※本記事はLAPRAS BACKBONEからの転載記事です※
今回は、エンジニアのキャリアについて深堀りすべく、 LAPRASで現在働く2人のエンジニア(rockyさん、kawamataさん)に対談形式でお話を伺いました。
紆余曲折を経てキャリアを築いてきた2人に、キャリアの作り方や仕事への想い、一歩踏み出すときに大事にしていることについて話していただいたので、エンジニアや採用担当の皆さんにとって、気づきのある記事になると幸いです!
受託開発エンジニアからスタートしたキャリア
LAPRASのCTOをしているrockyこと、興梠です。 LAPRASでは主に開発チーム全体を見ています。具体的には、現在約10名エンジニアがいるので、事業に一番コミットできるエンジニアの体制を考えたり、エンジニアの採用をしたりしています。
最初のキャリアは高専の情報学科を卒業して、株式会社アイセルというソフトウェアの受託開発の会社に入り、当時はいわゆる「プログラマー」と呼ばれていた職種からスタートしました。開発プロジェクトにアサインされて、その後SE、プロジェクトリーダー、プロジェクトマネージャー等幅広く様々なプロジェクトを経験させてもらいました。
最初の転職のきっかけとなった、挫折
仕事にも慣れて一定の成果が出せるようになってきて、3年目くらいで少し自信がついた頃に、新卒で一緒に入った同期がWEB系の会社に転職したことが、大きなキャリアの転機になりました。その転職した同僚と、1年後に再会した際に、その同期が1からプロダクトを作れるようになっていたんですね。その成果物を見たときに衝撃を受けました。
それまで、プロダクトを1から作れるのは「一部の特別な天才エンジニアだけ」だと思っていたんですが、自分と同じ新卒入社の同期がそれをやっていることを目の当たりにして、ものすごい衝撃でした。
正直、現場でプログラムは書ける方で、マネジメントもやって、そこそこ自分に自信があったんですが、この出来事でその自信が吹っ飛んで、狭い世界で調子に乗っていたことを恥ずかしく思いました。
その衝撃で猛烈に勉強をしました。2012年の1年間で、今までに読んだ技術書の半分の量を読んだといっても過言ではないですね。その結果、それまではSEを自分の仕事に選んでいたことを若干後悔していたのですが、そこでやっとシステム開発が”面白い”と思えました。
同時期に、自社プロダクトを作る社長直轄でのプロジェクトができたため、その新規事業に手を上げて参加し、受託ではなく自分で企画、調査、開発と事業の一端を担う経験をしました。その経験から、プロダクトを作ることに興味が生まれ、Web業界への転職に繋がったと思います。
ちなみに、その時の衝撃を与えた同期は、現在LAPRASにいる田嶋さんです!笑
WEBエンジニアへの転職
作っていた自社プロダクトが中止になったことと、Web業界に興味を持っていたことが重なり、知り合いの紹介で転職活動をしました。何社か受けた中で、Web技術に強みがあり、学べることが多そうだという理由で、株式会社ニューフォリアに転職しました。Webエンジニアとして、ポイントカードのパッケージ製品であったり、受託開発でIoT関連の実証実験プロジェクトを経験させてもらいました。
それまでは受託開発がメインだったので、それ以外の文脈においてのビジネス層とのコミュニケーションや提案の方法など、多くのことを学ばせてもらいました。
今思えば、かなりチャレンジングな転職だとは思いますが、当時はまだ若かったこともあり、挑戦することに対してあまり不安は感じませんでした。
後に家庭の事情で引っ越しの必要が出てきて、自身の体調不良もあり、迷惑がかかる形で辞めてしまったのは、今でも気にしています。この時にご迷惑をおかけした分は、いつか何かしらの形で、必ず恩返しをしたいと思っています。
地方× IT
家庭の事情で地方に引っ越すことになり、株式会社Nextremerに転職しました。このときは、社長に声をかけていただいたことがきっかけでした。
最初に高知で地方拠点を立ち上げて、そこからはAITechということで、研究開発系のプロジェクトや採用・事業周りまで手広くやっていました。当時は「地方×IT」が流行っていたので、講演や行政プロジェクトの審査員等のユニークな仕事も経験させてもらいました。その中で、対話システムの構築プロジェクトを自社の事業として始めてからは、ずっとその分野をやっていました。
最終的には営業部門等も含めて広く自分が見ていくことになったのですが、開発以外の分野まで統括する立場に少し限界や違和感を感じていました。丁度そのタイミングで、元同僚の両角さんがLAPRAS(当時の社名はscouty)にいて声をかけてくれて、話を聞きました。
LAPRAS入社からCTOへ
LAPRASの話を聞く中で、自分が今まで描いていた「理想のチーム」や「理想の技術のあり方」「会社の価値観」をLAPRASが体現しているように感じました。そこで、半分は学ぶ姿勢で、もう半分は「LAPRASで成果を上げることで、自分が理想だと思っている価値観を正しいと証明したい」という気持ちで、 LAPRASへの転職を決めました。
入社当時はスクラムマスターをやりながら、普通のエンジニアのポジションで仕事をしていました。個人として動きつつも、チームに必要そうなものを考えながら仕事をしていたところ、2020年に前CTOのshowwinさんがインフラ技術面に特化したいということで、お声がけをいただきCTOを引き継ぎました。
今までのキャリアの転機
キャリアにおける転機は、一社目で2回訪れていたと思います。
最初の転機は、やはり同期の田嶋さんが退職して一年後に再会したときに、「自分が大したことない」と自覚したときですね。本当に、価値観が根底から変わるような経験でした。加えてその後、猛烈に勉強しても田嶋さんとの距離が縮まらないことで「(田嶋さんとの差は)単に技術だけの問題ではないんだな」と自覚することになりました。
次の転機は、新規事業を担当させてもらえたことです。受託開発していた頃は、自分の単価を自分の価値だと思って、正直若干調子に乗っていたのですが、新規事業で事業の全体を見ていくと単価は会社全体でこれまでの関係性や営業等も含めた価格であって、自分の市場価値ではないということに気づきました。
その転機から、転職にまで踏み出せたのは、ロールモデルの存在が大きかったです。受託開発をしていたときにプロジェクトでご一緒した、村岡正和さんという方がいらっしゃるんですが、技術に強くて、仕事の仕方が本質的でかっこいいと思い、自分も、こういう人になりたいと思いました。
特に、当時自分がいたのが二次請けの現場だったので、言語や環境は自分では選べず、既存のシステムもあるので勉強した最先端の技術がすぐに仕事で使えるような環境ではなかったこともあり、個人で技術力があり、ちゃんと技術の発信ができるというのに憧れました。
今を頑張ることが、偶発的にチャンスを引き寄せる
正直、初めての転職の時は、やっぱり怖さはありました。ちょうど結婚したタイミングだったので失敗の不安もありましたが、そこは妻が上手く背中を押してくれました。また、当時はまだ25,6歳で若かったので「やる気さえちゃんと見せれば、将来価値を見据えてチャンスをもらえるはず」と思っていました。案外、挑戦するときのこういった勢いって大事だと思います。
また、キャリアについては、まずは今いるところで頑張るのが大事だと思っています。今までの転職を考えても、最初から転職ありきで頑張っていた訳ではなく、目の前の仕事を頑張っていたら機会が訪れることが多かったかなと。
自分が今仕事として任せてもらっているということは、何かしらの強みや自分に依頼したい理由があって仕事が来ているということなので、そこで全力を尽くすことが自分の成長に繋がって、偶発的にチャンスを引き寄せることに繋がると個人的には思います。
あ、ちょっとかっこつけすぎましたかね...?