みなさんこんにちは!Langooプランナーの本田美なつです。
今日は、我らがCEOの文 鎔柱(ムン・ヨンジュ)さんにインタビューをしてきました。
母国である韓国を離れ、日本でEd-tech事業での起業をするに至った経緯とは?
Langoo設立までに至る、ムンさんの興味深い物語を、しっかりインタビューしてきました!
ぜひ最後までお読みください!
プロフィール
文 鎔柱(ムン・ヨンジュ)
株式会社Langooの代表取締役CEO。韓国出身。2015年、新卒で株式会社ベーシックに入社し営業を経験。2016年、KLab株式会社の社長室 新規事業開発グループに入社し、Ed-tech新規事業の立ち上げに携わる。その後Ed-tech事業を分社化させる形で株式会社Langoo設立に至る。
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本田:ムンさん、今日はお願いします!
ムンさんといえば、やはり母国を離れ日本で起業をしている、というところにチャレンジ精神や行動力が垣間見えるなと思うのですが、そもそも日本に来ようと思った経緯をお伺いして良いですか?
ムン:よろしくお願いします。
元々私は、食品関係での就職を希望していました。兵役でも調理兵として働いていたくらい、昔から「食べもの」が好きだったんです。
それで、食に関する業界に関心があったので、食の先進国に行ってみたいという思いを持っていました。
食の先進国の中で、韓国人の自分に食文化があっているのが日本だったんです。
本田:最初に日本に来た経緯は全然Ed-techとは関係なかったんですね!
ムン:そうですね。
ただ、日本に来てすぐに就職が決まったわけではないんです。当時はまだ今ほど日本語が話せず、日本のビジネスをきちんと理解していた訳でもなかったので、なかなか内定はもらえませんでした。
そこで、日本語を勉強しつつも色々な業界を知る必要を感じ、日本でビジネススクールに通うことにしたんです。
本田:今でこそムンさんはこんなに日本語がお上手ですけど、そういう時代もあったんですね。
ビジネススクールに通われて、何か変化はありましたか?
ムン:変わったことは、「食品にこだわらなくても良いかも」と思ったことですね。
そこにこだわるのではなくて、お金がよく回る業界に行ってみたいと考えるようになりました。
ビジネスの世界で、お金の動きが大きいところには良い人材が集まります。そして資金がある分、チャンスも大きい。
そこに自分の成長の可能性を感じたんです。
お金の流動という視点で考えると、一番それが大きいのはITやVCだと思ったんですね。
本田:それでITの業界に?
ムン:そうですね。
日本での最初の就職先は株式会社ベーシック。SaaS事業やメディア事業を主軸事業とするIT系企業でした。
営業職として採用されて、朝から夜までかなりハードに仕事をしていました。
この時期は地道な仕事も多かったものの、ITという業界の中で「見えないものをどう売り込むか」という経験は今も役に立っていると思いますね。
本田:ムンさんも最初は営業を経験されていたんですね。
そこから、どのような経緯でKLab株式会社に入社されたんですか?
ムン:KLabの創業者である真田さんと一緒に仕事をしたいという思いがあり、KLabの新規事業部を希望しました。
真田さんは今までにIPOを二回達成しています。一回でもすごいことなのに、二回ということは運ではない。
一緒に働けば、必ず学ぶことがあると思ったんです。
でも面接では一回落とされてしまいました。
本田:え、落とされたんですか?!
ムン:ええ。ただ、そこで諦めることはありませんでした。
どうして落とされたのかの理由を聞いて、再度アタックしました。
本田:すごい粘り強さですね!
たとえ落とされても「この人と仕事をして成長したい」という思いがあったから諦めなかったんですね。
ムン:やはり大事なのは諦めないことですね。
落とされた理由はBtoCのニーズが分かっていないから、とのことでした。
そのあとは、試用でもいいから雇ってほしいとアタックを続けました。
そこからまずは契約社員として採用されて、しばらくしてから働きぶりを認められようやく正社員になりました。
本田:アタックの結果が実ったんですね!
韓国から業界の先進国で挑戦するために来日したり、転職の際もたとえ落とされてもアタックを続けたり、ムンさんには粘り強さと挑戦心がとてもあるなと思うのですが、それは生まれ持っての性格ですか?
ムン:確かに、もともと何事も楽しんでしまう性格ではあります。兵役も、なかなかできない経験ができると前向きに捉えていました。
実は私が大学生の時に、家計が少し傾いて大変な時期があったんです。
そこで私は、家計を助けるためにもバイトをかなりハードにしながら大学に通わなくてはいけませんでした。
そのときも、粘り強く働きつつ学校に通い、結局はなんとかなったんです。
「諦めなかったら自分にはできるぞ」という考えは、そこから生まれているかもしれません。
本田:大変な時期を乗り越えたからこそ、粘り強さを手に入れたんですね。
ムン:そうですね。
最初日本で就職できなかったとき、KLabで落とされたとき、SANTA TOEICの日本での販権を交渉したとき、挫折しそうになるポイントは何個もありました。
韓国に帰ろうと思えば帰れました。
それでも折れなかったのは、「諦めなかったら自分にはできる」という確信と、自分が思った自分の成長の機会を逃したくないという気持ちが強かったからですね。
本田:なるほど、異国の地でそこまで挑戦を続けるというのは本当に大変なことだと思います。
ムンさんのそういったマインドが、Langooの挑戦する精神につながっているんですね。
Klab株式会社に入社後、どう行った経緯でLangooを?
ムン:私が入社したとき、KLabの新規事業開発グループにはすでにEd-techの事業案がありました。
最初にお話しした通り、私は来日直後に日本語がうまく無かったために就職できず苦労した経験があります。
実は来日当初、私の他にも一緒に日本にやってきた韓国の仲間が数人いたのですが、今でも日本にいるのは私を合わせて2人だけです。
帰国した仲間の多くは「日本語が話せない」を理由に日本での挑戦を諦め帰ってしまいました。
このような経験から、「やりたいことがあっても、語学が大きな障壁となることがある」という考えを持つようになり、Ed-techの事業の中でも「語学教育」に強い関心があったんです。
本田:なるほど、Langooの「語学ができなくて可能性が途絶えてしまう人たちを減らしたい。」という思いにつながる部分ですね。
ムン:2020年に東京オリンピックがあることもあり、語学系アプリの展開は力を入れて行なっていきたい事業でもありました。
そこで、Ed-tech事業を分社化させLangooを立ち上げることになったんです。
本田:そしてCEOとしてムンさんが就任することになった、と。
最初に就活難で苦しんでいたところから、粘り強くチャレンジを続け会社を設立するまでに至ったということですね!
とても勇気をもらえるストーリーですね!
(普段のオフィスでメンバーと戯れるムンさん)
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(編集後記)
ムンさんのインタビュー前編、いかがでしたか?
普通の韓国の学生だったムンさんが、持ち前の粘り強さで就活難の状態から一つの企業のCEOとして就任するまでを紹介しました。
Langoo全体で共有しているマインドにもつながる、ムンさんのコアな価値観に触れることができたのではと思います。
後編では、Langooを立ち上げてからの話や今のLangooに思うことなどをお伺いしていこうと思います。
お楽しみに!