【農業×エネルギー 静岡から世界へ アグリビジネスの最先端スマートブルーとは?】
現在の事業内容を教えてください。
現在、事業としては3つ行なっています。1つ目は再生可能エネルギーの分野で事業所向けのエネルギーマネジメントのコンサルティング、2つ目は発電所の運営、そして分野が農業に移り、3つ目は農地の利用のコンサルティングです。
1つ1つの事業について詳しく教えていただけますか?
1つずつ詳しく説明すると、1つ目のエネルギーマネジメントのコンサルティングでは会社の事務所、工場の屋上の屋根にソーラーパネルや蓄電池の設置、省エネについての商品をトータルでコーディネートを行なっています。2つ目発電所の運営ではみなさんが想像するいわゆる普通の電力会社と同じことをしています。具体的には発電所の運営です。自分たちで電気を作ってそれを販売しています。そして3つ目農地の利用のコンサルティングでは、営農型発電の展開・開発施工販売をしています。また行政、企業に対してアグリビジネスそのものの企画や開発も行っています。
アグリビジネスとはどんなビジネスなんですか?
これは市町村が抱えるローカルな問題を解決していくビジネスです。例えば、耕作放棄地がたくさんあって困っている、大型の農業施設が撤退を決め残された施設の利用方法に困っている。このようなローカルな困りごとに対して我々がソリューションを提供していくと言ったビジネスをアグリビジネスと呼んでいます。
2つ目の事業の発電所運営は、地方電力会社が独占してやっている事業ではないのですか?
おそらくそういうようなところでもあり、そういうところではない、という答えになります。例えば静岡の場合、地元電力会社はすでに原発に何百億も投資して、施設を作っています。彼らが利益を出すためには既存の施設の回転率をあげて、減価償却していくコストよりも売上をあげる方法を取るしか現状ありません。私たちの発電所運営というのは、地域問題に資する形で新たに施設を作ります。これは規模の大きな電力会社にはできません。そして個人の自己防衛的な概念にはなるのですが、もし災害が起きても様々な場所に発電所があれば企業の持続可能性にとってもプラスに働くだろうと考えています。そして決め手として国が電気を売ることを認めてくれています。この3つが掛け合わさって事業性悪くないねっていう判断をされ、参入する一般企業が増えていると思います。
スマートブルーの一番の看板事業はどの事業になるのですか?
売上に貢献しているのは、農地利用のコンサルティングから派生してくる発電所建設、不動産売買です。
次に来るのは営農型発電の事業です。これが今伸びてきています。将来的にはひっくり返ると思います。
営農型発電の事業というのは農地で農業と太陽光のシステムを併用して運用する事業です。以前から多くの農家の方から農業がうまくいかず農地が遊んでいるという声がありました。このままでは農地が荒れていくから、太陽光発電したいっていう要望はもう起業して以来要望がずっとありました。しかし農地法がそれを許さなかったんですね。だからお断りしてんたんですけど今から5年前、農林水産省が突如特定の要件を満たせば、農地で農業と太陽光のシステムを併用していいですよと法改正が行われました。これによって今どんどん営農型ビジネスが伸びてきています。
【父の会社をクビに!? 起業のきっかけは学生時代のオーストラリアでの原体験】
塩原さんが独立したきっかけはなんだったんですか?
きっかけは36歳のとき経営者だった父の会社をクビになったことです。
その当時から僕はやりたいことがいっぱいあったんですけど、僕はずる賢いのでやりたいことを全部父の力を借りながらやろうと思ってたんですね笑。そうしたら父から、自分でやったら?と言われました。クビにしてあげるって言われたんですね笑。
そして突然クビになりました。起業せざるを得なくなって起業しました。
お父さんの会社はどのような会社だったんですか?
町の電気さんです。電化製品の販売から家庭の電気の工事であったり、エアコンの取り付け工事だったりみなさんがイメージするような電気屋さんで働いてました。
前職で一部分、今の事業と関わる部分がありますが、それが起業のきっかけになったのですか?
エネルギー分野に対しての問題意識は、もともと持っていました。その問題解決をやりたいって思って、僕は父の会社に入社しました。しかし父は全然そこには興味がなくて、噛み合わなかったんですよね。おちおちしてたらこの機を逃すと思ってたので、社内で勝手に動いてはいたんですけど、やっぱりそれが目についていたみたいです。結果最後にクビと言われました。
そのエネルギー分野の問題に対してはいつ頃見つけられたんですか?
