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落ちこぼれ小学生だった私が塾講師となって中学受験にリベンジする話

個別指導塾ココロ・ミルで講師をしている大森です。

2月の中学入試が終了したところで、私たちの仕事は一つの節目を迎えた感覚になります。

この節目のタイミングで、自分がした中学受験の経験と、今年度の仕事を通じて経験した中学受験を重ね合わせてみたいと思います。

私の中学受験

平成元年生まれ世代の私が中学受験をしたのは17年前になります。

中学受験をする小学生は

1、学校

2、家庭

3、塾

主にこの3つの環境に置かれています。

学校

横浜の私立小学校に通い、同級生たちが熾烈な受験競争をしている中で私は完全に落ちこぼれていました。みんなが昼休みにも塾の宿題などをやっている傍ら、1人で体育館へ行ってバスケのシュート練習に励みました。大手塾の模試などの話題に全くついていけなくなり、偏差値の高いクラスメイトたちからは完全に見下されて次第に孤立していったことを今でも覚えています。

家庭

家庭環境も耐え難いものでした。父は単身赴任で平日は母子家庭状態、週末に父が家に帰ってくると、高確率で怒鳴り合いの夫婦喧嘩が始まります。年の離れた大学生の姉2人は自由を手に入れていましたが、小学生の私は逃げ場が全くありませんでした。

家の近くに少人数指導の個人塾があったので、そこに通っていました。とても勉強嫌いだった私の意志に反して、親の意向で通わされていました。塾にいる時間=勉強時間。塾が終われば、公園でバスケしていたり自転車を乗り回したり…。宿題をやっていた記憶がほとんどありません。塾講師としての経験を積んだ今、これは典型的な勉強ができない子のパターンだったとわかります。学校と家庭の両方でストレスを抱えて塾での勉強にも身が入らない。そんな私に当時の首都圏の私立中学校で受かりそうな学校はほとんどありませんでした。

結果

私の成績や家庭内の様々な事情を検討した結果、単身赴任の父がいる静岡で勉強とバスケの両立ができそうな学校があったので志望校はそこの一択になりました。公立志向が根強い地方都市では中学受験をする人数が少なく、当時の倍率は1.1倍程度でほぼ全員受かります。受験勉強をした記憶がほとんどありませんが、私の中学受験は都落ちと引き換えに第一志望合格で終えました。決して成功体験とは言えません。受験を通じた精神的な成長を得ることもなく、とても子供っぽい中学1年生だったと思います。

そんな私が今や中学受験専門の個別指導塾で講師をしているのです。以前、私がこの仕事を選んだ理由は子供が好きで、教えることが得意だからという内容のフィードを書きました。それから約1年間仕事をしている中で、自分が中学受験を頑張れなかったことに悔いがあるのかもしれないと感じたことが何度かあります。昔の自分と部分的に似たような境遇の生徒を指導することが多いからこそ、当時の自分のような経験をさせたくないという想いで仕事に向き合う場面が多かったように感じます。

小学生の成績不振の根底にはココロの問題があることが少なくありません。前述の通り、私も例外なくそれに当てはまる子供だった思います。(もちろん、当時の私にその自覚は一切ありません。笑)学校、家庭、塾などの環境的要因が本人のモチベーションを左右します。足を引っ張っている原因は1つとは限らず、むしろ様々な要因が複雑に絡み合っているように感じます。

担当の生徒たち

昨年は入社して間もなかったため担当は特に持っていませんでしたが、入社半年を過ぎたあたりからは体験授業をして新規契約を取り、自分の担当として受け持つようになりました。

私が1月までに担当していた生徒は8名、受験生はそのうちの半分の4名でした。社内では担当する受験生が比較的少ない方だったと思います。

担当していた受験生4名は全員全く違うタイプで、一人ひとりに対して行ってきた指導が全く異なります。カリキュラムのようなものは一切なく、生徒に合わせてオーダーメイドで仕上げていく点は、個別指導の仕事の面白さでもあり大変さでもあります。

大手塾を辞めて春から1年間、たくさんの指導を重ねたAくんとは断トツで密な関係になった生徒です。最初の頃は課題を全然やらなかったのにいつの間にかしっかりやるようになり、夏休みにはルーティンワークの鬼になっていました。知識のインプットには成功したのでこれは伸びそうかな?と思っていましたが、難問に対応する作業力・忍耐力が欠けていました。最後までここを改善させることができず、志望度の高い学校に合格させることができませんでした。本人は結果に満足しているようですが、講師としてはとても悔しい結果です。

Bくんはとても真面目で完璧主義な性格。彼は夏前に勉強量のピークが来てしまい、他に通っている塾の課題などでオーバーワークとなり失速。直前期まで不調の時期が続きました。一時期は心理カウンセリングをしながら指導しているような状態でした。直前期に復調したものの上位の志望校には合格させることができませんでした。対症療法的に話を聞くのではなく、オーバーワークになる前に気づいてあげたかったです。とても繊細な彼のココロを見ることができていなかったという自省の念に駆られます。

9月後半に入塾したCくん。元々成績は良かったものの、先生や周りの生徒と合わないことが原因でこれまで何度か塾を辞めているようでした。彼は小学生とは思えないレベルの論理的思考力と作業力がありました。過去問で解けなかった難しい問題の解き方も1回教えれば理解してくれます。直前期は問題を一緒に解いていると彼の方が早く解き終わって正解していることもありました。このレベルの生徒を教えていると気分が良くなってしまいがちで、「自分の教え方が良いからこの子ができるようになった」という勘違いをしないように常に自分を戒めていました。おそらく、彼は誰が教えてもできるようになってしまう生徒です。言うまでもなく第一志望校に合格しました。

9月後半に入塾したDくんは大手塾に通っていたものの全く勉強していなかったようで、実質残り4か月でゼロからスタートして勝負しなければいけない状況でした。現実的な志望校を見極め、そこを目指して頻出範囲を中心に授業を行うために出題確率の低い分野は切り捨てるという割り切りも必要でした。本人のコミュニケーション力が非常に高かったので、個別指導での吸収力は抜群に良く、志望度の高い学校に合格できました。最後は自分から理科のオリジナルノートを作るようになっていて、主体的に勉強に取り組むようになっている姿勢に感動しました。

終わりに

私が担当していた生徒たちのように、他の塾で問題を抱えていて、当塾に辿り着く生徒は多いです。話を聞いてみると、学校や家庭での問題を抱えていたりもします。そんな小学生たちのために、塾を1つの居場所として、中学受験に合格する目標に向かっていきます。いろんな感情を生徒と共有しながら勉強を教えていくと、こんな問題まで解けるようになったんだなぁと思うだけでなく、態度や人間性もずいぶん変わったなぁと感心します。

塾を自分の居場所にできず、勉強をしない小学生だった私は紆余曲折を経て塾講師となりました。

あの頃できなかったことを、生徒と一緒に、今、成し遂げる。

そんな想いで働いています。

個性豊かな生徒たちと、1対1で関係を築きながらともに目標に向かい、成長を促していくこの仕事の魅力を感じていただけたでしょうか?

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