山口県から上京し総合商社へ入社。その後、会社を退社し、29歳にして経営者となった兼廣。彼はどんな人物なのか?縁もゆかりもない愛知県の中小企業を事業承継し何をするのか?(聞き手:管理部人事担当 安藤)
ツッコミどころ満載?の「社長の履歴書」
【安藤】社長インタビュー第一弾ということで、先ずは兼廣さんの経歴について教えてください。
【兼廣】私は、父親が地方メーカー勤務、母親がパートという、あまり特徴のない家庭で育ちました。
その後、地元の山口大学に入ったのですが、「ゼミは仕事だ」という半分ブラックな(その分得られることの方が多かったですが)ゼミに入って2年間図書館に籠りっぱなしになったり、海外留学に行っていたりしました。
そして、その中で「将来、若いうちからグローバルな環境で経営をしたい」という方向性が見えてきたので、当時ベストな選択肢と考えた双日株式会社(”双日”)に新卒で入社しました。
双日では絶対にIT領域の営業部隊で働きたいと考えていたので、内定者時代から色々と頑張りました。そして結果、希望通りの配属にしてもらうことができました。
入社後は、「とにかくやってみる」をモットーにモーレツに働き勉強しました。
その中で、海外営業、M&A、新規事業開発、プロジェクトマネジメント等の多様な経験を積まさせてもらいました。また、良い人ばかりで、早期にマネジメント経験も積め、仕事も充実していたので、最高の環境でした。
ただ、様々な経験を積む中で社外に出てチャレンジしたいと思うようになり、双日は2021年7月に退職し、日本事業承継アントレプレナーズと共にサーチファンド活動(*)を開始しました。
その中で縁があったのが愛知県の中小企業であるM&Cでした。
2022年10月に事業承継し、東京のど真ん中から一家4人で愛知県に引っ越してきて、今に至ります。
(*)サーチファンドとは:経営者を目指す個人が、投資家の支援を受けながら自分が経営したい会社を探し、買収する仕組み。
”子育て”をキッカケに、縁も所縁もなかった愛知県の中小企業の社長に就任?
【安藤】節々にツッコミどころがありますよね。ちょっと論点を絞って、先ず「なぜ双日を辞められたのか」教えてもらえますか?
【兼廣】先ほどお話しした通り、2017年から働いていて、仕事については非常に充実していました。また、周りの人も本当に良い人ばかりでした。
そのような中、2020年頃から第一子の子育てが本格化し(2022年からは第二子も)、これがターニングポイントになりました。
私の信条として「人生を充実させる選択肢を取り続ける。どれだけ大変でも」というものがあり、その重要な要素の1つが「家族」だと考えていました。
そこで、妻と協力しながら子育てにも全力で邁進する中で、「この子たちが大人になる20年後により良い未来を残したい」、「本当にやりたいことをやってチャレンジしている背中を見せ続けたい」という想いが強くなりました。
この時に「だったら、今チャレンジしよう」と考え双日を退職し、サーチ活動を開始しました。
【安藤】元々経営者になろうという想いがあった中、子育てをキッカケにチャレンジされたんですね。
事業承継の決め手は、「ニッチトップ事業の基盤」と「飛躍の可能性」
【安藤】兼廣さんは商社出身で、製造業の経験はないですよね?なぜ製造業メーカーであるM&Cを事業承継されたのですか?
【兼廣】商社時代にあるニッチトップメーカー様との事業を担当していた時期があり、その中で、製造業がグローバルに日本が強みを発揮できる領域の1つでありデジタル化・営業/マーケティングの強化等の成長ポテンシャルも大いにあると考えたためです。
【安藤】サーチ活動中は沢山の企業を見られたのですよね?その中からM&Cに決めた理由は何だったのでしょうか?
【兼廣】大きく2つあります。
1つ目は、「ニッチトップ事業の基盤」です。M&Cは、ばね製造装置というニッチだがNo.1の領域を持っており、これは事業の安定性の観点から非常に重要だと考えていました。
2つ目は、「成長ポテンシャル」です。自動化というより大きな観点から市場を捉えた時に、働き手の不足というトレンドがある中で構造的に継続成長していくとみられ、M&Cのロボットシステムインテグレーションの強みを活かした新規事業を仕掛けられれば、大きく成長するのではないかと考えました。
【安藤】この時点では、具体的な新規事業プランは決めておらず、「えいや」で飛び込んだ格好ですね。
【兼廣】そうですね(笑)
今、兼廣はどんなチャレンジをしているのか? Vo.2へ続く・・