少し遡りますが、大学4年間のオーストラリア生活です。いまから20年以上前ですね。当時オーストラリアではオゾンホールがすでに問題視されていました。日本ではオゾンホールって言ってもなかなか誰もわからない時代です。当時から現地では皮膚ガンがすごく多くて、環境に対してはすごいセンシティブでした。当時の僕は全然わからなくて、初めて国家が環境に対して力を入れていている現状を目の当たりにしました。その時点で大学生ながら、環境対策はこれから来るなって感じてました。
大学でオーストラリアに行こうと思った理由を教えてください。
海外には行ってみたかったんですけど、英語が苦手でしたし、無理だって思ってました。当初は東京六大学目指していました。勉強を続ける中、自他共に無理だってなって白旗あげたときに、父がわざとらしく、僕の目につくところに留学の記事とかを置いていました。その記事を読んでこれいいじゃん!と思って母親に言ったら、父親に相談してごらんと言われ、父親に相談したらいいよって言われて決めました。
オーストラリアでの生活で日本との違いはどのようなところにありましたか?
目的を持って物事に取り組んでいるところだと思います。例えば教育の分野だと、大学になんで入るのかという質問に対して、日本では当時から先生や友達と話していても、「いい大学入ったらいい会社入れる」といったことばかりいわれていました。だってその方がお金もいっぱい入るから豊かな生活できるでしょ?って考える思考回路だと思います。
でもこれだと結局「自分が何をやりたいか」だったり、「なんのためにやるか」なんて考えないんですよね。それに対してオーストラリアの学生はなんのためにやるのか明確にあるんですよ。「将来このようなことをしたいから、こういうものがいる」といった形で。これは親のレベルの話でも一緒です。日本の親はとにかく稼がないと、子供の学費出すのも大変なんだからって話よく聞きますよね。でもオーストラリアでは小さい頃からなんのために働くのかっていうのを教えられて育ってきているので「家族とこのようなことをしたいから、これくらい稼ぐ必要があるんだ」といった明確な違いがある。ここが一番大きな違いですかね。
他にもギャップって生活している中でありましたか?
日本の法律なんか見てもタバコは体に悪いってわかっているのに安いし、ガソリンも日本じゃディーゼルとハイオクの差が大きくディーゼルを買いやすい。でも当時からオーストラリアはガソリンのハイオクとディーゼルの差も小さかったです。環境に優しいものは低い税金、悪いものは高い税金を課すって感じで。あとは車のシートベルトに関しても、最近になってやっと日本は全席シートベルト着用だけど、海外は昔から当たり前のように全席着用だし。日本のことを話すと、ブラックジョークかのように笑われちゃってたんです。当時、僕は日本が笑われると「なにを!!」って思って言い返したくなってたんですけど、その辺は言い返せなかったです。そんなちょっとしたギャップをオーストラリアでたくさん感じることができたと思います。
では日本とオーストラリアのギャップが塩原さんの中にあったのですか?
そうですね。今言った環境問題に対する意識のギャップと、働く意義に対してのギャップ、そのほかにもたくさんありました。そのギャップを埋めることが私の中に日本で生きていく中で、必要になる目線なのかなあと漠然と思っていました。
【起業して気づいた社長としての器。心がけてきたのは理念経営】
ではこれからは起業してからについてお伺いしていきます。
起業してから、不安はどんな場面で感じましたか?
最初から社員を雇わないとできない仕事だったので雇ったんですけどその社員の生活の責任を負っていること。そして雇った社員はまだ若くて私との年齢差があったので、これは自分の人間性も見られていると感じて、社長としての器が本当にあるのかっていうのを疑問が自分自身にあったのでそれが不安に繋がってました。
起業されたときに、事業の見通しはある程度立っていたのですか?
いや全くです。
それでも初年度から経常利益も何百万って出て非常に順風満帆だったんです。2年目で社員が4人になっていて、3年目には7人にまで。従業員数が増えても売上がきちんとあったんで、これで食わせていけるからこれ以上仕事いらないなって思ってたんです。社長として欲がなくなってしまってたんですね。
でもそんなある時、今うちの専務やってくれている同級生の社員が、「社長、私はそんなつもりでここに入ったわけではない」って言ってきました。「もっと会社を大きくして、社会に貢献できると思ったからここにきたんだ」と言われて、私自身思い直しました。
それからきちっと組織としてどうやって運営していけるかっていうのと、社長としてどうやったら器を大きくできるのかっていうのを本気で考えました。そこからパラダイムシフトってよく言いますけど、自分を内観するセミナーとかに足を運んだりしました。そこでいかに自分がありきたりな考えしかできていないかっていうのを実感して、未来を見据えた見方ができてないって思いました。それからは、もう一度若い頃の感覚を思い起こして、確固たる未来の自分っていうのを創造していきました。それからは本当に社員も付いてきてくれるようになったと思います。おそらくそれまでは、事業がうまくいっているからついてきていただけで、本当の意味でついてきてなかったんですね。
起業してこれはやっておいて良かったなと思うことはどこにありますか?
