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【社員紹介】鴨井渉太 | 正解にするかは自分次第

(株)Realize 取締役の鴨井渉太です。

<自分の選択を正解にするか不正解にするかは自分次第>

とある選択をすることで、自分の環境が大きく変化することがあります。

私は、新しい環境を自分にとって正解にするのも、不正解にするのも自分次第だと思っています。

私のこれまでの人生を振り返ってみても、そのようなタイミングがいくつか存在していたように思います。

それらについて触れていきながら、私がどのような人物であるのか、なぜ慶早進学塾で働いているのか詳細に知っていただけたらと思います。

・これまでの経歴 〜初めて本気で勉強した高校時代〜

実は、私は教育業界で働くことになるとは、学生時代はもちろん、大学を卒業し企業に勤めてからも全く想像していませんでした(笑)

では、今ではなぜ塾長である兄の鴨井拓也と共に慶早進学塾を経営し、人生の大半をこの慶早進学塾に懸けているのか。私のこれまでの人生に大きく関係するため、経歴からお話ししていきます。

どこから遡って話をしようかなと思いますが、私の人生でまず大きく変化があったのは16歳から18歳頃だと思うので、まずは高校時代に遡ろうと思います。


Q:どうしてこの高校時代に大きな変化があったのか?

それは高校デビューをしたからです(笑)


私はすぐ乗り物に酔うので満員電車に乗るのが苦手で、自転車で通える範囲の偏差値65ほどの高校を選んだのですが、なんとその高校は制服がなく私服登校だったので、高校デビューするには打ってつけの環境でした(笑)

高校デビューが成功したのか、失敗に終わったのかは定かではないですが、(おそらく失敗w)

バイトを始めて、髪を伸ばし、染めて、ピアスを開け、、、、、、(笑)

まさに「 THE 高校デビュー 」といったかんじです。

なぜこんなことをつらつらと書き並べているのかというと、当時の私には、高校生であれば必ずと言っていいほど「するべき」ことが欠けていたからです。


それは、「勉強」です。


高校1年・高校2年の2年間、全くと言っていいほど勉強をしていませんでした。

学校の小テストの予習復習はもちろん、定期テストの勉強もろくにせず、放課後はバイトや、カラオケ・ボーリング・マックで大富豪・オンラインゲーム、こんなことに毎日全力を注いでいました。

成績はもちろん最悪。クラス順位は常に下から数人の中にいて、模試の成績も偏差値30台、よくて40ちょっとくらいだったと思います。

大学への進学も当時は考えていませんでしたが、ひょんなことがあって、大学には進学をしようと決意しました。それが高校2年生の冬のタイミングでした。

2年生の2月か3月、2年生の終わりかけというタイミングだったと思います。親に「受験をしたい」ということを伝えると、予備校に通わせてもらうことになりました。

ここが一つ私のターニングポイントだったと思います。

これまでの環境では、気持ちを切り替え勉強に打ち込むのは自分の未熟さゆえ不可能だと感じていましたし、そもそも、何をすればいいのかすら分かっていなかったので、素直に教えを乞おうと思ったからです。

私は勉強開始時期も学力も人より遅れているし、残り期間でもできるだけ頑張った証を残したいと思ったので、志望大学は私立大学に絞って、3教科に専念することにして、勉強を開始しました。

そして、入塾してからは、別人になったかのように勉強しました。

もちろん入塾して間もない2年生の3月はまだまだ軽い気持ちで勉強していましたが、勉強をし始めるとやればやるだけ、自分がどれだけやってこなかったのか、何も知らないのかが分かるようになり、3年生になって「マジでヤバイ。」と痛感し、覚悟を決めました。


この期間、本当に勉強しました。


開校時間に行って、閉校時間まで残って、そのあと24時までやっている飲食店に移って勉強して、、、など、死に物狂いで勉強した記憶が今でも蘇ります。

当時の勉強の様子を表現すると、友達からは「鴨井が自習室に入ると、ずっと集中してて消しゴムの位置しか動かない。」と言われたりしていました(笑)

