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浴場にもたれてふける #01心斎橋清水湯で母の「お母さん もう寝るからね」が聞こえた

常から少しだけはみ出せる唯一の場所、銭湯。 浴場を通して各々が社会と曖昧な関係となり、つかの間の極楽を得る。 公共空間でありながら、時間の流れは自分だけのもの。 裸一貫、ワンコインで、あなたとわたしの境目である湯へ目指す。




このシリーズは、とあるきっかけで関西の銭湯情報サイトを立ち上げてやろうと、半ば勢いで東京から大阪に旅立ち、未経験ながらwebディレクターに転職した私、タスクが、日常と非日常の「境目」、その象徴だと信じる銭湯を巡りながら、そこで見かけた風景や、誰かが発したささやかな言葉のような、明日には忘れてしまう小さな出来事を覗き見するエッセイです。

東京で摩耗した生活を続け、何かを変えようと一念発起してひとり大阪へ旅立った。荷解きも終わり、気持ちよく新生活スタート、と意気込んでも何かが足りない。ここ数日、空いた時間にはマンションの辺りを散策し、素敵なカフェや雑貨店、生活必需品が揃いそうな小売店を一通りチェックした。しかし私には物足りないのだ。

「風呂だ。」

銭湯である。一昨年の夏であったか、銭湯好きが高じて、格安の風呂なし物件へ引っ越し、1年半ほど住んでいた。アパートは見るからにボロ臭く、プラスドライバーさえあれば鍵が開けられるほどのセキュリティ性であったが、値段の割にはかなり広く、都内の主要駅からもほど近い。銭湯に行けば、毎日広い浴槽で疲れを癒せて、意外と不自由なく暮らしていた。ただ、隣人とほとんどB to B形式で楽曲を流し合っていた程度には壁が薄いのが難点であった。

当時、映像関係の仕事をしていた私は、何が起こっているのか理解する間もない日々を送っていた。怒鳴られながら数ヶ月先の撮影資料を作成し、次の日の小道具を探しに小売店をはしごする。地下鉄の窮屈な空気を吸うよりも、ほぼ貸切になった真夜中の首都高を走るタクシーに揺られた回数の方が多かったのかもしれない。話したこともないスタッフの前日の献立を予想して、当てずっぽうで用意した弁当3連複が、「昨日も同じだった」だの、「今日どこ飲みいきますか」だの聞こえる会議室の隅で、半分以上も捨てられるのを見ても、もう何も思わなくなってしまったことに気づいて、どうでもよくなった。それから、日が暮れる頃に起床する毎日。食事をするのも億劫になり始め、シャンプーボトルの裏みたいなドロドロとした生活であったが、銭湯だけはふんぞり返って行くのであった。それだけで、素敵な1日だったと勘違いできた。風呂に救われた、とまではいかないが、風呂がギリギリのところで支えてくれていたのかもしれない。

私は銭湯とコインランドリーが好きだ。わざわざ外に出て日常を営む、というのは少し面倒なことに思われるが、どちらもパブリックな場所でありながら、浴場と洗濯槽に共通する「汚れを落とす」という行為が非常にプライベートであり、各々が過ごした今日1日、ひいては人生そのものが刻まれているような気がしている。公共且つ私的である、というなんとも言えない曖昧さ加減と、あとは単純にぐるぐると回る洗濯槽から目が離せなくなってしまう昆虫的な部分に、私は魅了されている。

すぐさま近隣の銭湯を検索し、何軒かアタリをつける。しかし、今日は引っ越してから初めての銭湯だ。ここは外せない。せっかくなら名所とされる場所へと、もうすこし検索範囲を伸ばしてみる。

太陽が完全に落ちた頃、私が向かったのは地下鉄御堂筋線心斎橋駅から徒歩2分ほどの位置にある「清水湯」であった。




アメ村のど真ん中にあるといっても過言ではない。こんなところに銭湯が、という初めて訪れた人のお決まりの一言。1階にはコンビニエンスストアが入っていて、テナント左側のエレベータを上ると右手に番台。おばちゃんに料金を支払い、男湯へと向かう。

スーパー銭湯を彷彿とさせる広々とした脱衣所。左手には6〜7人がずらっと横並びに座れる大きな鏡台。もちろん各スペースにはドライヤーが設置されており、順番を待たずとも身支度が整えられそうだ。右手は上下段に分かれた細長のロッカーが4ブロックほど並び、利用客の多さが伺える。出口付近には3つの自動販売機。アルコール類も売っていて、服を脱いでもいないのに、風呂上がりが楽しみになった。

