”体育会系”の学生生活を送った社員の、これまでの歩みを紹介してきた本コーナー。
今回は、幼少期から大学卒業まで野球に打ち込み、現在は若手営業マンとして活躍中の入社2年目のメンバーにインタビューを行いました。
アスリートの方はご自身の経験と重ね合わせながら、そうでない方でも学生から社会人に至るまでの変化とはどういうものなのかを感じとりながら、ぜひご一読ください!
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【目次】
1.競技人生を振り返る
・小学校時代に感じたピッチャーの責任感
・中学時代は世界大会に出場
・特待生として高校進学
・大きな転機が訪れた大学時代
2.社会人になってみて思うこと
・「営業をやりたい」と思った理由
・入社後の現実と成し遂げたこと
3.今後の展望
□プロフィール
栗本 勇治(Kurimoto Yuji)
神奈川県出身。桐蔭横浜大学卒。
2019年4月にMJEに新卒7期生として入社。ITS事業部※に配属され、現在は大阪営業所に勤務。
※ITS事業部……当社のICT事業本部(情報通信領域)のうち、主にIT機器の提案や導入、宣伝プロモーションツールである看板型デザイン自販機「bord station」の販売を行う事業部。当社では最も多くのメンバーが所属している。
1.競技人生を振り返る
□小学校時代に感じたピッチャーの責任感
ーー野球を始めた時期について教えてください
小学校2年生の夏から始めて、大学4年生の秋まで続けていました。きっかけは兄がソフトボールをやっていたことです。兄がソフトボールから野球に転向するとなって、少しだけ競技に触れてみたら面白くて、「僕も野球をやろうかな」と、地元のクラブチームに所属しました。
ーー差し支えなければ、チームの成績を教えていただけますか?
自慢ではありませんが当時は結構強くて、地元の横須賀市で一番でしたし、あとは「マクドナルド杯」という、小学生チームの全国大会にも県大会を突破して出場していました。
ーー実力があるとなると、練習も大変だったのでは?
振り返るとハードだったのかもしれませんが、練習がない平日の学校終わりにも遊びで野球してたくらいなので、好きだったんだと思います。
もっとも、しんどいと感じることもありました。
小学校の時から高校の途中までポジションがピッチャーだったのですが、小学校の頃はチーム力以上に個々の能力が勝敗に関わってきます。
特にピッチャーの力量の有無はそのまま勝敗に結び付くので、この頃からチームに対する責任感を持ち始めました。
あとは父親の練習がかなり厳しくて、例えば、実家が海に近かったので足腰を鍛えるために海岸沿いを地下足袋で走らされたりしました。
ーーそれは……痛そうですし、かなりハードですね……
□中学時代は世界大会に出場
ーー中学校時代にかなりの成績を残されていたとお聞きしました。
そうですね、隣の市の軟式野球のクラブチームに所属していたのですが、まず市大会と県大会で優勝しました。
その後は準硬式っていうまた違うボールで戦う全国大会に出場できるのですが、30~40チームある中で優勝し、世界大会に出場することができました。
ーーすごいです。となると野球漬けの日々ですよね……
実は練習日が土日+平日1日だったこともあって、意外と他のこともやっていました。
負けず嫌いな性格が影響して、中学校でも他の部活・陸上部に所属していました。駅伝に出場したりもしていましたね。
あとは、ちょっと遊びたい時期でもあったので、やんちゃなことをして生徒指導の先生にものすごく怒られたりもしました。
野球は真面目にやっていた分、日々の学校生活で不真面目に過ごすこともあったので、よく叱られていました。当時はめちゃめちゃ怖い先生だなって思っていましたけど、今では間違いを正してくれたことに感謝しています。
その先生から言われた「もっと親に恩返ししろよ」っていう言葉は今でもすごく心に残っています。
□特待生として高校進学
高校は野球の特待生として入学し、1年生の時からレギュラーとして活動していました。
野球がすごく強い学校ではなかったのですが、その学校の指導者と中学校1年生の時から交流があったのと、あとは横須賀市の高校はこれまで甲子園出場経験が無かったので、その第一号になりたい、という気持ちがあり横須賀市の学校に進学しました。
そこの練習も中々ハードで、例えば、監督や指導者の繋がりから電車で15駅ほど隣の高校とよく練習試合をしていたのですが、試合に負けると相手の学校から自分の学校まで走って帰らされたりしていましたね。
ーー神奈川県は野球の強豪校が集中してますよね。そしてまたも走っているエピソードが……。当時、不満に思ったり納得が行かないと思ったことはありませんでしたか?
