や大阪で営業の仕事をする中で、私の出身地(福岡)に比べて、東京や大阪で得られる情報量が違うと感じたことです。脱線しますが、私は美術館に行くのがとても好きなんです。でも、誰もが鑑賞したいような有名な芸術品は、東京や大阪に展示されることがあっても、福岡ではあまり展示されません。これは、芸術教育という視点で見たときに、福岡にいるだけで、本物を鑑賞できるチャンスすらないということです。個人的にも悲しいことですが。笑

もう1つは、社会で必要とされている人を、日本の教育は育てることができていないんだなと実感したことです。営業の仕事柄、社長さんと話す機会が多かったのですが、「スキルのあるエンジニアはいても、マネジメントができるエンジニアはなかなかいない。」とみなさん困ってらっしゃいました。そのときに、エンジニアでマネジメントができれば、お給料も良くなるんだろうなと思いました。

ーなるほど。もともと教育を学ばれていたんですね!では、なぜTFJのフェローという形を選んだのか教えてください。

いまは無くなってしまったんですが、『クーリエジャポン』という雑誌の「世界を変える仕事特集」で、TFJのことが掲載されていました。それが、TFJを知ったきっかけです。ただ、その時は「ふ~ん」という程度で、あまり心に刺さりませんでした。また、私はどちらかというと子どもが苦手なんです。。なので、最初は教員になろうとは思っていませんでした。

東京にいた友人がTFJと関わりを持っていたことがきっかけで、TFJの説明会に参加することにしました。ただ、そのときは「怪しい団体だな」と思っていました。まだ設立されてから時間が経っておらず、フェロー(教員)の赴任も2期目というスタートアップの時期だったので、不確実性を感じていたのかもしれません。

説明会に参加すると、会場には10人ほどの人が参加しており、TFJ職員の方の説明が非常に心に響いたんです。それで、TFJを起ち上げた松田さん(TFJ創設者)に会おうと思ったんです。後楽園であるDODA主催の説明会に松田さんが登壇するという情報を得て、説明会に参加しました。松田さんは海外出張の帰りだったようで、おっきなスーツケースを持って、めっちゃ大きな声で私たちに向かって話していました。

(TFJ創設者 松田悠介の著書『グーグル、ディズニーよりも働きたい教室』はコチラ

何言ってるかはよくわからなかったんですが、「この人は、子どもたちの、日本の教育を良くしたいんだな」というのはよくわかりました。なぜだか涙が流れました。それでTFJにエントリーすることにしたんです。

「30のプロジェクト」が同時進行するのが学校。

ー実際に現場に行ってどんなことを感じましたか?

学校で最初に感じたのは、「30のプロジェクトが一気に進行している」ということです。私が1つの発問をしても、30人の子どもがいれば30人全員が違うことを考えています。当たり前ですが、みんな違うことを考えているので、それぞれの成長度合いも全然違うと感じました。あるところでは芽が吹いているように見えるけれど、あるところでは種が壊れかけているところもある……。そんな感覚でした。私の学校のイメージは、この写真のような感じです↓


ー30のプロジェクトが同時進行している教室での日々はどうでしたか?

1年目の1学期は、目に見える成果を感じることができずに苦しかったです。大学の卒論でパウロ・フレイレというブラジルの教育学者の方を扱っていて、彼の意見にすごく同意していました。彼が主張しているのは「教育する者と教育される者は絶対対等でなければならない」ということです。

私も教室で子どもと絶対に対等であることを実現したかったのですが、子どもたちとの共通言語が見つからず、理想と現実のギャップに苦しみました。どこかで子どもをコントロールをしてしまおうとする自分がいたと思います。

そうは言いつつも、子どもの成長速度の早さを近くで見るのは楽しかったです。会社に勤めているときは、行きたくないときはありましたが、学校に行きたくないと思ったことはありません。

ー2学期以降に変化はありましたか?

2学期以降変わっていきました。夏休みに、TFJの研修を受けたのと、2学期に向けて十分な準備ができたのが大きかったと思います。

TFJの研修で、作業療法士の方が来てくださって、感覚統合について教えてくださいました。そのときに「やっぱり同じ方法でやっちゃダメなんだな」と再認識することができました。子どもはそれぞれ違うから、いろんな方法でトライしないとダメなんだということを実感を伴って理解することができました。おかげで、どう対応していいかわからなかった子どもの行動や様子を理解できるようになりました。これまでの私にはない視点を持つことで、気持ちが楽になりました。

具体的に変化させた例は、漢字の練習です。これまではみんな同じ方法で漢字の書き取りをしていたんですが、漢字の練習をする前にみんなで体操をするようにしました。なぜなら、身体の成長に個人差があるように、神経の成長も個人差があるからです。だから、神経を通りやすくするために、体操して肩を使って書くように促しました。同時に、漢字を書くときの姿勢も自分がやりやすい姿勢で取り組めるようにしました。

2学期以降も、何していいかわからないし、わからないことがわからないけれど、経験を元に何をしたらいいかが見えるようになっていったと思います。

※感覚統合については、こちらの記事で詳しく解説しています。

ー2年間の教員生活を経て、どんなことを感じましたか?

2年間ではわからなかったけれど、初めて担任した3年生の卒業式に参加して、純粋に「やっててよかったな」と思いました。子どもたちや保護者の方々にたくさん声をかけてもらえて。成果をどこに求めるかは難しいですが、「私が小学校に行った意味はあったんだな」と実感することができました。

公立も私立も子どもの「根」は変わらない。だからこそ、環境が大切。

ーいまはどんなことをされていますか?

3年間、公立の小学校で勤務した後、私立小学校のグローバルシチズンコース(算数や外国語の授業を英語で行う)の担任をしています。具体的な取り組みとしては、、、

・・・・・最後まで読みたい方は、こちらより!

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