お風呂セットを手に、いざ浴場へ。しかし私は迷う。どこを探しても浴場が見当たらない。同じタイミングで向かいそうな利用客の後ろをそっとついていくと、誘われたのはエレベーターであった。清水湯は、脱衣所と浴場の階層が分かれていて、2階が脱衣所、3階が浴場という造りになっている。なるほどだから脱衣所が広いのかと感心しつつも、裸でエレベータに乗るのはどうも気が気でない。目のやり場にも困ったが、思いも寄らないところに非日常を感じられ、子どもさながらのワクワクで胸がいっぱいになった。

カラカラと引き戸を開けると独特の匂いと湯気が身体中に染み込む。ちらっと左手の浴槽へ目をやり、利用客の過ごし方を見る。皆、目線を少し上にやっている。なにかあるのだろうか。いや、まずは、とカランで体を洗う。コの字型に並んだカランは大体15席ほど、浴場左奥にも2列並んでおり、数で困ることはなさそうだ。

静かにルーティンを終え、浴槽へ向かう。左から電気風呂、気泡風呂、低温、高温風呂という構成。高温風呂の前には、大きめの水風呂、その手前に滝風呂、サウナというラインナップだ。温度の違う浴槽がある銭湯は期待できる。何軒も巡ってきた独自の基準だ。期待に胸を膨らませ、まずは電気風呂へ。ビリビリと目が覚めるような電流が走る。なかなかハードな電気風呂だが、悪くない。幼少期、祖父と銭湯に行くと必ず電気風呂でビリビリしていたので、そこまで抵抗がない。入るコツは?と聞かれることもあるが、正直ない。慣れるしかない。そのうち、スパイスカレーのように、この痺れが快感へと変わっていく。筋肉の収縮を楽しみながら、目線を前にやると、ガラス戸で囲われた「ラドン」という聞き慣れない風呂がぽつんとある。

これはこれは、と目を輝かせて「ラドン」に向かう。ポケモンや特撮怪獣を連想させるそのワードは、どうやら元素らしい。いかにも文系っぽい連想をしてしまった。高校時代、元素関連の小テストで0点を取り続け、々が何個続いたか覚えていない再(+n)テストを受けたのを思い出す。件の風呂は、エメラルドグリーンの美しい湯で、ボコボコと気泡を立てていた。非常に小さな浴槽ではあるが、サウナセットの料金を支払った人のみ入浴できるらしく、その時は私1人しかいなかった。温度はぬるめで、右手に小さなテレビ。10分ほど入っただけで、身体中がホクホクと温かい。調べてみると、泉質の一種らしく、皮膚から体内に吸収されたラドンは、脂肪の多い副腎皮質や、赤血球などに集まり、血行を良くして老廃物の排出を促すため、体の内側から温めて細胞を活性化する作用があるという。また、脳下垂体を刺激して、脳内ホルモンの分泌を高め、神経痛や関節痛の鎮痛効果も期待できる。要は体にいいらしい。さらに、北海道でしか採取できないとされる「シリカブラック」という天然鉱石も投入していることが売りのようで、体によさそうといえばの代名詞、豊富なマイナスイオンを放出しているらしい。伝聞ばかりになってしまったが、少し入るだけでスッキリと爽快な気分を味わえる。浴槽の壁に説明と効能がびっしり書かれているので、のんびり湯船に浸かりながら、ふんふんと読み進めるのもひとつの楽しみだ。

休憩のため、浴場脇に腰掛け、見上げると大きなテレビ。なるほどお客さんの目線はこれだったのか。湯気でほとんど画面は見えないのだが、なぜか夢中になってしまう。地上波のテレビを見なくなったと言う人が増えてきたが、公共浴場の娯楽は未だに変わっておりません。年末特番の格闘技を銭湯で見たら、どんなに楽しいだろうか。見知らぬ人たちと風呂で年越しするのもまた一興。

一息ついて、お待ちかねのサウナへ、タオルで体の水分を拭き取り、いざ。入ってすぐ左には木棚があり、タオル地のサウナマットが重なっている。これを1枚とって奥へ。こちらも銭湯にしては大きめで、入って左側は2段になっていて、各段5人ほどのスペースが伸びている。右側も5人ほどが座れるスペース。上部はガラス窓で、浴場の景色をぼんやりと眺められる。そして室内の最奥にはテレビが設置されている。浴場内のテレビは、すべて同じチャンネルに設定されており、続きが見られる仕様だ。サウナ室に使用されている木材は吉野ヒノキで、暑さの中にほのかに香りが漂う。温度は100℃弱に設定されており、のんびりと長めにサウナを楽しめる。おすすめは入って左側上段奥だ。サウナストーンが扉近くにあるので、奥側は温度もそこまで高くなく、誰にも邪魔されずにテレビが見られ、なによりガラス窓から浴場の景色を楽しめる。