「野球ってここまで走る必要ってあるのかな?」など、当時疑問に思うことは結構ありました。
そこで、高校3年生で副キャプテンになったタイミングで、「本当に僕たちに足りないもの」を改善できる練習メニュー案を作成し、監督や指導者に提案を行いました。
その案は実際に採用されて、能力の改善に繋がりました。
ーーチーム全体のことを考えた振る舞いができたのはなぜですか?
そうですね、元々得意にしていた……というだけかもしれません。
高校の途中に監督の勧めでピッチャーからキャッチャーにポジションを変更したのですが、勧められた理由が二つあって、バッティングともう一つ、視野の広さを評価してもらえた点がありました。
ーーもしかして野球以外の場所でもそういう役割になりがちですか?
あ、そうですね。地元の忘年会とかほとんど僕が幹事をやっていますね……。
出来る人がいるのであれば任せたいんですけど、自分がパッと決めて動かす方が早いよなとつい思ってしまいがちです(笑)。
もっとも大阪に来てからは、飲み会等をやる場合より詳しい大阪の皆さんにお任せすることが多いですけどね。
□大きな転機が訪れた大学時代
ーー桐蔭横浜大学を進学先に選ばれた理由を教えてください。
今までより少しレベルの高い環境で野球をやりたい気持ちと、大学の方が高校時代から気にかけてくれたスポーツ推薦で桐蔭横浜大学に進学しました。
また、高校の時にプロ野球のスカウトの方が練習を見に来てくれた経験もあって、その時はドラフトまでは行かなかったんですけど、大学で花が咲けばプロへの道が開くかも……とも考えていました。もしプロへの挑戦が難しかった場合は、社会人野球の道に進もうとも計画していました。
ーー実際に大学での成績をお伺いしても良いでしょうか。
それが、大学1年生に脚の骨折をしてしまって、2年半野球が出来ませんでした。
ーーそんなことが……。
骨折だけだったら3ヶ月で治る予定だったのですが、治療中の傷口にウイルスが入り、感染症も併発してしまい、それが長引いて2年以上かかってしまいました。
「感染症がひどい場合、脚を切断する可能性もある」と医者から言われた時は恐怖を覚えました。それから、ある年のクリスマス~1月末まで個室に隔離されていた時期もありましたし、かなり大変な思いをしながら治療とリハビリを行いました。
怪我をしたのが、試合で結果を残して一軍に上がった直後だったので「このタイミングで」と心が折れそうになることも正直ありました。
上半身のトレーニング動画をパソコンで見ながら、病床でもできることをやり続けた後、3年生の春に試合に復帰しました。
ーー実際に競技してみてどうでしたか。
全く思った通りのプレーが出来ませんでした。走ることすら難しかったですし、後遺症で足首が曲がってしまったみたいで、これ以上競技を続けるのは無理だ、と自覚しました。
ーーその状況をどなたかに相談しましたか。
親ですね。ずっと野球をやらせてもらっていた恩がありますし、まず相談しました。
実は大学受験時は当初野球推薦ではなく、一般入試で進学しようと考えていました。野球は高校までに結構頑張ったし、他のこともやりたかったので。
ですが、プレーする姿を親が喜んでくれているのを見て「野球をやることが親孝行だ」と思い直して進学したので、競技を辞めるかどうか悩みました。
一方で、親から「ここで諦めるのは早いんじゃないのか」と言われたものの、競技をする中で一番身体の限界を感じたのも自分自身でした。
そこで、大学の野球部は引退せず最後まで続けながらも、プロの道は諦め一般企業に就職することに決めました。それが大学3年生の12月、MJEと会う少し前です。
2.社会人になってみて思うこと
□「営業をやりたい」と思った理由
就活を開始して、まず参加したのが体育会系の合同説明会でした。その説明会で一番初めにブースに呼ばれて、話を聞いたのがMJEです。
ーー就活で最初に出会った企業がMJEだったんですね……。12月にお会いして以後、どのように就活を進められてきましたか?
初めから営業がしたいと考えていたこともあり、MJEの選考に進み、4月に内定が出ました。あとは興味があった不動産業界の企業からいくつか内定をいただいたり、軟式野球のチームで選手兼会社員として働くことも検討したりもしましたが、最終的にはよく話を聞いた上でMJEに決めました。
ーー具体的にMJEのどのような話を聞いたのですか?
