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経営者が語る、“おかしな常識を変える”会社誕生秘話


第一の事業である“組織を変える”事業を志したきっかけは何ですか?

大学に入ってサークルを立ち上げたときに、自分のエゴでつぶしかけたことがありました。でもそこで間違いに気づいて立て直したときに、組織って面白い!と思ったんです。1+1が10にも20にもなる瞬間もあるけれど、0になることもありますからね。

その時、自分は組織をつくる側にまわりたいと感じたことから、起業をしようと決めました。

実は、それまでの人生ではリーダー経験ばかりだったんです。でも、そんな人間がすぐ社長になったら絶対また勘違いしてしまうと思ったので、5年間ほかの企業で働いてから起業すると決めて就職活動をしました。



起業すると宣言していた就職活動

面接の場でも5年で辞めると話していたのですか?

5年で辞めると言っていました。偽りたくなかったので。

前職に出会って、みんなそれぞれ日本を変えたいと思っているなと感じました。起業までの5年間、ともに戦える仲間がいる環境ととらえたので、入社を決めました。


入社後はどのように過ごしていましたか?

まず、同期のレベルの高さに衝撃を受けました。この中で1番にならなきゃまずいと思い、内定者時代から働きました。その努力のおかげで、新入社員コンテストで1位を総なめしました。もう天狗です。

そこから全然成果が上がらなくなりました。「もう起業しようかな」と周りに漏らすと返ってきた言葉は「ヒデ、それは逃げじゃないか?」というものでした。

そこで考えを改め、これは自分の得意分野、というものを身につけて生かしていこうと決めてから楽になったんです。その後成績はV字回復し、4年目で全社MVPをいただきました。


でも別に理想の会社じゃないなと感じていました。そんな時、離職を決めた転機が2つありました。

・リーマンショック以降、会社が掲げていたポリシーを体現しなくなったこと           

・中小企業の課題解決をするほうが面白いと感じたこと

当時私はリーディングカンパニーを担当するトップ営業マンでした。しかし、本当に日本を変えるには日本の99%以上を占める中小企業にアプローチしなくては、と考えたのです。

前職を辞めてから起業までは1か月半ほどでしたね。


社名に込めた想い


社名はいつ、どのように決まったのですか?

創業が2010年7月で、その直前の2010年6月に正式に決まりました。

創業メンバー3人で案を出し合ったところ、人の可能性を広げていくイメージで「ポテンシャルエッグ」と「シーズアンドグロース」で票が分かれました。しかし、シーズアンドグロースのほうがしっくりくるということでこちらに決定しました。

可能性=種(Seeds)を自ら成長させ(Growth)、各自が花や実を咲かせてほしいという世界観を込めています。


理念・ビジョンはいつ決まったのですか?

理念・ビジョンは創業時正式には決めていませんでしたが、漠然とはありました。理念・ビジョンとして確立させてはいませんでしたが、当初「人が活きる喜び。人を活かす喜び。」という言葉を掲げていました。

それまで暗黙知としてはあったものを、起業して4年目で具体的に言葉にしました。社員は当時6名でしたが、その全員で決めたものが、今のSAGの理念・ビジョンです。

理念の「人の可能性を信じる」に込められた想いについて。この世の中で、最も可能性に満ち溢れているのが「人」であると、私は本気で信じています。この世に生まれた以上、誰も無駄な人間なんていないし、必ず活かせるところがあると思っています。しかし、小さい頃は夢や目標があったのに、大人になるにつれて夢を語らなくなっていく。

そんな社会ではなくて、大きくなっても夢を語れて、誰もが活躍できる社会を作りたいと思い、事業を行っています。


ビジョンの「世の中のおかしな常識を変える」については、私たちは世の中の課題や問題に対して“当事者”でありたいという想いがあります。

今の社会において、多くの人が世の中の課題や問題に対して見て見ぬ振りをする“傍観者”。あるいは、意見ばかり言って行動しない“批判者”であると感じています。

でもそれって嫌だなと思うんです。自分が違和感を感じている以上は、問題の“当事者”として現状を変え続けたい。そんな風に思っていますし、社員全員で会社としても実行したいと考えています。

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