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皆さん、こんにちは!
株式会社ミギナナメウエ広報担当です!
今回は株式会社ミギナナメウエ代表取締役CEO 古鍜冶 賢さんにインタビューをしてきました。
古鍜冶さんの学生時代からミギナナメウエを創業するまでのストーリーを詳しくお聞きしてきましたのでぜひ、最後までご一読ください!
劣等感を感じた高校時代
古鍜冶さん、本日は宜しくお願いいたします。
初めに、古鍛治さんは学生時代どのような学生でしたか。
高校はとても劣等感の強い学生だったと思います。
中学までは、地元の学校に通っており、勉強も出来た方で金銭面も困ることはないような家庭で育ちました。
ですが、進学を機に東京に出てきたことで、医者、弁護士の子供、現役人気女優やモデル、送り迎えはロールスロイスの運転手付き、このような生徒の存在を初めて認識したんです。
次第に自分は何者でもないという現実を知り、世の中は生まれた時から平等ではないという現実に気づかされました。
この頃は周りの環境に劣等感を感じることも多く、正直あまり学校に馴染めていなかったと思います。
ですが、高校3年生の時、自分の中で転機となった出来事がありました。
仲が良かった友達に一緒に文化祭の実行委員をやろうと声かけていただき、文化祭の企画運営を任されることになったんです。その中で「何かを成し遂げる」という経験がこんなに面白いことだと初めて知りました。
この時から少しずつ自分の人生が良い方向に変わっているように感じました。
文化祭の実行委員が古鍜冶さんの価値観を変えた最初の出来事だったんですね。
起業するきっかけとなった出会い
その後大学一年で起業する道を選ばれたと思いますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
高校三年の終わり頃から大学生活は、留学をしようと考えていました。
そこで、英語習得の為になると思い、ネットで「東京 国際交流」と調べたんです。
その団体で出会った方達こそが、起業をしようと考えるきっかけとなりました。
例えば、同じ参加者の中に20歳のスイス人の方がいました。
彼は、自国でフリーランスエンジニアとしてリモートワークをしていましたが、当時はまだリモートワークという働き方はほとんど知られていない時代でした。
にも関わらず、日本に住みながらスイスでは年収1000万を超えていたんです。
他にも中卒でYouTubeをしたが上手くいかず、のちに不動産会社を立ち上げた方もいました。
20歳で年収1000万、外国に住みながらのリモートワーク、中卒で経営者・・・
今までの自分の価値観が崩壊する瞬間でした。
自分が見ていた世界の狭さに驚きましたし、世界は思っている以上に広く、自分が出会ったことのない優秀な人がこれほど多く存在するんだと身に染みて感じました。
この頃から、自分もいつかこの人たちと肩を並べられるような存在になれたらと思うようになりました。
そこから、団体に正式加入し、紆余曲折もありながら代表を務めることにもなり、イベント企画や集客を様々な形で学びました。
その経験を得て、もっと大きなことに挑戦したいと個人事業を始めたんです。
個人事業が軌道に乗ったタイミングで、法人化し現在のミギナナメウエを設立しました。
国際交流団体に加入したことで古鍜冶さんの人生は大きく変わったんですね。
COO・横田さんとの出会い
COO・横田さんに出会ったのもこの団体とお聞きしていますが、横田さんがミギナナメウエに参画するまでの流れを教えてください。
横田は初めから友達だったわけではなく、団体を通して自然に仲良くなっていきました。
彼は昔から本当に頭がよく、向上心も強いタイプで将来について話していると居心地がいい存在でした。
お互いに得意分野が分かれていたこともあって、団体を上手く回していくために必要な要素を代表、副代表の立場で上手く埋めあっているように思っていました。
その後、一度は違う道を選んだものの、個人事業を法人化した際に、一緒に事業を立ち上げていくビジネスパートナーは必然的に横田しかいないと思い「一緒に会社をやろう」と電話しました。
そこから横田がミギナナメウエに参画しました。
お2人は目指す将来像が学生時代からきっと似ていたんですね。
コロナ渦の到来
そこから会社を立ち上げる中で、一番苦労したことはなんでしょうか。
コロナ渦で日本の経済が止まった時期は、本当に苦労しました。
今こそ、同じような災難があっても対応できると思いますが、あの時期は未曾有の災害で特別にこの事業がというわけでもなく、日本経済の全てが止まりました。
その影響で、軌道に乗っていた事業も下降していき、会社が存続できるかどうかまで追い込まれました。
施策を考える中で、これは事態の収束を待つのではなく、今ある事業をきっぱり諦めて新事業に転換していこうと思ったんです。
その結果、現在の人材事業が生まれました。
この転換するタイミングが一歩でも遅ければ、会社は存続できなかったと思いますし、すぐに行動できたかどうかが、あのコロナ期を乗り越えるための分かれ道だったと思います。
コロナによって多くの企業が経営破綻を余儀なくされた時期ですよね。
再スタートを切った四期目
ミギナナメウエは四期目から急成長を遂げていますが、ここではどのような変化があったのでしょうか。
四期目に入ったタイミングで何のために自分は会社を経営しているのか分からなくなった時期がありました。
会社も無事に軌道に乗って、一定のお客様にも満足していただいている、全てにおいて上手くいっているはず…なのになぜこんなに倦怠感があるんだろう、と。
考える中で、ふと起業した当初の感情を思い出したんです。
『成し遂げられるもののサイズをどんどん大きくして、その行く先に日本に影響を与えられるような会社にしたい』そう思って起業したんだと。
僕はこの時、既に現状の状況に満足してしまっていることに気づいたんです。
この日から、原点に戻り再スタートをきりました。
その時期が四期目です。
初心に返って、心を入れ替えた時期が四期目だったんですね。
これまでを振り返って
あと二ヶ月で六期目を迎えますが、振り返ってみてどうでしょうか。
本当にあっという間でした。
今、振り返ればもっと上手くできたと思うことも多々ありますが、必要な五年であったとも思います。
失敗があったからこそ、気づけたことも多いですし、そこで気づけなかったら今も変わらなかったかもしれない。
そう思うと、後悔とも満足とも違うような感覚です。
ですが、言えるのはここまで付いてきてくれて、結果が出るまで隣で支えてくれた創業メンバーには感謝をしてもしきれないです。
成長段階での失敗は必要なものですよね。
古鍜冶さんが見据える先
代表としての今後の目標と
そのうえで、ミギナナメウエをどのような会社にしていきたいのか教えてください。
僕自身の役割として、変化する未来をどれだけ先読みできるかが会社を大きく変えていく鍵だと思っています。
市場も経済も入れ替わりが非常に速いです。
事業も含め、三年後、五年後の想像の先に合わせた意思決定を「今」していく必要があり、その判断が会社の存続に大きく関わってくると思っています。
目まぐるしい速さで変わっていくこの経済に、足元をすくわれないようにする為に二次情報ではなく、一次情報を正確な形で捕まえにいきます。
そのうえで、必要な教養を日々習得していますし、今後もさらに身に着けていく予定です。
会社としては、やはり「あの会社面白いよね、次は何するんだろう」と思っていただけるような会社でありたいと思います。
これは、外部の人たちだけではありません。
ミギナナメウエで働いてくれている社員にも「面白い!ワクワクする!」と思ってもらえるような景色を見せたいですし、働いてよかったと感じてほしいです。
まだまだ成長途中のミギナナメウエですが、これからも社員を含め全員の期待を上回る会社へと成長していきます。どうぞ宜しくお願いします。
古鍜冶さん、ありがとうございました!
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
また次回のインタビューもお楽しみに!