おはようございます。こんにちは。こんばんは。高野です。今日はですね、多くの人が持ってるだろう悩み「俺、私、なんで働いてるんだろう」についての見つけ方について少し書いていきたいと思います。僕もいろいろと悩んできましたが、結局ここかなと。そう思っています。
誰かのために働くことをやめたら、上手くいく。そして楽になる。
これは国民性かもしれませんが、日本では「自己中心的」な人って嫌われますよね。あいつは自分勝手だと。それは中途半端な自己中心的だから咎められるわけであって、究極の自己中心的人間を目指せばいいと思ってるんですよ。
誰かのために、何かのために、自分以外の誰かのために頑張ろうとするから疲れるんですよ。人間なんてそもそも欲の塊であって自己中心的なものであると理解すれば、モヤモヤは消えるでしょう。組織には成果が出ない人も、サボり癖がある人も、つまんなそーに仕事してる人もいるでしょう。そのほとんどの人が「毎日何やってるんだろう病」にかかってると思いますよ僕は。だってそれさえわかってたら頑張れるんですよ。それで頑張れないなら、もう諦めてる。その選択をとったということです。だからウダウダいうんじゃないよってことなんです。
簡単な選択、究極の自己中心的人間。
結局行き着くところ、人間は幸せになるために生まれてきていると思うんですよ。でもちょっと私が違和感を感じるのは「幸せになる」という表現。ここを「幸せにする」という表現に変えてあげるんです。誰かを、ではなく自分をです。自分で自分を幸せにしてあげるんですよ。仕事も、恋愛も、結婚も、全部自分が幸せになるためでいいんです。一旦、相手なんてどうでもいい。自分の幸せのためだけに時間を使うんです。でですね、ここで面白いのはちょっと表現が難しいんですけど、恋人と一緒にいるときに相手がムスっとしてたらイライラしますよね。だから相手には笑顔でいてほしいわけです。これってどうですか?相手の幸せのために何かをしてあげているのではなく、自分の幸福感のために相手を笑顔にしているに過ぎないと思うんです。仕事も一緒。誰にも認められない時間を誰かが認められている空間で過ごすのって苦痛じゃないですか。気まずいじゃないですか。もはや行きたくもないですよね。だから自分の居心地のために頑張るんですよ。どうせ仕事しなきゃいけないんだったら、いいキャリアを進みたいじゃないですか。そしたら結果出しとくしかないんですよ。数字を出さなかったら怒られる?当然ですよ。上司はその人の上司にまた怒られたくないからあなたを詰めるんです。あなたのためを思って怒ってる人なんてほとんどいないと思った方がいい。嘘ですそんなのは。だからね、究極の自己中心的人間で生きたらいいんですよ。でも幸せになりたいじゃないですか。切実に。自分が幸せになってる空間ってどんな空間か、真剣に考えるんです。きっと、周りが暗い顔して怒ってる空間ではないはずなんですよ。みんなが明るく笑ってる空間だと思うんですよ。
だから、自分が幸せになるためには周りを幸せにする以外方法がないんですよ。これが究極の自己中心的人間の考え方なんです。より多くの人を、何を通してでもいいから幸せにした人が一番幸せなんですよ。それもできないのに、幸せになりたいというのはちょっと違うんです。自分の幸せなんて20年、30年以上生きてきてるんだからどんなものか想像はつくはずです。それだけを求めて毎日生きていればいいんです。
働く理由はこれでいい
ちょっと長くなりましたけど、結論はシンプルです。自分のため。でも中途半端じゃダメです。究極に自分のためです。自分のため以外の理由で働くべきではない。僕は周りまわってここに行きつきました。