ただ、勉強自体はとても楽しく、予備校での生活もとても楽しめていました。それが勉強を続けられた理由だと思っています。

また、塾長である兄は、当時2浪をしていたので「浪人は辛そうだな...」と見ていました。

1浪期、2浪期と基本的に家で勉強しており、それを見ていて、自分は「現役でなんとか終わらせよう」と思い、そのためにできる限りのことを尽くしたといったかんじでした。

兄が反面教師になってくれていたおかげもあって(好きでなっていたわけではないとおもうが...笑)志望大学に現役で合格することができました。

予備校では、この先生のおかげで合格できたと思えるような恩師にも出会い、そして本当に勉強して、目標を達成することができました。

当時の予備校、学校の先生には本当に感謝しています。

そして、この期間(厳密に言うと、高校3年生のたった1年間w)の私の原体験が、現在慶早進学塾で働き、高校生に指導をする上での私の哲学を大きく形成しています。

・なぜ入社したのか 〜鳴かず飛ばずの会社員時代『魂こめろ!』〜

高校卒業後、大学は早稲田大学社会科学部に進学しました。

今回は大学での生活については述べませんが、卒業後ついに社会人生活をスタートすることになります。

大学卒業後、日系メーカーに3年間勤めましたが、正直に言って挫折の連続でした(笑)

仕事や業界のことについて、積極的に学びたいといった欲も出ず、そのため大した成果も出せず「おれって仕事できないんだな。」と思うようになっていました。

ある程度の仕事も卒なくこなせるだろう、と思っていたのですが、明らかに「できないやつ」だったのです。

先輩や上司の方々には、たくさんのことを教えてもらったり、可愛がってもらったり、助けてもらったりしていたのですが、どこか今の仕事に対して「これじゃない感」を拭えないでいました。

そんなある時、上司から皆の前で大声で叱られることがありました。


『もっと魂こめて営業しろよ!!!』


もちろん何も言い返すことはできず、皆の前で大声で叱咤されたことの恥ずかしさよりも、「本当にその通りだな。」と自分に対する情けなさの気持ちが勝っていました。

当時の私は、この上司のいう通り、魂を込めて仕事に取り組めていなかったし、そんな気持ちを見透かされていたのだと思います。


業務後、先輩が慰めのために飲みに誘ってくれた飲みの場では、

「魂込めろってなんですかね?笑」「見積書に魂入れて、金額出したらいいんっすかね?笑」

なんで愚痴っていましたが、、、(笑)恥ずかしさを隠すので精一杯で、内心このままではいけない。と思っていました。

仕事で非常にくすぶっていたそんなタイミングに兄から連絡があり、当時私が住んでいた福岡まで遊びにきてくれました。


そこで「一緒に働かないか?」と誘われたのです。


その場では『絶対無いわ!(笑)』と何度か断りました(笑)

当時は、まだ今の仕事を辞めて、新しい仕事をしようとは思っていなかったからです。

しかし、家に帰って、考えれば考えるほど今の仕事よりも自分の力や経験を生かせるのではないかと思えたのです。

兄が大学在学時に起業をし、単身岐阜に移り、慶早進学塾を経営していたのは知っていましたし、そんな様子をみていて、情熱を持ち自分の仕事に取り組んでいる姿への憧れもありました。


Q:なぜ自分の力を生かせるのではないかと思ったのか?


それに関しては、私の受験時代の経験が大きく関わってきます。


まずは、私自身受験勉強に関して、持論を持っていたということです。


0ベースから勉強を始め、成績を上げていったため、勉強が得意ではない人たちの気持ちがとても分かるのです。何がわからないのかがわかる、といったイメージです。

また、学校や塾で勉強を教えてもらっていて、

「そうじゃなくて、こうやって教てくれたらもっと分かるんだけどな。。。」

と思うことがたくさんあったのです。

全く勉強をしてこなかった奴が大変生意気なのですが(笑)

しかし、勉強を始めてみると、そのように思うことが多かったのです。

特に、質問をしたときや授業のときなど、その問題の解き方を教えてもらうのではなく、『どのように勉強していたらその問題を解けていたのか』を教えてほしいんだけどな〜、と常々思っていました。

事実、そのような教え方をしてくれた先生には、「この人の言うことを信じよう」と全幅の信頼を置いていました。

そういった持論を持っていたため、私のような思いを学生たちにしてもらいたくないし、その気持ちがわかる自分なら、当時の自分が求めていたような教え方ができると思ったのです。

そして何より、業界として人生かけて取り組めそうだなと思ったのです。


Q:どうしてか?


