今期、17期目に突入したリアルソフト。
スマブラ大会が開催されたり、
みんなでマリオカートで遊んだり、
新入社員が社長とゲームをしたり。
社長とメンバーの距離が近いことも魅力の一つ。
一体リアルソフトの社長ってどんな人なの?
そんな疑問にお答えすべく、
リアルソフト社長の人となりから、創業までのストーリー、そしてリアルソフトの今とこれからを3部構成でお届け!
初回であるこの記事では、リアルソフト代表取締役社長・板崎の学生時代から、新卒入社した会社員時代までをどどーんとご紹介します!
リアルソフト代表取締役社長・板崎裕(いたさき ゆたか)
1966年8月生まれO型しし座。広島県出身。
大学卒業後、数社ソフトウェア企業で勤務した後、2005年リアルソフトを設立。
趣味は音楽、バンド活動。ジョンレノンをこよなく愛し丸メガネ歴は25年。
ー愛されて育った少年時代
両親に愛されて育ってきた子供だったと思います。
三交代で働いていた父は夜勤明けでもよく遊んでくれたし、母は家にいて帰宅するといつも優しく迎えてくれました。
私自身も超がつくほどの優等生でしたね。
先生から「板崎くんを見習いなさい」と言われるくらいの(笑)
幼少期の板崎(左)
勉強しなくてもテストの点も良くて…小学6年生の夏期講習から進学塾に行くことになったんですが、入塾テストでいきなりAクラスの10番になったんです。特にそれまで受験勉強をしてきた訳ではないのですが、この結果が自信につながり勉強が面白くて仕方なくなりました。
12歳の夏から中学受験までの半年間は、今までの人生で一番勉強に打ち込んだ時期ですね。
その甲斐あって地元の国立大学付属中学校を受験し見事合格したのですが、なんとクジで落選!
この理不尽な選考方法を受け入れられずかなり落ちこみました。12歳にして人生初めての挫折です(笑)
中学では、小学生の時から続けていた野球部に入りました。
野球部は練習も厳しく、いわゆる「根性でなんとかしろ」という世界で、それが大嫌いでしたね(笑)
先輩が理不尽なことを言ってもそれに従わなければいけない、というのが死ぬほど嫌だったんですけど…、きちんと最後まで野球部にいましたよ。
ビートルズに出会ったのも中学生の時です。幼なじみのお兄さんがビートルズのレコードを譲ってくれて。中学3年生の時、フォークギターを両親に買ってもらいました。初めて弾いた曲は「なごり雪」と「レットイットビー」。今でも好きな曲です。
ーバンド活動に明け暮れた高校生時代。プロの道へ進むつもりだった。
高校は公立の進学校へ進みました。
高校時代は音楽への熱がさらに上がって、輪をかけて勉強しなくなりましたね(笑)
入学直後にエレキギターを手に入れ、仲間を集めてバンドを結成して。
バンド仲間と一緒に学校をサボって喫茶店に行ったり、授業に出ても新曲の歌詞ばかり考えていました。
見知らぬ女子校の子から「ライブを見て好きになりました」とチョコレートをもらったり、学校の後輩からサインを求められたり、ファンもだんだん増えていって、いっぱしのロックスター気取りでした(笑)
そんなバンド中心の高校生活を送っていたので、3年生の中間テストの微分積分は『100点満点中4点』という散々な結果に。さすがに数学の先生にも呆れられたのを覚えています。
板崎17歳。学校をサボっても、テストで最低点を取っても、両親には一度も叱られなかったとか。
最後の進路面談でも「大学に行かずプロのミュージシャンになる」と答えましたが、担任の先生に「世良公則も大阪芸大に行きながら音楽を続けプロになった」と具体的な例を示して諭され、妙に納得し、予定を変更して大学受験をすることにしました。秋も終わる頃だったと思います。
そこから受験勉強を始めたので、当然ですがほとんどの大学で不合格でした。
ー辛うじて合格した大学へ
そんな感じで入った大学でも全く勉強しませんでした。
友達と麻雀したり、談話室に入り浸っていたり…。本当に何やってたんだろう(笑)
そんな3年間が過ぎ、このままでは流石にダメになると思ったんですよね。
大学4年生時にはきちんと研究室に通いました。朝9時から夕方5時過ぎまで毎日です。
そこでは私がリーダーとなり、レイトレーシングという手法によるコンピュータグラフィックスの研究を行いました。
その当時研究室にあった最新のパソコンを使っても計算に一晩かかるもので、昼間に研究室メンバーでプログラミングをし、帰り際にプログラムを動かし、翌朝に結果を見る。
これを一年間毎日休みなく繰り返しました。
授業にも出ないようなダメ学生がリーダーを務める研究チームなので、担当教授も全く期待していなかったと思います(笑)
しかし一年間努力すれば相応の結果は出せるもので、卒業研究発表会では驚かれたのと同時に絶賛してもらえました。
ダメダメ学生だったんですけど、就活はきちんとしていて(笑)
その当時にしては、めちゃめちゃ早く就活を始めましたね。大学3年生の2月にはもう内定をもらっていました。
中堅のソフトハウスに的を絞って、企業ごとの特徴をノートにまとめてから話を聞きにいって。
そうした活動の結果、エントリーした会社全てから内定をもらいました。
当時はバブル期だったのもあって、理系というだけで就職には強かったんです。
ー新卒で中堅のソフトハウスに入社
自分の人生の中でちゃんと勉強したのって、小学校6年生の夏休みからの半年と大学4年生時の1年間、それから新卒入社後の新人研修期間のみなんですよね。ここだけは本当に一生懸命勉強しました。
まぁそれ以外は全く勉強してなかったんですけど(笑)
研修中は一生懸命やっていたのでそこそこ出来るグループに入っていたのですが、無駄な勉強はしたくないという思いが常々ありました。なので、丸覚えしろという課題は一切やってなかったです。
「コンピュータの会社に入ったのに、丸覚えってなに?コピーすればいいじゃん!」って思ってました(笑)
当時の教育担当者からは嫌な目で見られていましたが、それでも我が道を通しました。
そのおかげか、講師の先輩とは良い関係を築くことができましたね。その会社でリアルソフトの現役員とも出会っています。
その会社で初めて配属されたのは松下通信工業(現パナソニックモバイル)のプロジェクトでした。
当時のお客様や上司とはいまでもお付き合いがあるほど可愛がってもらいました。
自分でいうのもなんですが、そこそこ仕事が出来たので(笑)
直属の上司からも可愛がってもらってボーナスもどんどん上がっていきましたね。
入社3年目で新卒の部下を率いるリーダーを任されたり、とにかく仕事は順調でした。
と、いうことで今回はここまで!
社長の人となりを詳しくご紹介できたのではないでしょうか。
次回は、社会人となった社長・板崎がリアルソフトを立ち上げるまでの創業ストーリーに迫ります!
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