「自分史年表の書き方が分からない」という人は多いらしい。
最近では学生の「就活」で利用されているらしく、提出物になっているようだから、そうやって迷いも生じるのだろうが、自分の歴史なんだから、好きに書かせてやればいいのに、と思う。
何でもかんでも形式に囚われるというのは、窮屈で、思考を狭めて、そんな状態では本当の自分は分かってこないだろう。「就活」で自分史年表を活用する目的は、「自己の再確認」らしいので、尚の事だ。
【第一回】大まかな出来事を箇条書きに羅列しただけだって、別にいいじゃないか|「自分史年表」を書く|Chroniclize(Android/iOS)
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「今の自分が分かっていないから自分史年表を書いてみる」という人のことは正直よく分からない。就活するような年齢になっているのに自分のことが分からないというのは何故なのだろうか。
自分は何が好きで、何が苦手で、どんな人間なのかは、長年の学生時代の人間関係などで十分に認識できているはずだ。それを敢えて見ぬふりしているのだろうか、よく分からない。
自分にどんな仕事が向いているのか分からない、というのは違う。仕事の実態は経験しないと分からないから。
だから例えば、IT屋になりたい人でよく口にしてくるのが、「黙々とコツコツ何かを作るのが好きです」という文句なのだが、IT屋は要求を実現する仕事なので、コミュニケーションが取れない人はまったく向いていない。どうもこうやって勘違いしている人が多い。
なので、自分史年表で自己分析しても、それが各分野の仕事の実態に合っているかは、また別の問題で、自己分析から先が想像ではなく、どの分野にマッチするのかまで適切にフォローしてあげて初めて「就活」で活用できたと言えるはずなのだが、自分史年表で自己分析させてそこで終わっているような使い方は、とても勿体なく感じる。
勿論、教師など教職の人間にそこまでフォローはできないだろうから、いっそ、だったら、自分史年表をそのままエントリーシートとして提出してしまえば、また新しい採用の基準になりそうで、面白そう。
自分史年表を書くということは「自己表現」なので、今は成果主義も増えて自己表現が迫られるから、そういった点でも有用ではないかと思う。