学生時代をはじめ、数多くの場面で見受けられる「先輩と後輩」の関係性。
そして社会人における「上司と部下」の関係性。この2つに違いはあるのでしょうか?
今回は、入社前からの先輩後輩同士で、現在お互いに第一線で活躍している入社5年目と4年目の社員のクロストークをお届けします。
■プロフィール
▲山田 優日(Yamada Yuhi)
大阪府出身。近畿大学卒。
2016年4月にMJEに新卒4期生として入社。ITS事業部※大阪に配属されたのち、2018年4月から現在まで同事業部大阪第一エリアの責任者を務めている。高校時代は野球部の副キャプテンを務めていた。
▲中谷 和弘(Nakatani Kazuhiro)
大阪府出身。大阪商業大学卒。
2017年4月にMJEに新卒5期生として入社。入社から2020年9月まではITS事業部※大阪に所属していたが、2020年10月より同事業部奈良支店に異動。高校時代は野球部のキャプテンを務めていた。
※ITS事業部…当社のICT事業本部(情報通信領域)のうち、主にIT機器の提案や導入、宣伝プロモーションツールである看板型自動販売機「BordStation」の販売を行う事業部。
当社では最も多くのメンバーが所属している。
■出会ったのは、大学生時代のアルバイト
ーーお二人の先輩後輩関係は、何がきっかけで生まれたのですか?
山田:カズ、説明よろしく(笑)
中谷:了解です(笑)
大学の時にアルバイトで同じ居酒屋に勤務していたことがきっかけです。
とはいえ入るシフトが違っていたので、今ほど強い関係性では無かったのですが、当時から「頼れる人だ」という印象がありました。
山田:ほんまかいな(笑)
中谷:本当です!プライベートでも飲みに連れてくださってましたし!
山田:バイト先全体がすごく仲良かったよな。営業時間終わってからそのままお店に残って飲んだりもしてた。
中谷:そうでしたね。
ーーちなみに、お二人は通っていた大学は同じでしたか?
山田:いや、違いました。バイト先だけでの繋がりです。
ーーそんな関係性でありながら、中谷さんの就職活動の時に、山田さんがMJEのことを紹介してくれたんですよね。
中谷:確か優日さんから「就活状況ってどんな感じ?」と声をかけていただいて、せっかくだから一回うち見てみなよ……という紹介で、MJEの会社説明会に参加しました。
元々金融業界、特に証券会社に行きたかったので、MJEにもはじめは行く気が無かったのですが、説明会で……この会社に一目惚れしてしまって、選考を受けることにしました。
最終的には業界や事業内容ではなく、自分のを直感を信じてMJEに入社することを選びました。
ーー山田さんはどのようにMJEのことを紹介しましたか?
山田:はじめて話した時は、僕がまだ内定者~入社直後だったので、その当時に魅力に感じていた部分「人が良くて」「お洒落な感じで」みたいなことを思いっきり伝えていたと思います。
ただ、実際に働きはじめてからは「想像と違うことも多かった」と話していました。
華やかかと思ったけど営業は泥臭いとか、まずはとにかく電話をするところから始まるからしんどい、とか。あとは、中谷が入った2017年以降は環境が変わっていったのですが、僕が入社した年は今と比べて上司からの指導がかなり厳しかったので、そこを大変だと思っていたことも話しました。一方で、「人の良さは入社後も感じる」という話も併せて伝えていました。
中谷:僕は優日さんから事前に話を詳しく聞いていたので、入社してから違和感は感じなかったですね。
山田:「内定しました」と6月~7月頃連絡をもらい、後輩が入ってくることが決まった時に、バイト先ではバイトリーダーもやっていて、「頼れる」っていうイメージをもらっていたのに、「役職についてないままだったらダサい」と強い危機感を覚えました。
その当時全くといっていいほど売れていなかったのですが、死に物狂いで努力して、何とか一つ上の役職に上がりました。
ーーこちらの話って、中谷さんは知っていましたか?
中谷:はい、聞いていました。
山田:カズがいなかったら今の立場は無いし、会社を辞めていた可能性も高い。本当に感謝してます。
■後輩入社後、2人に訪れた変化。
ーー2017年に中谷さんが入社した後、2人は同じチームでしたか?
中谷:いや、最初の1年は違いました。
山田:それぞれ別のマネージャーの元で働いていました。 隣のチームでしたが、中谷のことは気にかけていて、ほぼ毎日声かけて一緒に帰っていました。とはいえ正直な話、当時は僕も中谷も今ほど本気で取り組めていなくて、元々仲良い先輩後輩といった関係のままでした。
中谷:そんな感じでしたね。
ーーここ数年の2人の姿からは想像できません。現在のようなマインドで仕事に取り組むようになったのはいつ頃ですか?
