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アスリートのセカンドキャリア:空手で3度の日本一を経験した2年目社員にインタビュー

今この記事をお読みの方の中にも、学生時代にハイレベルな環境でスポーツに取り組んできた方がいらっしゃるのではないでしょうか?

弊社には、上記のような”体育会系”の社員が数多く在籍しています。

・どのような選手生活を送ってきた人が
・どのような考えを経て
・現在どのような思いで仕事に取り組んでいるのか

本インタビューでは、今いる社員の過去の競技経験について、徹底的に取材を行いました。
今回登場するのは、5歳から22歳まで空手選手として活躍してきた若手社員です。

この記事の内容が、今まさにキャリアを考えている最中の方のヒントになれば、とても嬉しいです。

▽第二弾記事はコチラ

アスリートのセカンドキャリア:逃れられなかった野球の道と、偶然の力で今がある | 株式会社MJE
"体育会系"の学生生活を送った弊社所属社員の、これまでの歩みを紹介してきた本コーナー。今回は、設立から5~6年しか経っていなかった頃のMJEにジョインし、今年で入社から丸10年を迎える営業部社員にインタビューを行いました。気が付けば野球が中心にあった学生時代から現在に至るまで、どのようにキャリアを積み上げてきたのか?ぜひご覧ください。 ▽第一弾記事はコチラ ...
https://www.wantedly.com/companies/mjeinc/post_articles/310272


【目次】
1.競技人生を振り返る
 ・はじめたきっかけと小学生時代の成績
 ・中学校時代は〇〇部にも所属!?
 ・高校は全寮制の学校へ
 ・大学時代と、就職にあたって考えたこと

2.社会人になってみて思うこと
 ・就活時に描いていた「ギラギラ感」は忘れたくない
 ・スローガンは「バカになれ」

3.今後の展望

■プロフィール
土屋 翔誠(Tsuchiya Shoma)
東京都出身。日本体育大学卒。
2019年4月にMJEに新卒7期生として入社。ITS事業部※に配属され、現在は大阪営業所に勤務。

※ITS事業部…当社のICT事業本部(情報通信領域)のうち、主にIT機器の提案や導入済み商品の保守・メンテナンスの提供を行う事業部。当社では最も多くのメンバーが所属している。


1.競技人生を振り返る

□はじめたきっかけと小学生時代の成績

ーー空手はいつからいつまで続けられていたのですか

5歳の頃に始めて大学卒業までなので、約17年間やっていました。
始めたきっかけは自分では覚えていなかったんですけど……当時仮面ライダーやレンジャーものが大好きで、日曜日の朝に特撮モノを見ては、鏡の前で延々と真似し続けていました。
あまりにもずっと続けているもので、”これはもう何かさせなくちゃいけない”と親は思ったらしく、「空手教室に行ってみるか?」と、地元の町道場に連れていったのが僕の競技生活の始まりでした。

最初は本当に通うことが嫌で、入って1〜2年くらいは毎日泣いていました。練習し始めたらあっという間だったんですけどね(笑)。
道場に入って1年経たないくらいの時に初めて出た試合も、泣きすぎて演舞を披露する部門※は棄権してしまいました。

※注釈:空手には演舞を披露する「型」と、相手と戦う「組手」の2部門がある

「せめて組手は出てくれ」と説得されてなんとか出場したところ、初出場で準優賞することができました。ここで初めて「待って、これ面白いかも」と思いました。

ーー小学生の時にすでに多くの成果を残しているとお聞きしました。

翌年、小学校2年生の時に東京都の一番大きな大会で同様に準優勝することができました。この頃になると道場の先生も「上を目指せるんじゃないか」と思い始めたらしく、練習内容がより本格化していったのを覚えています。

その後、都大会で準優勝以上になると全国大会に出場できるため参加したのですが、その時は全然歯が立たず、全国の壁の厚さに悔しい思いをしました。
その経験から自発的に練習するようになり、次の小学校3年生と4年生の時に東京都大会で優勝、連覇を果たしました。
そして、小学校3年生の時から山梨県の高校に進学する前の中学校3年生まで、東京都の強化選手に選ばれ続けました。

□中学校時代は〇〇部にも所属!?

ーー中学校の時は空手部の所属だったのですか?

ではなくて、同じ町道場でずっと続けていました。ただ、僕中学校の部活動をすごくやりたかったんですよ。特にサッカー部に入りたくて、親に交渉しましたが「怪我したら空手に支障が出るから」という理由でダメで。1年生の時は怪我の可能性が低い吹奏楽部に入っていました。

ーーそれはすごく意外…!!

ちなみに、1歳下の弟が翌年入学したときは、同じように空手をやっているはずなのになぜかサッカー部への入部が親に許可されて。それだったらやってもいいじゃん!ってことで結局2年生からはサッカー部に入りました(笑)。学校でサッカーをやってから道場で空手……という生活を続けていました。


ーー中々ハードな生活だと思うのですが、嫌になったりはしませんでしたか?

