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【代表ストーリー・前編】「親元を離れてやんちゃしたい」そんな彼が一念発起して父の経営する会社へ

2016年4月より父からバトンを受け、株式会社オレンジ社の代表取締役に就任した谷 順一郎。

「親元を離れてやんちゃしたかった」と語る彼のこれまでと、経営者になる覚悟を決めたきっかけとなったエピソードについて、前編と後編にわけて掘り下げていきます。

前編では、谷社長の学生時代からオレンジ社に入社した当初のストーリーをご紹介いたします!


【代表プロフィール】
2003年3月に大学を卒業後、独立系システム会社に入社。ERPシステムの導入・運用コンサルに携わる。2006年3月に同社を退職後、翌4月に株式会社オレンジ社に入社。営業担当として上場企業を中心に幅広いクライアントを担当。その後、外国語コミュニケーション事業の統括責任者を歴任し、新規事業の立ち上げなどにも携わる。2016年より代表取締役に就任。



学生時代は英語の教員を目指していた

まずは谷社長のご経歴や学生時代について教えてください!

4人兄弟の長男として育ちました。都内の中高一貫校に入学し、中学・高校時代は野球漬けの毎日。真面目な性格が評価され、高校3年ではキャプテンを務めました

大学は兵庫県の西宮市にある関西学院大学に通いました。


なぜ関東の大学ではなく、関西の大学に行かれたんでしょうか。

高校の頃は、英語の先生になりたいと思っていました。

関学では多くの学部で英語の教職課程を受けられたので、商学部でマーケティングを学びながら教師を目指せるところに魅力を感じたんです。

でも一番の理由は、親元を離れてひとりでやってみたいという思いが強かったからかもしれません(笑)


そんな理由があったんですね!大学時代はどのように過ごしていましたか?

大学では英語研究部という部活のディベートセクションに入り、4年間、活動していました。

3年生の頃には、セクションチーフも任せてもらいました。

部活で知り合った仲間に恵まれて、授業よりもそちらの活動に力を入れていましたね。

両親への恩返しのためにオレンジ社へ。

卒業後はどのような進路を歩まれたのでしょうか。

まずは社会人としていろんな経験を積むために、独立系のシステム会社に入社しました。

前職ではシステムコンサルタントとして、大手メーカーのERPシステムの導入を支援したり、ブリッジSEとして海外のエンジニアとやり取りしたり。

クライアントと話すのが得意だったので、要件定義や設計をメインに行っていました。


「親元を離れたい」と思っていた谷社長が、お父様が経営するオレンジ社に入社しようと思ったきっかけは何ですか?

大学の友人との出会いです。

3人兄弟の長男の彼は「自分は両親に無理を言って私立大学に通わせてもらったから、一流の会社に勤めて両親に恩返しをしたい」と話してくれました。

大学に進学するとき、そこまで深く考えていなかった自分にとってその話は衝撃的で。これまで何不自由なく生活をして大学にまで通わせてもらえたのは、両親が会社を起業して頑張ってくれたからだと気づいたんです。

さすがに社会人になってまで自分の好き勝手やるわけにはいかないな…。

そんな感情が芽生えました。いずれは両親の会社でその恩に報いるのが自分の果たすべき役目だと、自然に腹に落ちました。


そんな経緯があったんですね。その頃から代表を引き継ぐことも決めていたのでしょうか。

当時、そこまで具体的に考えていなかったと思います。両親も元気でしたし。ただ、社会人になって3年したらオレンジ社に戻ろうとは決めて就職活動をしていました。

だから、入社する会社ではできるだけ多くのことを学ぼうと決めていたんです。海外出張やプロジェクトリーダーなども自分から志願して、幅広く経験を積ませもらいました。



オレンジ社に入社した当時は、どのような仕事をされていたのですか。

営業としてキャリアをスタートしました。初めの頃は、ホームページのリニューアルをメインに提案していたのですが、まったく成果が出なかったんです。正直、毎日が試行錯誤の連続でした。

そんな時、上司から「もっとお客様を大切にしなさい!」と指導を受けたのですが、その意味が全く分からなくて…。何をどうすればいいのか見当もつかず、上司の営業に同行させてもらうことにしたんです。

最初は驚きました。上司は営業先で、仕事の話はほとんどしないんです。むしろ、お客様と趣味やプライベートの話ばかりしているんですよ。それなのに、最後にはお客様の方から「実はこんな仕事の相談が…」と声をかけてくれるんです。

ますます謎が深まりました。なぜ営業らしいことをしないのに、こんなに相談をもらえるのか…。しびれを切らした僕は、ついに上司に「どうして仕事の話をしなくても、そんなに相談をいただけるのですか?」と尋ねてしまいました。


上司の答えはどのようなものだったのですか?

上司は「お客様も人間だからね。本当に信用できる相手にしか人は相談しないでしょ。営業は販売することよりも、信用を積み重ねることが大切なんだよ。」と教えてくれました。

それまでのお客様をただの販売先としてしか見ていなかった自分には、耳の痛い話でしたね。要するに、僕が相談をもらえなかったのは、人として信用されていなかったからだと気づいたんです。


その気づきから、谷社長にどのような変化があったのでしょうか?

猛烈に反省しましたよ。そして、本気で「もっとお客様を大切にし、信用される営業になろう」と決意しました。特に、お客様の話に意識的に耳を傾けるよう心がけることから始めました。自分の話に関心を持って聞いてくれる相手には、自然と親近感が湧くじゃないですか。

お客様の話に耳を傾けることで、その方が大切にしている価値観や逆にストレスを感じていることも少しずつ理解できるようになりました。さらに、その人となりが分かってくると、お客様が言葉にできない課題や悩みも見えてくるんです。

それをお客様に伝えてみると、「詳しく話を聞きたい」とお客様の反応が変わってくるのが分かりました。それまで一方通行だったコミュニケーションが、双方向の対話に変わり、お客様との距離がぐっと縮まった瞬間でした。


それは大きな前進ですね!その経験から、どのような学びがありましたか?

上司が言っていた「お客様を大切にする」とはこういうことなんだと、ようやく理解しました。お客様のことをよく知り、その人が本当に困っていることに親身になって解決を図ること。それこそが営業の本分であり、信頼を築くために不可欠なことだと学びました。

その営業の基礎を習得することで、以前は売れなかった自分も少しずつお客様からの相談をいただけるようになりました。

お客様との信頼関係を築くことで、ただの営業マンから、心を通わせるパートナーへと成長できたと感じています。



前編では、谷社長の学生時代からオレンジ社に入社した当初のストーリーに迫りました。後編では、谷社長が代表に就任した際のエピソードをご紹介します。

コロナ禍での絶体絶命!…からの大逆転や、今後の展望について語っていただきます。ぜひ後編もご覧ください!

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