アートディレクター、マネージャーとして、デザインチームを率いている吉川さん。シグニフィに入社して、ちょうど1年。これまでにどのようなキャリアを築いてきたのか、デザインの仕事に就いたきっかけや今のチームに思うことを聞きました。
自分の意見が言いやすく、社長との距離が近い
――2020年11月に入社して1年が経ちましたがどうですか?
正直、社長に対してこんなに意見を言える会社は初めてですね。ちょっと距離が近すぎるかなと感じるくらい(笑)。社歴や年齢に関係なく自分の意見が言いやすい会社だと思います。
今は、マネージャーとしてデザインソリューション本部を率いていますが、成果についてはまだまだ。もっとできるはずだと思っています。社内にはシステムエンジニアもいるし、営業もいるので、そこをもっと生かして大きな仕事を生み出していきたいところですね。
――新規営業から制作までなんでもこなすイメージです。
チームのあり方としても、基本的には企画から制作まで一人ひとりが自走できることを目指しています。とはいっても、一人が稼げる金額なんてたかが知れていますよね。自分が持てる武器を生かしつつ、チームで力を合わせることで何倍も何十倍も稼げるようにしていきたいです。必要があれば手も動かしますが、自分はチームメンバーをどう生かしていくかを考える役割だと思っています。
――シグニフィに入社した決め手はなんだったんでしょうか?
面接で社長や何人かの社員と話をしたんですが、一番しっくりきたんですよ。自社でアプリ開発やデイサービスのブランディングもやっていたので面白そうだなとも思いました。
自分が会社を選ぶ時の基準はずっと変わっていなくて、これまでの経験を生かしてやれることがちゃんとあるか、今まで経験のない仕事ができるか、この2つです。どちらもできると思ったし、自分の意見を言いやすく、通りやすそうなことも自分に合っていると思いました。妻にも「一番合ってるんじゃない」と背中を押されました(笑)。
父もアートディレクター。Macと版下で遊んだ学生時代
――デザインにはいつから興味を持ったんですか?
父親が新聞社のアートディレクターで、二科展の審査員でもあったんです。その父親が家で油絵を描いたりしていたので、自分も小さい頃から絵を描いたり、漫画を描いたりするのが好きでした。何かを作るのは楽しいっていう思いはずっとありましたね。小3の時に全国公募の絵画コンクールで賞をもらったこともあります。
中学生になってからは親の手伝いで、新聞の記事下広告の版下を作っていたんですよ。切ったり、貼ったり、遊び感覚で。それが結構得意でした。
――お父様の影響が大きいんですね。
そうですね。とはいえ、当時はグラフィックデザイナーとかアートディレクターって言葉すら知らなかったし、父親の本業も知らなかったですけど(笑)。
ちょうどその頃、地元(秋田県)に美術大学の附属高校が新設されて、なんとなく普通の高校よりは描いたり作ったりできる学校の方が楽しいかなと思って受験することにしたんです。そこで、グラフィックデザイナーという職業があることを初めて知りました。
――その頃からデザインの道に進みたいと思っていたんですか?
いや全然。デザインを仕事にしたいと思ったのは高校2年の時ですね。
父親の友人に資生堂などを手掛けている有名なグラフィックデザイナーがいて、自宅に来たことがあったんです。僕が作ったものを見せたら褒めてくれて、それがすごくうれしかったんですよ。後日、自分の高校でその方の講義を受講して、「こんなにすごい人だったんだ!」と驚きましたけど(笑)。こういうものを作って生きていくのもかっこいいなって思いました。
――いい環境ですね。
パソコンも家にあったので、中学くらいからいじって遊んでいました。高校生になってからは親が使っていたMacをもらってイラレも使っていましたし。パソコンの知識もある程度ついていたので、就職してからもシステムの導入や、パソコン周りの雑務など、デザイン以外のこともいろいろやらせてもらいました。
一人で何かを作るより、誰かと一緒にものづくりがしたい
――東京にはいつ出てきたんですか?
仙台にあった美術系専門学校を卒業して、地元の印刷会社でデザイナーとして3年勤めた後、2004年に東京に出てきました。
2社目は本社が京都の会社なんですけど、配属されたのが横浜支店で。7年くらいいましたが、一番仕事とプライベートの境界がなかった時期ですね。チームのみんなでスノボに行ったり、会社の中でゲームをやったり。仕事が多くて、ブラック企業と言われかねないくらいの環境だったんですけど、当時はそんな概念もないですし、都会ってこういうもんなんだと思っていました。秋田にいた頃の10倍の仕事量があってほとんど家に帰れませんでしたけど充実はしていましたね。
入社3年目にチーフデザイナーになって、チームを率いて、さらにいくつかのチームをまとめたりしました。最後はプレゼンチームにいたんですけど、そのチームにすごく優秀なディレクターがいて、その人が今の自分の仕事のベースになっています。
――どんな人だったんですか?