ふと目をやると、サウナ室の上部に、数十センチの木枠が等間隔に設置されている。中には黒い石のようなものが敷き詰められており、湯上がりに調べると、「ラドン」にも使用されていた天然鉱石「シリカブラック」であった。サウナの温度の割に、ジワリとにじみでた汗はこのためであった。

15分ほどで一度退室する。「シリカ」の効能だろうか、いつもより気分が良い。全身から噴き出た汗をかけ湯で洗い流し、水風呂へ。広さもそれなりだが、ここがポイント、90cm〜100cm程の深さがある。深い水風呂、これがたまらないのだ。温度は20℃程でそこまで低くはないのだが、この深さが全てを補填する。気のせいかもしれないが、深さがある方がより快感を味わえる。全身を脱力させ、ヒュウっと気管を通る空気が冷たく感じたら、出る。

これを数セット繰り返したのち、締めに交互浴をと、高温湯へ浸かる。熱い、相当熱い。水風呂の後でなければ、絶対に入れなかった。44℃以上はあろうか、玄人向けのハード風呂。しかし1度慣れてしまうと、この熱さが忘れられない。設計上、高温風呂と水風呂が地続きになっているので、水風呂へ直行できる。あ、悪魔的だ・・・!ワンコイン程度で、この快感、「熱い」と「冷たい」の境目、体に纏う温度の羽衣、この境目を求めに今日も銭湯にやってきたのだ。他に交互浴をしていた強面のお兄ちゃんも、顔全体をとろけさせ、えもいわれぬ表情でテレビを眺めている。快感のさなか、湯気で霞がかった液晶のあやしいひかり、こんらん状態へ陥らんとする時、店員のおばちゃんが大声で

「もう22時やからニュースのチャンネルに変えるで〜!!」

ハッと目が覚めた。もう22時なのか、と液晶の時計を確認するとまだ21時半、22時まで30分もあるではないか。さすがにせっかちすぎる。

「もう22時やからな〜!誰も見てへんな〜変えるで〜!!」

利用客全員がキョトンとした表情である。中には番組を真剣に見ていた客もおろう。全員「ハイ」としか言えず、変えられたチャンネルは、刑事ドラマの物語中盤であった。今から見ても何もストーリーがわからない。バラエティならまだしも、シリアスな刑事モノだ。見るならしっかり頭から視聴したい。

「君らマナーええなぁ!夕方来ていた兄ちゃんたちは、何回言うても喋るし最悪やったわ〜!君ら静かにしててよろしい!そのまま静かにしといてや〜!」

隣で喋っていたお兄ちゃんも目を覚まし、おばちゃんの言いつけに従う。場所柄、強面のお兄ちゃんやおっちゃんが多く利用していたが、非常にマナーがよかった。口を覆わなければならない世の中で、浴場だけは全てさらけ出せる。だからこそ、大きな声での会話は控え、皆が協力して銭湯を守っていた。それを仕切っていたのが、店員のおばちゃんである。口調は強いが、その強さがこの銭湯の人気のひとつだろう。都会のど真ん中に位置しながら、銭湯としての機能は抜群。しかもおばちゃんの人情味溢れ、どっしりと構えた言葉が響く浴場。だれもが皆頭をよぎったであろう、私は俄かに実家の母を思い出す。ひとり寂しく銭湯に向かったつもりが、帰るころには母からの元気をもらったような気がしていた。

母は、なぜあんなに元気だったのだろう。いつも家族のムードメーカーであった。思春期真っ只中、「もう起きや〜!」「ご飯食べや〜!」「お風呂入りや〜!」の言葉に何度癇癪を起こしたことか。「分かってますけど!?」と半ギレで対応しても、笑顔でいなされた。「お母さん、もう寝るからね」の言葉に何度どうでもいいと思ったことか。あの一言が、夜更かしの罪悪感のトリガーになっていたことを今更思い出す。楽しいことと、辛いことがごった煮だったあの毎日は、実は、いつも母のどうでもいい言葉で励まされていたらしい。もう数年実家には帰ってはいないが、今度母が好きなお酒でも送ってやろうと、彼女が好きな銘柄の缶ビールの3本目をカシュっと開け、のぼせ気味とアルコールでふらふらの体で家路につくのであった。

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