1970年代のゴールデン街 「ロベリア」店内 - Google Arts & Culture
1970年代初期のゴールデン街の写真。「バー ロベリア」の店内で、ママとお客さんがカウンターからポーズをとっている様子です。
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Smappa!Groupでは、2018年より高齢者向け介護サービスを運営しています。ホストクラブの経営からスタートした私たちが、なぜ介護事業をやっているのか。そして一般的に語られる「いわゆる介護」とは違う切り口で、業界外から始めた私たちだからこそ考える「介護・ケア」をお伝えします。
まずは、弊社会長の手塚マキをインタビュイーとして計3回の記事でお届けします。
【はじめに】
新宿区歌舞伎町というと、どんなイメージを持たれるでしょうか。一般的には「夜の街」や「歓楽街」と呼ばれ、多様な背景を持つ人が集まり、飲み屋・水商売のお店が集まる「怖い」街と思われがちです。確かに、一側面的な物の見方で言えば、その通り。
ただ一方で、この地域が紡いできた文化を知ると、新たな発見を楽しめるのではないでしょうか。この街の文化・歴史を紐解き、そして私たちがその脈略をどうつなぎ合わせているかを見ていただき、最後にこの街における街づくりへと触れていきます。
手塚:もともとこの歌舞伎町は、第二次世界大戦後の復興の一環として文化施設を建て、街の中心にして盛り上げていこうということから始まるんです。その施設の名前が「歌舞伎劇場」で、その名前が由来となって「歌舞伎町」と名付けられた。ただ結果的には、歌舞伎劇場ではなく新宿コマ劇場が建築されたんですけどね。
文化的な歴史でいうと、昭和のジャズ喫茶のブームを作り、そして同年代にゴールデン街を中心に文豪たちが集まったのも歌舞伎町。そして、80年~90代には、ライブハウスや映画館のようなサブカル文化が栄えた。このように、時代時代で化学反応を伴いながら文化が紡がれてきた。そして2023年には東急歌舞伎町タワーが開設し、古い文化を新しい文化が繋いでいく。私たちがこの地域に存在する以前よりもっと前から、文化の文脈は受け継がれてきました。
歌舞伎町を誰の視点で捉えるかによっても、印象や捉え方が異なります。一つ目に海外の人から見た歌舞伎町。日本の一部の方がイメージする歌舞伎町と、海外の若者が見た歌舞伎町は違います。例えばハリウッド映画のロケ地として歌舞伎町が選ばれたりと、ユニークなカルチャーの街という認識を持ってくれていますね。そしてアーティストから見た歌舞伎町。ホワイトキューブの中で新たな作品を作るのではなく、歌舞伎町には、もともと街自体に力がある。この街だからこそ、いろんなことができるという面白さを感じているようですね。
あと文化という文脈から外れますが、この街は世界で一番安全な繁華街ではないかと思っています。歌舞伎町には、至る所に防犯カメラがあり、そして24時間必ず誰かが居る。実は、田舎のあぜ道を歩く方が危ないのではとも思うんですよ(笑)
歌舞伎町という街自体が、肩書のある誰かだからこそ包含されるのではなく、誰をも包含してくれる街だと思うんです。福祉・介護というと、障害・高齢などの分野というがあります。しかし、そこには当てはまらない、つまり法律の範疇にいない人にも、ケアが必要な人がいる。例えば、グレーな生き方をしている人や生きづらさを抱えている人たちなど。
そんないろんな背景のある人が行き着く先としても、歌舞伎町が存在してもいる。この街は、その人たちにとっての居場所や仕事場所にもなっているんですよね。役割や役職、その人の立場なども一旦除いて、街が受け入れてくれるというのは珍しい地域性ではないかと思いますよ。本当の意味での多様性を感じられるこの街で、福祉的な観点について学ばされることが多くあると思います。
【その地域で私たちが実践してきたこと】
これまでの歌舞伎町の文化の文脈を紡ぐ一つの役割としてこれまで活動をしてきました。
例えば・・・
2016年 歌舞伎町の、新宿の文化を発信する”スタジオ・トウカコウカン”を開催。
2017年「歌舞伎町ブックセンター」では、恋や家族愛、地球愛など「LOVE」をテーマにした書籍を扱う本屋を営業。
2018年 期間限定アートイベントにんげんレストランをChim↑Pomと共催。
2019年 歌舞伎町BON ODORIを歌舞伎町商店街振興組合と共催し、伝統的な盆踊りを行う。
2020年 アートスペースデカメロンをオープン。
2021年 黒無地Tシャツ専門店#000T KABUKICHOオープン。アートスペース「デカメロン」&バー「一刻」を併設。
2021年・2022年 街中パフォーマンス&ダンスイベント「歌舞伎超祭」参加。
2022年 「中島新宿能舞台」を新宿歌舞伎町能舞台として引き継ぐ。
2022年 「東急歌舞伎町タワー」新宿・歌舞伎町の歴史を紡ぐアートプロジェクトの作品制作への協力。
このように、この地域コミュニティのハブとなって、文化の発信や社会的課題に取り組みながら、地域経済の発展や文化の継承に貢献してきました。この街で、約20年取り組んできたからこそ築いてきた地域との信頼関係、磨いた視点、生み出した資源を生かし、今後も新たな取り組みにチャレンジしていきたいと思います。
「この街を文化で醸成させる」という考えをもって、私たちはこれからも街にかかわっていきます。そして、私たちの切り口で街づくりの一助を担いたい。そこで最後に、この地域の社会課題・地域課題を解決するための街づくりについても、触れたいと思います。
これまで歌舞伎町に絞って語りましたが、「新宿」という広い領域でこの街を考える。そうすると、国立競技場のある代々木も、古い町並みが残る神楽坂も含まれます。それに加えて、世界一の歓楽街や、日本一の乗降者数を誇る駅もこの新宿という街は持っている。
街づくりは、地域の魅力や活力を高めつつその街の課題を解決すること。この新宿という街は、混沌としながらも、多くの強みや多面的な役割を持つ地域。だからこそできることが多くあると思っています。そして、この歌舞伎町は誰をも包含する街。この街自体が包摂的、つまり福祉的である中で、誰かの心地よさや満足度が高まるコミュニティを作る街づくりの仕事って面白いですよね。
もちろん、街づくりは私たちだけでやるのではなく、地域の中で一緒に取り組んでいくことが必要。だからこそ、秋祭りなどにも毎年みんなで参加し、この町で働くみなさんとの交流を深めています。福祉事業所や介護事業所が地域課題を解決するにあたっても、商工会や商店街、地域の人との連携は大切ですよね。それと同じです。
今後この新宿という街には、再開発が進み2026年には小田急のビルが建つ。そして地下道も広がり、街が変化する。このように最先端の都市が変化する真っただ中で、どんな街になっていくのかを間近で見守りながらも、人が幸せに生きるための文化や関係を紡いでいく。まさに福祉の最前線を担える仕事が、最先端のこの街ならではできるのではないかと思っています。
文化に触れ、教養を身につけること、とても大切だと思っています。というのも、私たちは多様な方を相手にし、主客一体のサービスを提供するからこそ、教養によって視野や知恵、人間としての幅が重要になると思っています。私たちのサービスや介護の考え方については、次回以降詳しくお伝えします。