こんにちは。内定者ブログが回ってきました近森です。最近は11月末から少し無理をしてヨーロッパを体験しておりまして、この数週間は地中海を毎日眺めるという贅沢な生活をしています。一人旅なので、普段なら見過ごすようなくだらないことをいかに面白く捉えれるかの戦いですね。旅はまだあと2ヶ月続くので、機会があればのちほどお話出来ればと思います。
さて、今回は就活についてということですが、なかなか難しいですね。僕にとって就活は、(多少の変動があるかもしれませんが)6-3-3-4という教育過程において発生する最後のイベントというくらいの印象です。周囲の皆がやるから自分もなんとなくやった。恥ずかしながらそんな感じです。
まず「働く理由」「働きたくない お金」「働かない 生き方」等と何度ネットで検索したことか。誰なんでしょう最初に働こうと思った人は。いつからなんでしょう働くことが当然みたいな雰囲気になったのは。生きていくためにはお金が必要ということは分かります。じゃあ誰なんでしょうお金とかのシステムを考えたの。伝わるか分からないですが例えば、数百年前に貨幣ではなく髪の毛が裕福の象徴で、髪の毛で物々交換が出来てみたいな感じだったとしたら、きっと現在も働くことなく自然と髪が伸びてくるの待っていれば生きていける訳じゃないですか?なぜこうはならなかったのかなと疑問に思いませんか?そういえば高校時代もなんで受験主要科目に数学があるんだとか思ったりしてました。
僕の場合、就活においてどうするのかより、そもそも何の為に働くのかというところでかなり立ち止まりました。就活に限らず既存の様々なものに対して根本的なところで立ち止まる傾向にあるのだと思います。ただ社会の在り方に疑問を持ちつつ結果として働くので、僕自身もこうした雰囲気を醸成していくのですが。本音では本当に働くしかないのかと問い続けながら、来年4月から足掻くのだと思います。笑
ここで終わると読んでくださる方に、彼は大丈夫かと心配されかねませんので、もう少しだけ続けます。
真面目な話としては働く上で、色んなことを経験してみたいという気持ちと、その分野で地位を確立したいという気持ちの葛藤でした。個人的に例えば、ツアー旅行の添乗員、漫画家、pubの経営、サッカー選手などやってみたいことはいっぱいあります。趣味のようで仕事だったらいいなみたいな発想ですね。ただ色んな経験をしたい一方で数年かじったくらいでは一流にはなれない。やはり一流になって社会でしっかり認知かつ受容されてこそ、趣味ではなく働くというモチベーションにつながるんだろうなと。
そしてたどり着いた結果がここにあります。超アナログ人間なのでフィンテックとかAIとか正直詳しく知りません。ただ何でもありな気がして面白そう。社会にインパクトを与えることが出来そう。そんなことを思いました。それに加え面接を通してROBOTPAYMENTの社員一人一人が個人的な野心を抱いていたのが魅力でした。なぜ働くのかとか言っている自分とは対極にいる集団じゃないのかと感じたのを覚えています。そんな環境で今まで無難に生きてきた自分がどう洗練されていくのか自分自身興味を持ったんですね。本当に直感です。色々言っておいてこんなノリです。ただ業界としても会社としても個人としても、本当に可能性が無限にある気がした。そして何より既存の概念を壊せる気がした。そういった期待感を抱いたのは間違いありません。
そんなこんなで来年4月から働きます。最初に就活は教育過程の最後に発生するイベントと言いました。しかし就活が終わった今も、そもそも働くことの意義、そして自分が生み出そうとしている価値はまだ明確にはなっていません。家に帰るまでが遠足だとよく言われましたが、僕にとっては定年を迎えるまでが就活なのかもしれません。
(マルタの猫です。可愛いです。普段どんなこと考えて暮らしてるんですかね?)