プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)は1995年に設立しました。創立者、林壽夫に会社を立ち上げたときの思いとこれからを聞きました。
PAとの出会い
プロジェクトアドベンチャー(PA)との出会いは1冊の本でした。カール・ロンキという人が書いた「Cowstails and Cobras」です。アメリカの公立高校でPAが始まった頃のことが書いてあるのですが、校舎から地面に向かってジップラインを設置して滑ってみたり、とにかく面白い。こんな面白いことをいつか仕事にしたいというのが始まりでした。
PAを日本に持ってきたいと思っても、25年くらい前なのでメールなんてありませんから、まずPAの本部(アメリカ)に手紙を書いたんです。でも返事が来ない。だいぶ経ってからやっと返事が来て、新しいコースを建てているから見に来ないかというお誘いでした。それに乗ってシンガポールに行ってきました。
そこで初めてロープスコースを体験しました。「パンパーポール(高さ8mくらいの丸太からジャンプするエレメント)」をやったのですが、とにかく怖い。でも思い切ってやってみると強烈な初体験になりました。このプログラムをなんとか日本で活かしたいと思いました。
なぜPAなのか
PAを日本に紹介したいと思った背景には、大学生のときからやっていた登山とYMCAでの活動(キャンプ)があります。キャンプでは普通では行かないルート、道がないところを行く山登りなどを子どもたちとしていました。そういうプロセスの中で、子どもたちがアドベンチャーをやると変わってくる、アドベンチャーには不思議な力があるぞという実感がありました。
子どもの頃、私自身は毎日小学校に行くのが楽しくて仕方がなかった。でもPAJを設立する頃、日本では不登校やいじめの問題がたくさん起きていて、それをなんとか変えたいと思いました。学校は絶対に楽しいところであるということを多くの先生に伝えていき、良くしていって欲しいと思ったのです。
PAを使ってやっていきたいこと
大きな器をつくることです。自分と対立する人の意見を受けとめる、広い視野を持つ、それが器です。器が大きければ小さなことにキレないし、小さなことに悩まないで済みます。
学校はとてもよい学びの場です。自分と対立する意見を排除するのではなく、相手の考えを受けとめる。そして場合によってはそれを自分の中に受け入れる。それには今まで自分が作ってきた考え方を構成している大事なパーツを入れ替えることが必要になります。この入れ替えは誰にとっても大変なアドベンチャーです。ものすごい不安を克服しなければなりません。こうした葛藤を経て人は少しづつ器を大きくしていきます。
設立から20年経って
PAプログラムやロープスコースの他に、アドベンチャーパークやジップラインにも力を入れるようになりました。これは、アドベンチャーにはそれだけでも人の本能を揺さぶる働きがあると思っているからです。本能の中にはお互いに助け合うという機能が含まれているはずです。でも今、社会が安全になりすぎてしまって本能が動き出す機会がなくなり、錆びついてしまっているように感じます。本当はファシリテーションも含めてアドベンチャーを体験してほしいのですが、お互いに助け合うという本能が動き出すだけでも、一歩前進です。少しでも人の社会が豊かなものにしていくためには今後とも進めていきたいです。
(20180122)