山田:2018年4月(山田さん3年目、中谷さん2年目)からです。その時僕がマネージャーに昇格して同じチームで仕事をするようになって、厳しく言うようになりました。
この時に責任範囲が大きく広がったので、前年のような気持ちではなく、絶対に予算を達成させて会社に利益で貢献するべきだ、と強く思いました。
中谷:2年目になって、僕自身も「頑張らなあかんな」って思うようになりました。
営業マンとしてのスタンスが変化した、ターニングポイントがあったのもこの時でした。
ーーぜひ教えてください。
中谷:ある日、石川県のお客様へ営業に行く機会がありました。大きな金額だから絶対にご契約をいただきたいし、遠方のため何かあった時にすぐ助けてもらえない。この状況で1人で営業に行く勇気が持てなくて「優日さん、一緒に来てください」って何度もお願いしていました。
ですが「お前1人で出来るから行ってこい」と、1人で行く指示を変えてもらえませんでした。この時に覚悟を決めて営業に出かけたことで、僕自身も変わりましたし、優日さんへの見方も変わりました。
以前から慕っていた方ですが、「この人の言うことは本当だ」「この人の言ってるように頑張ったら僕も出来るようになる。変われるんだ。」とその時に改めて実感しました。
ーーちなみにその営業でご契約は…?
中谷:ご契約いただくことが出来ました!
ーー凄い!当時の心境を山田さんは覚えていますか?
山田:覚えています。本来であれば、僕が一緒に行くか、すでに成果を残している他の営業マンに任せた方が良い場面ではあったので、僕自身も内心「大丈夫だろうか」と怖い気持ちはありました。
ただ、いつまでも助けていてもキリが無いし、本人のためになりません。
中谷は当時からたくさんの強みを持っていたのですが、当時はいかんせん弱気な部分があって。上司と行くことで自分の成果が半分になるとしても、より確実にご契約いただける方がいいとこの時も考えていたと思います。
ですが、そろそろ覚悟を決めて花咲かせてもらいたいと思ったので、入念に準備をして、1人で行ってもらいました。
僕の持論に「いかにマネージャーが営業に行かずに、いかにメンバーだけで予算を達成させるかを追及すべき」というのがあります。トップ一人が頑張る所より、それ以下のメンバー一人ひとりの力で目標達成する組織の方がずっと強い。その意味でもこの一件はいい機会でした。
■もう一つのターニングポイントを経て、圧倒的成果を残す営業マンに成長
ーーそれ以降はずっと同じチームでしたか?
山田:先ほどの一件のあと、実は2018年の上半期中に、僕の同期がマネージャーを行うもう一つのブロックへ中谷には修行しにいってもらいました。
その同期は僕とマネジメントの方針がまた異なるので、ここでもう一皮剥けてほしいなと。ただし「100%のパフォーマンスが発揮できるようになったら絶対に帰って来いよ」と伝えました。
そしたら150%になって2018年の10月に帰ってきてくれました(笑)。「是非とも一緒のチームでやらせてください」ってこっちが言いたくなるくらいの成長でしたね。
10月からのチームは僕含めて5人中2名が当時1年目の新卒だったので、この場合予算達成が本来とても大変になるのですが、中谷がいたので全くそんなことはありませんでした。すごい時だと月別の予算が月初めの一週間で終わったりとか。
中谷:一回ありましたね(笑)。
ーーそこまで変化したなという自覚は中谷さんにはありましたか?
中谷:ありました。ここで「他のブロックに行かせてもらった」こと自体が、自分にとって2つ目のターニングポイントです。
まず、異動する以前はどうしても周りの上司に甘えてしまって、一定以上のパフォーマンスを上げられない状態でした。
異動先の上司は、どちらかというと放任タイプだったので、その方の良い部分を盗み見て取り入れながら、自分の力でどうにかする事がかなり増えました。
そして離れると決まったことで、同じチームで働けない悔しさを味わったことが非常に大きかったです。
優日さんは、必ず自分が責任を持つ組織を達成させるために、確実に成果を出すことができるメンバーを揃える傾向があります。
山田:「必ず成果を出せる組織を作る」ことが僕の、マネージャーの役割だと思っているので、組織編制についてはシビアに考えていますね。
中谷:そこから自分が外れるということで戦力になれていないことを実感し、「もう一度一緒に働けるよう頑張ろう」と思い業務に臨んでいました。
■個人の成長から、組織の成長へ変わった2019年以降
山田:2019年4月に中谷がサブマネージャーに昇格して、さらに厳しく接するようにしていました。
ーー指導が変わったことで、戸惑いはありませんでしたか?
中谷:僕はずっと優日さんの事を見ていたので「こんな人だと思わなかった」といったギャップは一切感じませんでした。
むしろ、優日さんのように厳しくて、その代わりにやるべきことをやったら自由にさせてくれるマネジメントの形式の方が、僕は非常に納得が行くのでやりやすかったです。
ーーサブマネージャーになってみて変化したことはありましたか?