全然嫌ではなかったですね。もちろん要所要所で投げ出したくなる瞬間は多々ありましたが、競技生活を支えてくれている親のことを思うと投げ出そうとはなりませんでした。

こんなにサポートしてくれる人がいるのに何も恩返しせずに終わるのは違うな、とか、レギュラー取れないのはマズいな、とかそんなことを考えていました。

それから、あまり大きな声では言えないのですが、中学時代にちょっとヤンチャをして、そういった意味でも親に迷惑はかけていたので、せめて空手はちゃんとやりたかったという理由もあります。
なので高校では、中学での出来事を洗い流すかのような、厳しい環境に身を置くことに決めました。

□高校は全寮制の学校へ

高校は全寮制で、空手部に限らず全員何かしらの部活に入りかつ寮生活を送っていスポーツ強豪校でした。空手部全体では50~60人、そのうちのレギュラーは7名で、さらに団体戦で始めに出るスタメンはその中から5名のみでした。

中学卒業直後の僕は全国で優勝するようなレベルでは無かったため、入部直後は誰一人にも勝てませんでした。心が折れそうになって「一ヵ月で辞めよう」と思ったのですが、遠くの学校に送り出してくれた親のことを思い出してなんとか踏み留まり、それ以降はとにかく実力をつけるための地道な努力を重ねました。

レギュラーに入ることができたのは2年生の後半で、自分たちが最高学年になって以降でした。その時は母に泣きながら電話で報告しましたね。

そこからも色々と試練はあったんですけど、思い入れがあるのはやはり春と夏のインターハイです。


ーーどちらにも出場されたのですか…?

まず春については、準決勝のスタメンに選ばれました。前日に監督から予告されていて、「きたーーっ!」ってテンションが上がってしまい、それだけならいいんですけど熱まで38.0℃近くまで上がって1~2時間しか寝付けませんでした。

翌日予定通り試合には出たのですが、エナジードリンク等で無理やり調子を戻した上での出場だったこともあって、負けてしまいました。
そのあとチーム自体は勝ち進み、見事全国優勝を果たしたのですが、自分自身は負けてしまったので、モヤっとした、悔いはちょっと残りました。
ちなみに、体温は興奮で上がったものだと思っていたのですが、後ほどインフルエンザだったことが発覚しました。
現在の状況を思うと考えられないことですが、当時は無理をしてしまいましたね。


ーーそれは大変な経験でしたね……

この悔しさをバネに夏に向けて頑張って、無事にインターハイまで勝ち進んだんですけど、山場である準決勝で僕はメンバーから外されてしまいました。結局決勝戦まで行ったものの今回は負けてしまい、チームは2位に。そこで僕たちの高校3年間は終わりました。

この時のことは、本一冊書けるんじゃないかってくらい今でもいろいろと覚えています(笑)。力を発揮しきれなかった気持ちとか、何となく残るほろ苦さは、あの舞台に立ったからこそ得られたものでした。


△全国制覇時には山梨県のTV番組にも出演した。(写真右から3番目)


□大学時代と、就職にあたって考えたこと

ーー大学は日本体育大学(以下:日体大)に進学されていますね。

日体大=スポーツのエリートが集まる学校、というイメージの方もいると思うんですけど、空手に関しては実はものすごく厳しいというわけではありませんでした。もちろん全国大会出場レベルの部ですし、やる時はやるんですけど、高校の時のような極限の状態ではなく、より空手を楽しみながら活動していました。高校までの経験で、若干燃え尽き症候群になっていたのかもしれません。


ーー空手を取り巻く環境ががらっと変わったんですね…!

僕は副部長をやっていたんですけど、「楽して勝とう」が活動のテーマでした。
面白かったのが、部のメンバーみんな高校まではすごくハードに部活動に取り組んでいたのに、大学入ってからは部活にも遊びにもガチになって、いちいち全力でバカなことしてたんです(笑)。
僕が在籍していた武道学科は、授業の前後に部活をやっているのでジャージのまま登校する人がほとんどだったんですけど、空手部だけはバッチバチにお洒落してキメて授業受けてました。他の学生の「何だこいつら」っていう目線を浴びながら席に着いたり……「ザ・大学生」っていう調子の乗り方をしてましたね……(笑)。でも空手だけでない、こういう青春も過ごすことができて良かったです。

ーー大学時代の成績を教えてください

大学の方はあまり成績を残せなかったんですけど、同じ町道場にまだ通っていたので、道場の代表として全国大会に出場して、2度日本一になりました。

ーーそれはすごいですね!卒業後もそのまま空手の道に入ろうとは考えなかったのですか?

大学時代にトップ集団に入れたことで、「プロとして戦えるレベル」とはどのくらいの実力であるのかは理解しました。
ただ、活躍し続ける選手はプロの中でもほんの一握りだということもわかり、自分が空手を職業として食べていくとなった時に、「この人達に混ざって成果を上げ続けるのは厳しいのではないか」ということに気づかされました。

それであれば、今まで磨いてきた自分の武器を全て無くして、社会人として全く新しい環境でゼロから挑戦する方がいい。そう思って民間企業への就職活動を4年生になる少し前の2月から始めました。実業団で空手を……という話もいただきましたが、そちらはお断りをしました。
知識がゼロになる分、なるべく早く動かなければと思い積極的に合同説明会等に足を運んでいました。


△日本一の座に輝いた時の写真

2.社会人になってみて思うこと

□就活時に描いていた「ギラギラ感」は忘れたくない

ーー実際社会人になり1年半以上が経ちました。スポーツの世界とビジネス世界で「違うな」と思ったことは何かありますか?