MJEの選考が進むにつれ、「どんなことをやっている会社なのか」という企業説明を聞ききれていなかったな、という不安も出てきました。そこで、より詳しい事業内容や業務内容を改めて聞きました。説明を受けたことで「自分は営業職に挑戦したい」という気持ちがクリアになりました。
特にいいな、と思ったのは、MJEの場合は新卒1年目であっても、会社のトップ=社長に対して営業を行える点です。
僕が営業をしたい理由は、この先自分が生きていく上で必要なのは”もの”を売る力
だと考えたからでした。自分で付加価値をつけて相手に提案する力こそが社会人には必要。早くからトップに対して営業することができる環境であれば実力を身につけることができると思いました。
あとは、はじめて会った時から採用担当、特に池田さんにはずっとお世話になっていて、社員の雰囲気に惹かれたというのも(MJEに)決めた理由の1つです。
□入社後の現実と成し遂げたこと
ーーとはいえ実際に営業部に配属されるとなると、採用担当と一緒に働くわけではありません。 入社前と後で「思っていたのと違うな」と感じたことはありましたか?
それで言うと、体育会らしい雰囲気が強かったことが違いです。ただ、僕の場合はむしろ良い意味でギャップに感じました。
実際に、同じチームの1つ上の先輩や同期にも野球部出身のメンバーがいたので、話がしやすかったです。大変なことをあげるなら、やはり業務内容ですね。「毎月営業担当として成果を上げるのは大変だ」と入社前に聞いてはいたのですが、自分でやってみて改めて簡単じゃないなと感じました。
ーー業務にあたる上で、モチベーションの上がり下がり等はありましたか?
先日、2020年の10月までは、毎月課せられる目標売上を達成していたので、かなり良いコンディションで仕事に取り組めていました。
一方で直近2ヵ月は目標未達成が続いてしまったので、危機感を覚えています。
営業マンの中には、毎回継続的に目標を達成している方もいて、その人たちは本当にすごいと感じます。
ーー遡って、2019年(入社1年目)の時は、どのような心境で仕事に取り組んでいましたか?
そうですね、「しんどいな」と思う時期ももちろんありました。
営業マンの1年目は、①自分が電話(テレアポイント)で商談の約束をしたお客様のもとに営業担当が提案に行き、お取引が決まる ②自分がお客様先に行き商談を行いお取引が決まる のどちらかを達成すると「初受注」といって周囲の方に祝っていただけるのですが、僕はその「初受注」できた時期が一番遅く、8月頃だったので、それまで大変な思いをしていました。
はじめてご契約いただけた時、周りの先輩方が喜んでくれたことが本当に嬉しかったです。
ーー1年目当時、栗本くんと話していてもネガティブさや「大変だ」みたいな弱音を全然表に出している印象がなかったので、そう考えていたなんて知りませんでした。実際にご契約をいただけた成功要因があれば教えてください。
入社当初は、お電話の際「お客様に時間をいただく」ところまでで精一杯だったのですが、ご契約いただけた時は、商談のお時間をいただいてから、当日の営業の終わりにお客様が「やりましょう」と言っていただけるまでの道のりがイメージできた上でご提案できたことが違いでした。
上司の方に手伝ってもらい、お電話の段階で具体的なお話を進められたこともあって、先ほどのパターンで言う、②の「自分がお客様先に行き商談を行う」形ではじめてのご契約がいただけました。
ーー初契約が”自己営業”という、より難易度が高い目標をクリアされたのですね。電話中に商談がイメージできるようになったのはなぜでしょうか。
上司の方から、営業の考え方の部分を教わったことが大きかったです。
「こんなことを言った方がいい」というアドバイスももちろんですが、ただ単に自分が言いたいことを言うだけではいけない、という気付きを与えていただきました。
僕たちの提案の切り口の一つに「経費削減」があるのですが、お客様からしたら「安くなる」という電話は今までに何百回と受けているはずです。
安いかどうかだけだともちろん聞いていただけないので、お客様にとって僕たちと契約することでどのようなメリットがあるのか?という事をお伝えする必要があります。
3.今後の展望
ーー栗本さんが考える、学生と社会人の違いとは何でしょうか
学生アルバイトと社会人の違いと言えますが、責任感の形が大きく変わりました。
個人の売上目標が所属エリアの目標になって、エリアの合計がさらに大きな集団であるブロックの目標になって……というように、個人個人の成果の積み上げによって、会社の売上は作られています。
会社に所属している以上、いち構成員である自分自身にはっきりと責任があります。もちろん何も成果を残さなくても、一定額のお給料は貰えますが、貰えてラッキーだと思うのではなく、悔しい気持ちや「このままでは良くない」という危惧は持つべきだと思います。
ーーありがとうございます。現在2年目の後半ですが、直近の目標があれば教えてください。
2020年の下半期から少し組織が変わり、入社3年目のリーダーと僕、それから新卒1年目という、非常に若い3人チームに所属することになりました。
年齢が近い分一体感があり、成果を上げている時は非常に活気づいているのですが、半面調子が良くない時は全員落ち込んでしまう傾向があります。
今後は僕が先陣を切って、リーダーと新卒生、どちらの助けにもなるように動いていきたいです!