中谷:「組織を運営して成果を残す」ことに対する責任感を強く感じるようになったことが一番の違いです。優日さんからは、部下の教育について等、育成面に関してよく指摘をいただいていました。
山田:”厳しく”とは言っていたのですが、実は成果の部分については毎月予算を達成していたので、あまり指摘するところはありませんでした。
ただ、その達成というのが、中谷1人の頑張りで成立している状態だった。
僕が考えるに、サブマネージャーが予算を達成するのではなく、その下のメンバー達が一人ひとり課せられた予算以上にご契約をいただくことで、チーム全体が予算以上の成果に着地する状態が組織の理想だと思っています。
なので「このままだったらカズ一人がずっと走らなければいけない。だから部下を育てるべきだ」と話していました。
ーー2019年は、営業表彰に上がるメンバーが中谷さんを始め山田さんのブロックの方ばかりでした。そこまで成果を出せた理由は何なのでしょうか。
山田:「課された予算を絶対に達成する」という意識を、どこよりも高く持ち続けていたからです。
もちろん僕がかなり厳しく言っている部分なので「あいつうるさいからやらないと」思われていた面もあるかもしれませんが(笑)、単に「やれ」というだけではなく、約束を果たしさえすればだいぶ自由に働いてもらうようにはしています。
自分らしく働くために、とか、お金のため、昇格のため等、どのメンバーも目標を持ってすごく頑張ってくれていたように思います。
中谷:本当にその通りで、達成への執着は誰よりもどこよりも強い自信がありました。ここまで一人ひとりが執着心を持っている組織はそうそう無いと今でもそう思います。
山田:それで言うと、2020年の上半期、前年比で人数が1.5倍になった時は本当に苦しい思いをしました。
予算の額も多く、苦労するだろうとは予想していたのですが、任されるものが大きい=存在を認めてもらえているということなので、組織拡大のお話をいただいたときは嬉しい気持ちでした。しかし、結果的には今までで最も達成ができなかった時期になってしまいました。
同様の規模で動いている下半期からは目標をクリアしているので、あの時はマネジメントが下手だったな、もっとこうするべきだった、と今でも反省しています。
ーー考えられる原因は何かありますか?
山田:目標が大きくなりすぎたことによって、「これは無理かもしれない」と、目標を達成している姿がイメージできなくなってしまったことが一番かもしれません。この弱気さが、部下たちにも伝わってしまったのだと思います。
ーー中谷さんはこの状況をどう感じていましたか?
中谷:「優日さんと同じ立場の、マネージャー目線で仕事しよう」と思って業務にあたっていたので、自分の中でも反省点が色々とありました。
でも、やはり諦めが早かった点が一番良くなかったです。
山田:僕らの良さってそこやもんな。マインドだけは他のどこの組織にも負けない自信があったけど、その時は揺らいでしまった。
同じ状況に陥らないように、今後は策を講じていきます。
■同じチームからの巣立ち
ーーそんなお二人ですが、2020年下半期からは中谷さんが奈良支店に異動され、はじめて拠点から分かれることになりました。今の心境を教えてください。
山田:それは、寂しいしかないよ。
中谷:(笑)
山田:寂しいし、今ではもう、自分の組織が達成するためには絶対になくてはならない存在だったから、できることなら居続けてほしかった。
ですが、中谷の今後のキャリアを考えた時に、今現在マネージャーの数が足りている大阪で、僕の下で働き続けるよりも、これからの可能性がある他の支店に行った方がいいなと思ったので、僕の同期で奈良支店でマネージャーを務める大黒に相談を持ちかけて、異動を決めました。
中谷:この件は以前から話していたことなので、あとは時期の問題だと思っていました。しかし、実際に異動してみて「これが自立か」と現在すごく感じています。
親離れではないですけど、例えるならこれまで頼っていた父親がいなくなってしまったような、そんな気持ちでいます(笑)。
もちろん、拠点長の大黒さんに頼ることもできますが、この先のマネージャー昇格のことを考えると、大黒さんに聞くのではなく、僕自身で解決していかなければなりません。現在は今までやれていなかった仕事にも気を配るようにしています。
山田:こっちはこっちで、中谷が抜けた穴をどうやって埋めるか……現在3年目で、今年度昇格したばかりの若手サブマネージャーもいるので、今までやってくれていた分をどう補うかを考えています。
奈良に行ったら目標達成は大変だろうと思っていたら、すごく成果を上げているし……「僕居ない方がよかった?」って(笑)。
中谷:いやいやいや(笑)。
山田:でも自立して成果を出してくれることは本当に嬉しいです。次のステップに着々と進んでいて、僕自身とても誇らしい気持ちでいます。
いかがでしたでしょうか?
ある地点から仕事に対するスタンスが変わり、今ではMJEの中心的社員になった2人の変化の過程を、感じ取っていただけたのではないでしょうか。
2人がよく口にしていた「絶対に達成する」という意欲ですが、この意識に裏打ちされるように、周りや環境のせいにするような言い方が取材中全く出なかったことがとても印象的でした。
この「諦めない」粘り強さこそが、活躍する社会人に必要な要素なのかもしれません。
また、今回は元々の先輩後輩同士だった2人のエピソードを紹介していますが、山田さんに限らず、MJEの社員には部下の成長を心から願っている者が数多く在籍しています。
よろしければ以下のインタビューも是非ご覧ください。
▽会社に入って以降形成された上司部下・チームの関係はこちらから