受験勉強が楽しくて、好きだったからです(笑)

たしかに当時はきつかったのですが、1年間を楽しく過ごせていたので、綺麗な思い出として残っていました。

なので、受験業界に対して、とても前向きなイメージを持っていました。

他にも理由をあげればたくさんありますが、そのような気持ちを抱えて、慶早進学塾に仲間入りしました。

・入社してみてどうか 〜優れたカリキュラムと、アットホームな拠り所〜

実際に入社し、兄の作り上げてきた慶早進学塾のカリキュラムと指導方針の質の高さに、驚きました。


【成績を伸ばすための勉強の三大原則】

・勉強はやったかどうかではなく、仕上げたかどうか

・やることを絞って、大量反復

・正しいアウトプットによる頭の使い方


【勉強だけではなく、生徒たちのメンタル面を支える心理学的合格法】


これらの完成された指導方針により、毎年優れた合格実績を出せているのだなと感じたのです。

また、慶早進学塾のカリキュラムに関しては、私が受験生当時感じていた「こうやって教えてくれたら」に近いものがありました。

やはり兄弟の血は争えないのかもしれません(笑)

入社してからもちろん研修や自身の勉強も重ねて、ノウハウや指導方針の習得に努めましたが、特別大きなギャップもなく、比較的自然に自分のものにできたと思っています。

そして、何より通っている生徒たちがとても楽しそうにしているのです。

まさに、アットホームという言葉が最も似合うでしょう。

生徒たちが学校学年の垣根を超えて仲良くしていたり、兄をいじって楽しんでいたり(笑)

塾であるのに勉強する場所に寄っているのではなく、皆の毎日の拠り所になっているようでした。

私はこの雰囲気がとても好きで、良い空間だなと強く思いました。

ストイックに頑張るときは頑張る。

気を抜くときは気を抜く。


そのオンオフの切り替えが、長期的に頑張り続け、望んだ結果を出せる要因だと思うのです。

そして、私自身に関しては、新たな環境で毎日楽しく仕事をしています。

なんなら、仕事をしているという感覚ですらありません(笑)

受験業界で働く以上、自身の学力向上・情報収集・学校研究は非常に大切です。

私自身もより生徒たちに良い教育を届けることができるように、日々勉強することばかりですが、それが自分の成長・生徒たちの成績、ひいては会社の成長に直結していると思うと非常に喜ばしいです。

自分の能力を最大限生かせるポジションを用意してくれて、ある程度の裁量を任せてくれている兄にはとても感謝しています。

今では、慶早進学塾の母体である岐阜校はもちろん、鷺山校・大垣校を含む岐阜エリア3校舎の管轄を任されているため、引き締まる思いで気合いが入ります。

・これから  〜岐阜で天下を〜

私は、近い将来『岐阜の大学受験といえば、慶早進学塾』と言われるまでの影響力を持たせたいと思っています。

そのためには、「鴨井渉太」という私の名をまずは岐阜県内で轟かせないといけないと感じています。


『岐阜の大学受験は、慶早進学塾』

『岐阜の大学受験は、鴨井渉太』


もちろん簡単なことではありませんが、不可能ではないと感じています。

毎年、慶早進学塾を選んで通ってくれている生徒たちの皆を、納得のいく結果に導いていき、その1つ1つの積み重ねが、私のこの目標を実現させてくれると信じています。

・最後に

ここまで長い文章を読んでいただきありがとうございました。

最後になりますが、冒頭の「自分の選択を正解にするか不正解にするかは自分次第」について述べます。

人生において環境が変わるタイミングは数多く存在します。

・進学、就職、転職、結婚、移住 など多岐にわたると思います。

私の場合は、

・大学受験を決意

・高校3年生時の入塾

・新卒での入社

・転職

これらのタイミングで大きく人生が変わりました。

そして、それらの選択を正解にするのも、不正解にするのも自分次第だと思っています。

もちろん、周りの環境や関わる他の人たちといった自分ではどうにもできない不可抗力も存在します。

しかし、最も大きな要因はやはり自分自身なのです。他の人や環境のせいにしてはいけないのです。

私は、大学受験を決意し、予備校に入ったことを正解にするため、自分のできる最大限を尽くしました。

そして、実際に正解と思える結果を出すことができました。

新卒で入社した会社を選択したことは、不正解だったのかもしれません。

しかし、それは私自身の、精神と能力の未熟さゆえだったのです。


その選択を正解にすることができなかったのはなんでもない自分なのです。

そして、私は転職し、(株)Realizeの取締役として、慶早進学塾を経営していることを私にとっての正解にしたいのです。


そのためには、自分ができることを尽くすしかありません。


そして、生徒たちが慶早進学塾を選んでくれたことも正解にするために、全力を尽くします。

そうすることが、私にとっての正解につながると思っているのです。

私は、そのようなマインドを持ち自分の選択に自分自身で責任を持ち、正解にするために行動できる人たちと一緒に働きたいと思っています。

一緒に教育業界の頂点を目指しましょう。

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