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簡単に手に入るものはきっとそんなに大切なものじゃない

鹿島塾に出会ったのは小6の時だ。

行きたくはなかったけど行きはじめたら楽しかった。

中3になったとき高校受験の合宿に長野の志賀高原にいった。

自習に付き合ってくれた高校生たちがカッコよくて来年の夏、絶対ここでバイトしようと心に決めた。

結局それから7年行き続けた。そこで代表にも出会った。

新卒で超有名アパレルに入社した。店長になるまではやめるもんかと思って頑張ったけど、店長になった途端に目標がなくなってしまった。

そんな時に代表に誘われて入社。2年目で教室長になった。自分の教室が作りたくてただただ奔走した。

3年目に中1,2の合宿を任された。

なんか面白いことしたくてモチベーションの上がるシール作ったり、目標設定とか普段できないことをたくさん経験してほしかった。そのプログラムを作るのが死ぬほど楽しかった。

2年終えて反省会の時に上司に「アンケートの評価はいいけど金にならん」って言われて「だったらもうやめたらいい」とキレた。言われてやったことなのにそんな言い方はないだろうと思った。

そっからモチベーションが下がった。辞めること考えたけどちゃんと後任を育ててからと思って後輩のためだけに仕事した。

で7年前に鹿島塾をひっそりやめた。代表には申し訳なくて挨拶もしなかった。

次の会社に入社してすぐ難病指定の病に侵されていることがわかった。

「全身性エリテマトーデス」ステロイドがないと100%死ぬ病気と言われた。

その時長生きはあきらめた。もう好きなことを好きなだけやろうと思った。

関東に出て外資系の化粧品会社に勤めたり、また個別指導の教室長やったりした。

昔の仲間から代表があんまり元気じゃないという噂を聞いた。

それで昨年夏に久々に連絡をとった。本当に7年ぶりに。

そしたらまた誘われた。

「俺が帰って来いって言ったらお前は鹿島に戻ってくれるか?」

正直、東京の塾は順調だった。転職する理由は何もなかった。

それでも帰ってきた。

ここで帰ったらロマンだなと思った。

勝算で人生計算しても楽しくないと思った。

教えてくれた先生も教え子もいる。みんな縁でつながっている。

「オモイをカタチに」

以前この会社にいたときにつけたキャッチフレーズ

今度はちゃんとカタチにしたい。

今の時代簡単に何でも手に入っちゃうけど、簡単に入らない苦しさを理解しないと

きっとその価値がわかんなくなっちゃうから

苦労して手に入ったもの喜びをもっと未来に伝えたい。

そんな鹿島塾第二章なのです。

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