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【Kumenyana通信vol.6】 『ちょっと足をのばして サンゴ礁に囲まれた島 ザンジバルへ』

こんにちは、ルワンダメンバーの森本です。

日本では東京オリンピックでしたね!

ルワンダでも毎日オリンピックの様子がテレビで放送されるので、家でゆっくり楽しんでいました。

ルワンダではCovid-19感染者数が一気に増えてロックダウンも始まり、国内外旅行に行くのもまだまだお預けです。

そんな時はまた行ける日を楽しみに、色々と旅行プランを考えるのも結構いいものです。

さて今回は、私がまた絶対に行きたいと思っている旅先を前回訪れた時を回顧しながらご紹介していこうと思います。

私は自分が生まれたのが日本という島国だからということもあるのか、島にとても惹かれるのです。日本の島情報が満載の「SHIMADAS」を持っていたほど。。

初めての国内一人旅に選んだ場所も離島、鹿児島県の屋久島でした。

十数時間のバス(大阪~鹿児島)とフェリー(本島~屋久島)という、今思うとなかなかハードな旅でしたが、何千年も前からき続ける縄文杉が生い茂り美しい緑の苔のむす深い森は、もう言葉にならないくらい幻想的で一生忘れることはないと思います。

そしてそんな島好きの私が選んだ場所が「ザンジバル島」です。

初めてザンジバルに行ったのは3年前。

ちょうどルワンダのビザが切れるタイミングだったので、ずっと気になっていたザンジバルに行ってみようと思ったのがきっかけでした。

初めてのザンジバル。

ルワンダと違って何だかアラビックな感じというのが、降り立った時の第一印象でした。

私はアラブの雰囲気も大好きなのでワクワクしながら一番に足を運んだのが、2000年に世界遺産にも登録されたザンジバルの旧市街ストーン・タウン。

長い支配の歴史があったこともあり、ヨーロッパやアラブの文化が色濃く残り、双方の文化の影響を受けた3階以上の石造りの建物が、独特の街並みを作り出しています。

不思議な雰囲気が漂うのストーン・タウンの路地は迷路のように入り組んでいるため、歩き続けるうちにどこか違う世界に迷い込んでしまった?と不思議な感覚に陥ることもしばしばでした。

あえて迷子になってみるのも一つの楽しみ方かもしれません。

日本の旅行客も多いようで、ストーン・タウンを歩いていると日本語を駆使して声を掛けてくるガイドが続々と集まってきます。

何度断っても、あれやこれやとめげずに提案をしてくる彼らを見ていると、逞しいなとさえ感じました。

そしてふと、昔インドで偽ツアー会社に連れて行かれて2、3時間解放してもらえなかったことを思い出したのでした。

私は普段一人で気ままに歩きたいのですが、たまにはガイドの話を聞きながら歩くのも面白いかもと思いお願いすることにしました。

まずはじめに訪れたのが、ダラジャニ市場(Darajani Market)

野菜、果物、スパイス、海鮮などが売られている活気溢れる市場。

またザンジバルはスパイスが有名なこともあり種類豊かなスパイスを見てテンションが上がりました。スパイス好きは必見です。

海鮮市場ではセリが行われており、マグロやタコなど日本でもおなじみの魚が売られていました。

海のないルワンダに住む私にはうらやましい限りでした。

次に足を運んだのが、旧奴隷市場と大聖堂(The Old Slave Market, Anglican Cathedral)

ザンジバルは今では東アフリカのリゾート地としても有名ですが、1873年に奴隷市場が閉鎖されるまで、東アフリカ各地から連れてこられた奴隷を世界各国に送り出す奴隷貿易の拠点でもありました。

実際にこの旧奴隷市場では、アラブ商人達によってアフリカの人々が売買されていました。

奴隷市場が閉鎖されたあと、跡地には奴隷貿易の犠牲となった人達への鎮魂の意を込めて大聖堂が建てられました。

また実際に奴隷の人達が収容されていた建物では、この奴隷貿易の始まりから終わりまでの経緯が詳しくパネル展示されています。

地下には当時奴隷として連れてこられた人達が待機していた部屋が残されています。

部屋といっても、しゃがまなければいけないほど天井は低く、窓も小さな穴がいくつか。

もちろん電気もない真っ暗な部屋に75人もの人々が鎖に繋がれたまま押し込まれていたといいます。

次に大聖堂へ続く中庭にある像。

首に鎖を繋がれた人達。奴隷の人達は一つの国ではなくアフリカ各国から連れて来られました。その理由のひとつとして奴隷達の反乱を恐れた商人が、お互いの言葉が分からなければ意思疎通も出来ないだろうと考えたためと言われています。

そしてこの大聖堂が奴隷の売買が行われていた場所です。

ちょうどここで毎日多くの人達が売りさばかれていたそうです。

ここで鞭や木で身体を打たれ、痛みに耐え立ち続けた者には高値が付けられたといいます。

私は日本にいた時、定期的に沖縄か広島を訪れていました。

足を運ぶことで自身の記憶に「戦争」というものをしっかりと留めておきたいと考えたからです。

実際に経験したことのない世代へ受け継ぐためにも、このようなメモリアルは大切で大きな意味を持つと改めて思いました。。

ザンジバルでの奴隷貿易の歴史を知った後は、大ヒット映画「ボヘミアンラプソディー」でもおなじみ、クイーンのフレディ・マーキュリーの生家へ。

表には写真などがたくさん飾られているので、多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。

何よりフレディファンにはとっておきの場所です。

ストーンタウンの次に私が向かったのは、ザンジバル東部に位置する「パジェ」

ここには日本人の三浦砂織さんが経営する「パラダイスビーチバンガロー」という素敵なバンガローがあります。

部屋から一歩出れば、目の前には遠浅の美しい海が広がり、ゆったりとした時間が流れ、心と身体がほどけていくのが自分でも分かるほど、リラックス出来る空間でした。

そして部屋や海はもちろん良いのですが、何よりオーナーの砂織さんの心遣いは嬉しい限りでした。

実は今回の滞在中に体調を壊してしまったのですが、そんな時は日本食が良いだろうとお粥を作ってくれたりお腹壊してる時はコーラがいいよと持って生きてくれたりと、弱った身体にお粥と温かい心遣いがとても沁みました。

ここでの私の唯一の心残りはと言うと、海を目の前にしながらも入れなかったことです。

次回訪れた時は絶対にこの綺麗な海を満喫しようと心に決めました。

美しい海と何とも不思議な雰囲気の旧市街、そして悲しい歴史も残るザンジバル島。

まだまだ行きたい場所もたくさんあります。

なのでCovid-19が終息したら、必ずまた足を運びたいと思います。

以前のように気軽に海外へ行くことが出来ない状況が続いていますが、また行ける日が来たら皆さんも心と身体を癒しにザンジバル島へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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