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21世紀のスポーツ環境を創る

1.日本のスポーツ環境を変える

スポーツITソリューション(以下「SIS」)の代表である石元龍太郎は、茨城県つくば市で育ちました。

小学生の頃、石元が所属していたサッカーチームは、筑波大学のサッカー部の学生が指導者として教えてもらっていました。大学生、小学生、保護者、といった異なる世代がスポーツを通して地域でコミュニティを作るという環境が、今の石元の原点となっているかもしれません。

その後、中学生の時に訪れたアメリカでは、メジャーリーグを心から楽しんでいる観客や会場の雰囲気に魅了されたと言います。この時から、石元は「日本のスポーツ環境を変えたいな」と漠然と思い始めていました。

高校生活を経て、慶応大学のSFCに進学した石元は、更にスポーツに関する大きな体験を2つしています。

1つ目は、日本プロ野球界の活動にボランティア参加したことです。当時、大阪近鉄とオリックスの合併問題から1リーグ制の球界再編の議論がなされていました。選手会は、古田敦也会長を中心として反対の立場を表明していました。その活動にボランティアとして関わっていました。

2つ目は、楽天イーグルスの創設プロジェクトに参加したことです。石元は、「スポーツビジネスや地域コミュニティ作りを学ぶチャンス」として、プロジェクトに参加するため、友人と200ページにも及ぶ企画書を提出しました。日米欧のサッカーや野球を調べ尽くし、ファンクラブの成功事例やグッズの展開例などをまとめ、「新球団でやるべきアイデア100本ノック」と題した提案が通ったことで、参加することができました。参加後は、年間シートの営業をやったり、選手の募集から予算、ユニフォームやロゴのデザインなど全体の流れを体験でき、大きな財産となりました。


2.電通入社と転機

大学卒業後、石元は、電通に入社します。理系出身にもかかわらず営業職を志望したのは、「ビジネスやお金の仕組みを理解するため」でした。

東京勤務を経て、名古屋勤務となり、ある日、社内掲示板で新規事業の募集案内を目にしたとき、「チャンスが来た!」と感じたそうです。

そこで、石元は、今まであたためていたスポーツ競技団体向けの会員管理システムの事業計画を作りました。当時、スポーツ団体の業務システムは一般的な企業に比べて大分遅れていて、まだ紙を使う業務が大半でした。これをITを使うことで効率化し、担当者が本来の仕事に専念できるようにするためのシステム構築提案でした。

結果、この事業モデルは電通社内で審査を通過することができました。


3.スポーツ業界にソリューションを

私(干場)は、2008年にクララオンライン(以下「クララ」)に入社しました。法務と共に経営企画も兼任しており、SISの設立にも関わりました。SISは、電通とクララのジョイントベンチャーです。そこで、クララ視点の経緯もご紹介します。

クララ代表の家本賢太郎(兼SIS会長)は、石元とSFCの同窓です。家本は幼い頃は野球少年で、15歳でホスティング会社であるクララ創業後、スポーツに対する熱は冷めやらず、いくつかスポーツ関連の顧客も持っていました。

家本も、スポーツビジネスに対して、2つの想いを持っていました。

1つ目は、「スポーツは軽々と国境を超えることができ、インターネットの次なるキラーコンテンツになる」というものです。その想いもあり、早稲田大学の大学院の門を叩き、研究室社会人1期生としてスポーツビジネスを学びました。

2つ目は、特定分野に対するソリューションの提供です。当時メニュー販売が主流だったホスティング業界でしたが、特定分野(スポーツ、医療、教育、政治)にITソリューションを提供してイノベーションを起こしたいと考えていました。

その家本が、SFCの同窓である石元と「スポーツ×IT」で熱っぽく議論していたことは、想像に難くありません。


4.SIS設立

私がSIS設立に向けた構想を聞いたのは、2009年の秋ごろです。家本を会長として、電通から石元・クララからも役員候補が1名出て、私がその真ん中で設立手続きを進めることになりました。

私の石元に対する印象は、「熱っぽくスポーツを語る人」。スポーツに対する情熱が前面に出ている人と感じていました。そして、「忙しい人」です。この2点は今でも変わっていませんね。

電通とクララのジョイントベンチャーということで、両者間の協定書など、解決すべき論点は数多くありました。MTGを何度もしましたが、時間がないときは外出先のホテルのロビーを使ったり、社内懇親会の後に会社に戻ってMTGをしたりしていました。そのたびに修正される契約書案は赤字だらけで、自分でもどれが最新版か分からなくなりそうでした。

それでも、どうにかSIS設立までこぎつけることができました。記念すべき設立日は、2010年2月24日です。


5.当初は大変だった

SISは、当初は2名(家本を含めると3名)のスタートでした。オフィスはなく、クララのオフィスで2席だけ借りていましたが、2名とも鬼のように働いていましたから、あまりオフィスで見かけたことはありませんでした。それでも、当時まだ珍しかったiPadが席に置いてあったりして、最先端のものには敏感でした。

そして、周りの方々の協力もあり、大きな開発案件をいただくことができました。その案件は、今でも脈々と続いています(私もその案件に現在携わっています)。

私はまだSISに参画はしていなくて、クララの経営企画でSIS担当という立場で外から見ているだけでした。それでも、「21世紀のスポーツ環境を創る」という理念を掲げ、走りながら、悩みながら、助けてもらいながら、失敗しながら、それでもまた汗をかきながら、ITでスポーツ業界にイノベーションを起こすために頑張るSISは、いつも応援していました。


6.そしてSISは2020とさらにその先へ

創業から7期目に入り、メンバも25人に増えました。数多くの案件を手掛け、それでもまだまだITで提案できる課題は多く、それぞれのメンバが取り組んでいます。

メンバは、客観的に見ても個々のスキルが非常に高く、正に「スポーツ×ITの無双集団」です。0→1にする力を持ち、新しいものを生み出しています。

私も2013年に役員として参画し、昨年からはSIS常駐となりました。創業時とは比べ物にならない規模になりましたが、石元は変わらず「熱っぽくスポーツを語る人」であり、「忙しい人」です。私たちは、常に先頭を突っ走る石元に負けじと毎日走っています。

東京で開かれる2020オリンピック・パラリンピックを、「部外者」でなく「ど真ん中で関わる人間」として、期待に胸を膨らませています。そして、最も大事なのは、2020以降も続くスポーツ界のために真に大切なものは何かを常に考えること。それは、石元が昔見た「スポーツを通じて地域コミュニティが生まれる」という景色です。

これを読んで、「SISとしてスポーツ業界の発展に貢献したい」と思ってくれた方の応募をお待ちしています。

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