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「怒る」教育からの脱却

ココロミルの上田です。

早いものでココロミルに転職してから約1年が経ちました。

休みの日は子どもと一緒に遊んだり公園に行ってのんびり過ごしています(写真は息子と近くの公園に行ったときのものです)。


さて、今日のテーマは「怒る」教育についてです。

小学生と接するお仕事なので、よく「学校の先生と合わない」「集団塾の先生とうまくいかない」といった愚痴や相談を生徒から聞くことがあります。

もちろんその反対に「学校の先生が好き」「塾の先生が好き」と言ったポジティブな意見を聞くこともあります。

そして、ネガティブな理由の中で最も多いのが「○○先生が怒るから」というものです。

この「怒る」ということについて、怒られるのはもちろんそこに怒られる理由があるからなのですが、状況を聞いてみると例えば「音楽の時間に体調が悪くてうつむいていたらいきなり怒って注意された」といった子どもからすると“理不尽”な怒られ方をしていることが多いです。

怒った後にフォローをすることもなく、怒られた子どもはその先生のことがもれなく嫌いになる。

ここで大切なのは、「何のために怒るのか?」という「怒る」目的です。

偉そうなことを語っていますが、私自身大学卒業後塾の講師になりたての頃はとにかく「怒る」指導をしていました。

ある日塾に電話がかかってきて、「宿題をしていなくて上田先生に怒られるのが嫌だから塾に行きたくないと言ってる」と保護者の方から言われることもありました。

あるときは「先生がクラスで怒っている姿を見て怖くなってうちの子が塾に行きたくないと言っています」とそれまで信頼してくれていた生徒が塾に来なくなったこともありました。

怒ることの目的は本来その子をより良い方向へ導くための手段であるはずです。

しかし私は「怒る」という手段を目的にしていました。

つまり怒るために怒っているのです。

何のために怒っているのかが自分でもよく分かっていない。

そしてその結果子どもたちは怒られないための宿題をするようになり、工夫も改善もされない。

結果として成績も上がらないという負のサイクルに陥っていました。


この1年を振り返って、私は一度も「怒るために怒る」ことをしていません。

宿題をしなかった生徒を怒ることも一切していません。

宿題の出し方を変えたり、量を調整したり、テキストを変えたり、出来なかった理由を聞いてあげたり、

こちらの接し方が変われば子どもたちも必ず変わります。

そして、怒るという手段を取らなくてその子の事を考えて提案してあげればほとんどのことは変えられる、と信じています。

先生が上、生徒が下、という上下の関係ではなく、共に学び、共に成長していく横の関係がこれからの教育には必要だと考えています。

これから教育に関わるお仕事を考えている方には、是非「怒る教育」から脱却して「共に成長する教育」を目指してほしいと強く願います。

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