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【インタビュー企画】第2回 シナジーで育ち、シナジーを育ててきた役員オハマの軌跡《前編》

このシリーズでは、株式会社シナジーの社員にインタビューを行い、
「シナジーってどんな人がいるの?」
「ぶっちゃけどんな仕事してるの?」
「シナジーに決めた理由は?」
などなど、赤裸々に話してもらいます!

シナジーの雰囲気や歩み、社風などを知っていただければ幸いです!

今回は、シナジー歴12年。唯一すべての事業に携わり、2,000名ものキャリア相談に乗った経験を持つ、現在は執行役員を務める小濱へのインタビュー前編です!

それではさっそくインタビュー、行ってみましょう!

ー小濱さんって、どんな業務をしてらっしゃるんですか?

小濱:今は執行役員として、主に会社全体の経営に関わっています。

ー33歳にして執行役員…!なんだか偉そうな響きです。
 シナジーに入社した経緯を教えていただけますか?

小濱:僕が大学を卒業した時は、就職先が決まっていませんでした。岡山で1~2ヶ月ほどニート生活を送りましたが、「流石に働かんとなぁ」と思って。第二新卒のインターンシップを募集している会社があって、それがシナジーコミュニケーションズだったんです(シナジーグループの中で警備を行っている会社)。当時の彼女が東広島、西条に住んでいたこともあって、インターン後にシナジーコミュニケーションズに入社しました。


業務内容は、警備員を配置したり、教育したりする「ディレクション」です。当時はリーマンショックの翌年くらいで、有効求人倍率も1を切っていましたし、仕事のほうが少ないような状況だったので、警備員として登録している方は多かったです。入社3ヶ月で上司が辞めてしまったので、そこから130人ほどの警備員さんを管理していました。多い日だと、60~70人が稼働しているような状況でしたね。

ー入社3ヶ月で上司がいなくなるなんて…大変そうです。

小濱:当時は結構アナログな会社で。入って数ヶ月ながら、改善できる仕組みがいくつかあったので、朝5時から夜遅くまで働いてましたね。

ーしんどい日々が続いて、やめようとは思わなかったんですか?

小濱:当時から独立志向があって、3年は続けようと思ってたんです。僕は理学部の数理情報っていう数学を勉強するところの出身で、周りに教師になる同級生が多かったんですね。それから、高校の同級生は大手の銀行に勤めてる人も多かった。「周りに負けたくないな」っていう気持ちが強かったです。特に就職も普通の新卒より出遅れていたので。。

あとは、社内に同期もいなくて上司も辞めてしまったので、裁量権がある程度あったんです。入って半年で経営計画を作って、金融機関や社長の前で報告することもありました。夜残っていたのは、仕事もしていましたが、経営の本を読みながら事業計画を作るためでもありました。

1年半ほど、シナジーコミュニケーションの方で働いて、それからシナジーの人材派遣の方に移りましたね。

ーシナジーは事業が複数ありますものね。

小濱:そうですね。ビルメンテナンス、人材サービス、経営・採用コンサルティング、指定管理、それから警備事業を行っています。

ー小濱さんは、シナジーコミュニケーションズで中心的な存在になっていたのにも関わらず、どういう経緯で人材派遣の部門に異動になったんですか?

小濱:当時、今やってる「未来会議」のような管理者の合宿があったので、直談判をして「このまま続ける気はない。人材派遣の分野であれば、自分ももっとやれると思う」と異動を申し出ました。

ー直談判したんですね(笑)

小濱:小さい会社だったので。ある程度成果も残しているし「まぁ行けるだろう」みたいなことを思ってました。調子に乗ってましたね(笑)

ー今思い出してみて、当時苦労したことなどはありますか?

小濱:2年目になり、初めて部下ができたんです。10歳位年上の。とても人当たりが良い営業マンっていう感じの人でした。その時に「どうやったらこの人に動いてもらえるかな?」っていうのは考えてましたね。

それから、人材事業のほうに移ってからは取引先を探すのに苦労しました。当時は東日本大震災があった年で、かなり不景気だったと思います。面接にたくさん人は来るけれど、派遣先が少ない、といった状況でした。僕は面接もたくさんして人を採用しながら、テレアポで派遣先の企業さんを探す日々です。そんな中、当時90%ほどのボリュームを占めていた派遣先で、僕が採用したスタッフさんがトラブルを起こしてしまいました。結果「シナジーからはこれ以上人を新規で入れない」という事態に…。


そこから本気で営業を頑張りました。毎日テレアポをして、毎回手紙を書いて…。その結果お客様の助けもあり、まいた種が花開いたんですね。当時30,40名ほどだった派遣スタッフが3年で170名ほどになり、売上も3年で3倍になりました。

面接に来てくれる人がかなり増えたので、そこでだいぶ面接もしましたし、派遣社員の転職相談にも乗りましたね。1ヶ月あたり80~100人くらいはスタッフさんを見てました。

ー20代を振り返って、記憶に残ってる仕事ってなんですか?

小濱:毎月の売上を出す時が楽しかったですね(笑)どんどん上がっていくのを見るのが快感でした。数字だけでなく、会社内で過去にないことを自分ができていることに嬉しさがありました。それから、お客さんのところに行って話すのも楽しかったです。「お客様や派遣社員さんの趣味や求めている情報は何か」ということを常に考えて、そういう引き出しを持って接していましたね。あとは、派遣社員として紹介した人たちが、派遣先の正社員として雇われる経験も嬉しかったです。

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入社〜2015年ごろまでが、小濱のいわゆる「爆上がり時期」だったとのこと。どんどん上がっていく売上や、人に喜んでもらえることに喜びを感じていたそうです。

シナジー歴の長い小濱が「逃げ出したかった」時期の話や、緊張のあまり蕁麻疹だらけになった話、逆求人イベントや自分の法人を立てた話などは、後編にてご紹介します!

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