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自分本位であることは、効率的であることに繋がっている

SNSへのリアクションに関する記事の紹介です。

その「いいね!」に意味はあるのか? SNSの「義務的な反応」に見るコミュニケーションの本質|WIRED.jp
友人のSNSの投稿や盛り上がるグループチャットに「反応しなければならない」と感じてしまうのはなぜだろうか。なぜ、スルーしてはならないという義務感や、会話を終えることへの背徳感を覚えてしまうのだろ
https://wired.jp/2018/09/30/group-text-reactions/


私は比較的ツイッターを見ている方ですが、SNS上でのイイねを使ったリアクションはほとんど取らないタイプです。

逆に面白かったり、いいなと思えばリツイートします。

ただ、一部の人は義務のようにリアクションを取る人の存在も感じています。

そのことについて、記事ではこう伝えています。


われわれはこの社会的責任にありがたみすら感じている。「いいね!」やハートマーク、「(笑)」をたくさんもらうと、ドーパミンが出ることをわかっているからだ。だから、友人やSNSの「友達」にもお返しをせねば、という気持ちに駆られてしまう。

どうやら、自分がイイねをもらって感じたドーパミンを返さなければと思ってしまうんだそう。

たしかに受けた恩は返したくなる気持ちもわかるけれど、それを繰り返していると、思考を停止し、自分にとって本当に必要なこと、やりたいこと嬉しいと思うことが分かりづらくなります。

最悪の場合、

自分はやっているんだから、相手も返してしかるべきだ。

なんて思い始める。

記事では、決してリアクションやSNSが悪いと言っているのではなく、その行動を取る自分はそのとき何を感じているのか、意思を持つことを忘れないでほしいと結んでいます。


日常の何気ない行動にも意志を持たせる

SNSに限らずあらゆるところで「惰性で行動してしまう」ことは起こっているなと思います。

友人のひとりは、電車に乗るとまず車内の人々を見回すそうです。なぜかというと、自分がどうすべきかを決めるためなんだとか。

たとえば、困っている人がいれば自分にできることをしよう、役に立とうという思いがあるようで、このこと自体はとても良いことだと私は思います。

ただ、それを自分以外の人にも当たり前のようにやってほしいというのです。

人は生きていく上で1人では生きていけない。人と協力して生きていくものだと言いますが、その意味を譲り合うことが当たり前と捉えてしまうと、生きづらいし、転じて相手への不満とストレスになるだろうなと感じます。

すべての行動に対して「自分がしたいと思ったからした」のであれば、他人に同じことを求める気持ちも起こらないですし、批判する気持ちも起こらないもの。

良いことだからお返ししたい気持ちもわかるけど、表面的な行動をなぞることに意味はないなと思います。

自分本位に生きることは、自分勝手であると捉えられてしまうこともありますが、本質的にはまったく別のことです。今現在の自分の生活の中で、どれほど「自分で選択した場所にいるのか」「自分で選択した行動をしているのか」一度確認してみると、意外とやりたくないことを惰性で続けていることがあります。

実は、そこでエネルギーの無駄遣いをしている可能性もあります。

人は自分本位であればあるほど、自分のやりたいことや必要だと思うことに集中してエネルギーを投入できます。
逆に、やりたくないことをしていると、そこでエネルギーを消耗してしまい、本来やりたいことへのエネルギーが減ってしまうのです。たとえば、SNSでのイイネとか。

エネルギーの消耗は気付かないような小さなところで起こっています。

トイレを我慢していないか? とか、飲食店で食べたいものを「高いから」という理由で諦めていないか? とか、そういった小さなところからチェックしてみるのがオススメです。

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