プレゼンが得意で、企画を立てるにあたっての引き出しをたくさん持っている人でした。悩んで相談すると、「これとこれって同じことだよね?」「こういうふうにやった方がいいよ」って指摘してくれたり、教えてくれたりして。その人のおかげでコンペに参加したり、億単位の仕事が取れるようになったので、自分にとってその出会いはすごく大きかったですね。
――その後はどのようにキャリアを積んだのですか?
転機になったのが、東日本大震災でした。ずっと印刷会社で紙媒体を中心にやってきましたが、世の中的にはWebの需要が高まっていて、このまま紙媒体を続けていていいのかという不安があって。しかも、妻と一緒に上京してきたのに仕事中心の生活で、まったくプライベートを重視してこなかったんですよ。これからの働き方について考えていた時に震災があって、2011年6月に会社を辞めました。
――思いきった決断をしたんですね。
辞めて3カ月くらいはフリーランスで仕事をしました。でも、一人で何かを作るタイプじゃない、誰かと一緒に一つのものを生み出す方が好きなんだなって気がついて。そんな時に、スカウトメールが来て試しに受けてみたのが3社目の会社です。
そこは、営業と制作がタッグを組んで一緒に仕事を取りに行ける環境が整っていて、WebチームもあったのでWeb周りの知識も吸収できました。
ただ、会社が大きくなるにつれてデザイナーが増えて、だんだん営業は営業、制作は制作みたいな縦割りの構図になってしまったんですよね。9年勤めて会社がホールディングス化するタイミングでちょうどコロナ禍が重なって、自分のことを考える時間が増えて、自分のキャリアや立ち位置を客観的に確認してみたくなったんです。
――そして、シグニフィと出会ったわけですね。
そうです。大きくて出来上がった会社よりもシグニフィのような発展途上の会社の方が自分には向いていると思いました。
自分が手を動かすより、誰かを生かす方法を考えたい
――いまはマネージャーとしてデザインチームを率いていますが、どんな時にやりがいを感じますか?
やっぱりお客さんに「依頼してよかった」って言われた時とコンペに勝った時はうれしいですね。自分だけの力ではないんですけど、仕事が取れるというのはモチベーションになります。
あとは、企画とか内容を考えているときが楽しいです。正直、企画を考えて、いざ作る段階になったら、あとはよろしくって他の人に任せたくなっちゃう。自分じゃなくても別にいいなって思ったら、他の人に渡します。一番嫌いなのは作ることですね(笑)。
――え、もともとは作ることが好きだったのでは?
そう(笑)。まあ、作るのが嫌いなわけじゃないんですけど、他の人が作ったものの方が良く見えるんですよ。例えば、自分が企画したものを他のチームメンバーにデザインしてもらうと、自分が作らなくてよかったなって思う。隣の芝生は青いというか。だから、自分が手を動かすより、周りの人たちを生かす方法を考えたいんです。
前の会社でも、新人の指導を任されることが多くて。何もできない状態から、1年後に仕事が結構できるようになっていたりするのを見ると、自分が成長するよりもうれしいし、面白みを感じますね。
――これまでに仕事で失敗したことってありますか?
もちろんありますよ。今までは、人に任せずに自分が手を動かしてしまって、チームの誰かの手が空いているような状態を作ってしまうことが結構あって。そうすると、結局全部自分に降りかかってきてしまうので、今は誰に何を割り振っていこうっていうのは常に考えるようにしています。チームの中にはベテランも若手もいるので、相手に合わせた伝え方にも気をつけています。
愛用のタブレットとペン。メモやアイデア出しにはいつもこれを使う。
いつでも準備を怠らず、困った時に頭に浮かぶ存在に
――タスク管理も緻密な印象があります。
スケジュール管理のグループウェアに細かく記載するので、「こんなに細かく書いて意味あるの?」って言われたこともあります(笑)。でも、記録しておかないと自分が忘れちゃうので。
仕事に対しては臆病なので、どんなときも準備を怠らないこと、整理整頓することは心がけています。時間に余裕がなくて準備ができていないときに限って失敗しますからね。「整理整頓が仕事の8割」。これ、尊敬する先輩の言葉です。仕事の道具もファイルも使ったらしまう、これが基本です。
――耳が痛いです……。最後に、これからデザインチームが目指す姿を教えてください。
デザイナーがいてライターがいてカメラマンがいる。それだけでもうちの強みだと思います。でも、黙っていても仕事が来る状態にするには、デザインができる、ディレクションができるっていうだけじゃダメで、自分たちの武器を明確にして発信することが大切です。コロナで働き方も変わって、お客様との関係性も変わって、これからはデザインももっと個に特化していくようになると思います。次から次に頼まれたものを作って終わりじゃなくて、困った時にぱっと頭に浮かぶような存在としてあり続けたいですね。