何から何まで全然違いますよ!!
運動していた時は、結果が出ない時はがむしゃらに身体をトレーニングしまくれば最終的に何かしらの成果につながりますけど、ビジネスだと身体をやみくも動かしたところで、お客様と契約できるとは限りません。
単に努力量を増やすだけではなく、頭も使わなくてはいけない。上手くいかない時に、頭と体が直結しなかったことに難しさを感じています。

ーーそもそも、就職活動の軸は何でしたか?

始めはお金が稼げるかどうかが第一でした。ただ、途中で「判断軸からお金を取ったらいったい何が残るんだろう。」という疑問が生じ、改めて腰を据えて考えた時に「自分自身の成長」と「人」も自分にとって大切だということに気付きました。
なので、3つの観点から会社選びをしていました。

ーー「お金はほどほどにあればいい」という価値観もある中で、土屋さんが「稼ぎたい」と思う理由は何ですか?

原体験と言いますか、実家があまり裕福ではなかったので、お金がある生活への憧れはずっと持っていました。
例えば小さい頃、ゲームを買ってもらいたいとなった時に、僕は空手で優勝や準優勝をすることでようやく手に入れていた一方で、特に何もせずとも最新の物を手にする同級生もいました。
お金のことで親に心無い一言を言ってしまったこともありましたし、せっかくであれば何不自由無い生活を送れるようになりたい、そのための力を手にしたい、と思うようになりました。
あとは大学時代の話にも関連するんですけど、どうせなら派手にいきたい、豪華にいきたい、という気持ちもあります! 男だったらいい車乗って、いい時計付けて、いい家に住んで……といったかっこいいものへの憧れは、働く上でのモチベーションを上げてくれます。

ただ、最近この欲が弱まってしまう瞬間もありました。そんな時は周りのことを結構見てしまう自分の特性を生かして、同じような目標を掲げる人との関わりを増やすようにしています。
今もなおギラギラとした気持ちを持っているかどうかはその人を見ればわかりますし、「自分もまだまだ負けていられないな」と自分を奮い立たせることができます。


ーー”軸に合っている”と判断したからこそMJEを選んだのだと思います。実際に入社してみて、入社前の予想と異なっていた点はありましたか?

「成長」と「人」に関しては入社後もズレはありませんでした。同年代の周りが経験できないようなスピードで新たな経験ができていますし、一緒に働く人のことを「すごいな」と感じています。
一方で選考中に「見きれていなかった部分」もあります。”お金を稼ぐ”や、”営業力を身につける”ために必要な日々の行動、つまり「実際の業務内容」については入社してから体感した部分も多いです。入社前にある程度は想像していたんですけど、実体はそれ以上に苦労することが多くて。何回も壁にぶつかっていますね。

悩んでしまった時は、同期や直属の先輩、たまに親など、周囲の人に遠慮なく相談しています。

□スローガンは「バカになれ」

ーー学生の頃の自分にアドバイスするとしたら何がありますか?

今の自分自身のスローガンでもあるんですけど、「バカになれ」「何事も挑戦して失敗を 恐れるな」って伝えたいです。

ーーえ!お話を聞く限り挑戦しているように思えるのですが…

実はこれまでの自分を振り返るとちょっと良い子で居すぎたというか、周りをよく見て動いてしまう節があって、あまり目立たないように・怒られないようにといったことによく気を使っていました。

周りを見て考えて動くクセは、上手く場を回したり、盛り上げたりできるので悪いことではないのですが、一方であと一歩を踏み出そうとして思い留まってしまうこともありました。
これは、周りのことは置いといて自分自身のことだけを考えたら、もったいない状況です。

「ここがチャンスだ」って思ったときに積極的に喰らいつくことができるか?
この状況は今後の社会人生活でも発生すると思います。
実際に営業部の中でも「誰が営業に行く?」となった時に「いいですよ。僕、行けます!」とサッと手を挙げる人の元にチャンスは回ってくるので、頭で考えすぎず、躊躇なく発言できる人間になれるよう頑張りたいです。

3.今後の展望

ーー今後、どのような社会人になりたいか教えてもらえますか?

両親がそれぞれ自営業をしていることもあり、自分もいつか起業という形で、自らの力でビジネスを行いたいという気持ちはずっと持ち続けています。
なので、今現在の自分の仕事が、大きな目標にきちんと繋がっているかを確かめながら仕事にあたっています。反対に、目標を叶えるために必要なことは何かを、日々考えることも大切だと思っています。

あとは、今は大阪に勤務していますが、いずれは自分が生まれ育った東京で仕事をしたいです。そのためにはもちろん実績作りが大切なので、目の前の業務一つ一つに、丁寧に取り組んでいきたいです。

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