2つあります。1つ目は社員研修です。うちは会社として初年度から理念経営をしてます。その取り組みとして毎月一回、営業も全部止めて、社内研修を行っています。お互いが信頼できるように、コミュニケーションを図るゲームだったり、ブラインドサッカーだったりをして、社員同士のコミュケーションをとる機会を設けています。
2つ目は社名を変えたことです。理念経営と言いながらも理念がわかりにくかった。だから「社名=理念」に振り切って決めました。
スマート=賢い、ブルー=海、空
総じて地球からスマートブルー=賢い地球を作ろうっていうことでまさに持続可能な社会づくりを軸にしました。なんのためにやっているかというと持続可能な社会の実現を目指してやっている。最近よく聞くSDGsを創業当初から取り組んでいたという感覚です。だから地球環境を持続することにつながればどんなことでもやるし、逆にどんなに儲かるビジネスでも、そこに資するものがなければやらないっていうことを掲げました。この2つはやっていてよかったなって感じます。現在はSDGsの取り組みを社をあげて全力で行っています。
スマートブルーさんのこれからのビジョンを教えてください。
今現在、国内の農業における問題、そしてエネルギー自給率を上げるという問題に取り組んでいます。農業の多くの問題をこのアプローチで全部解決することはできないけれど、いくつかをこのソリューションで解決することを示していきたい。それができたら、このノウハウを東南アジアだったりアフリカに持っていき、海外で事業を拡大していきたいなって思っています。
具体的なスパンを掲げてますか?
2025年でアジアないしアフリカにおいて、営農方法の発電を広げていきたいと考えています。
では最後に学生に向けたメッセージをお願いします。
アメリカのシリコンバレーでは在学中に起業しないと二流だって考えがある。
でも実際はそんなことはないんですね。僕は全くおバカさんな18才から始まって、起業を本気でしようとは思ってなかったんだけど、結果的に起業する準備っていうのは貯金をしておくという意味でできてましたし、36歳という遅咲きで起業していますけど、でもそれに対してなんの後悔もしてません。むしろ20半ばで起業していたら、間違いなく倒産していると思います。これはやっぱり人それぞれに回ってくるものだと私は思います。
ひたすらその分野において人より勉強し続ければ、起業のタイミングは早くなるし、でもなかなかそういう環境が作れなくて起業するのが30代になっても、その時点でその分野のビジネスにおいて、国内で5本の指に入るくらいの知識や経験があればそれはやっぱり成功する可能性は高いと思います。
だからキャリアを選択する上で、いきなり起業という選択肢をとる必要性はどこにもないし、本当に起業する人は必ずすると思うので、気負わずに起業することを目的とせず、起業してなにをしたいのかどうしたいかっていう部分を考えてくれればいいと思います。
学生の間どんなことをする必要があると思いますか?
私は今の学生はとにかくいろんなものを見て、いろんなことをやってほしい、それが大きいですね。
時として、自分の想像を超える世界の景色であったり、もしくは自分が嫌って、見ようとしてこなかった景色や体験かもしれない。でもそれを見ようとする遊び心をもって、経験をしてみたらいいと思います。
海外に行って、今のアジアの若者と触れ合うことが大事。今のアジアの学生は日本なんて選んでくれない時代になってきています。アジアの学生は日本よりよっぽどいい国があって、そこで稼ぎたいと思っています。実はインドネシアのトップ5%の富裕層と日本のトップ5%の富裕層では日本は負けているんですよ。
上ばかり目指すのもいいけど、常にいくらでも上がある。だから上を見続けるのではなく、これから考えていかないといけないのはその中でどうやったら日本に来てもらえるか、どうやったら日本人と一緒に仕事をしてくれるのかっていうのを今の若者は考え続けてほしいなって思います。
本日はありがとうございました!!
本記事の作成者:那須 昇太