1
/
5

History of JSL!!


はじめに

中澤と言います。妻と子供(長男:小4、長女:小2)の4人家族です。2000年入社の生え抜きです。
先日、いよいよ不惑の歳になりましたが、日々惑ってばかりです・・。

業務としては、トライブセクションという開発セクションの部門長をしながら、営業的な事や開発の一部を並行でやっています。(最近は、Serverless Frameworkと日々格闘しています)

おそらく今年最後のブログだと思うので、私が入社してからのJSLの変遷的なことを書きたいと思います。
それを踏まえた上で、最後に弊社が求めているエンジニアの人物像について書きます。

弊社は、他のメンバーが書いているようにリモートワークスーパーフレックスの導入を行いエンジニアが働きやすい環境を提供すると共に業務内容も都内のベンチャー企業と引けを取らないものと自負しています。

ただ、現在のようなワークスタイルになったのは、ほんの数年前からで、これに至るまでに様々な紆余曲折があり、チャレンジし続けてきた結果として今があります。

以下に転換期前(5年前)と現状との比較を表にしてみました。

いかがでしょうか?

今どき「普通でしょ」という感想をお持ちになった方もいるかもしれません・・。ただ、今期で42期という歴史の中で、凝り固まったいた会社組織を、わずか数年で変わった環境を体感した私としては、手前味噌ながら、「良くここまで短期間で転換できたな」と思います。
その理由をJSLの歴史と共に振り返ってみたいと思います。

転換期前

社歴は、今期で42期目ということで、ITを生業にしている企業としては、かなりの古株になります。
ただ、別段、目新しいこと尖ったことしていた訳ではなく、ほんの数年前までは地元のSIer企業の下請けが中心で、客先常住の案件が非常に多かった印象です。業務内容も大型の基幹系システムの開発や、組み込み系アプリの開発が主流でした。入社当時は、業界的には、Javaやいわゆるクラサバ系案件も多かったようですが、当時の経営方針でほぼキャッチアップもせずに既存の時術で対応可能な案件を受注していました
私も、キャリアの大半を組み込みエンジニアとして過ごしたため、現状の行っているWeb系開発の業務とは程遠いレイヤーにいました・・。

あえて言わせてもらうと、ほぼ刺激のない業務に対して売上を上げるだけのビジネスモデルだったように感じます。現状のように勉強会やスキルアップに励む社員がいるわけでもなく、勉強会参加するということも無かったです。ただ、リーマン・ショック以前は比較的案件も安定しており、個人的には何の危機感も無く日々を過ごしていたように思います。

会社の雰囲気的なことも付け加えておくと、典型的な年功序列な組織構造であったため、若手が自主的に活動する雰囲気はなかったように思えます(私にやる気が無かっただけで、実際には出来たのかもしれませんが・・)。


転換期

2008年のリーマン・ショックを境に、案件の減少受注単価の引き下げ等で会社的に厳しい局面を迎えました。
世間では案件の主流がクラサバ系からWeb系にシフトをし始めていましたが、当時社内で対応できる案件は皆無でした。また当時の業界のキャッチアップを怠っていたツケもあり、当時の業界からは5〜6年以上の遅れを取っていたように思います。

その後、状況を打破するためにR&D部門を立ち上げてPythonとAWSを使用したプロダクトを立ち上げました。結果的にこれが現状のスキルセットのきっかけになりました。
※当時、GAEも使用していて、これがPythonだったからという説もあります・・。

その後、新たに2013年に私を含める2名が、社長付プロジェクトに配属され売上度外視で徹底的に技術力の底上げとプロダクト開発に注力するようになりました。この時に、グループ会社のCastaliaのプロダクト開発に携わらせてもらうことにより、現在採用しているリモートワークや、チャットによるコミュニケーションのノウハウが蓄積できました。
また、Pythonへの関わり方が非常に強くなり、PyCon JP 2014で私もスピーカーとして参加させてもらいました。

ここから流れに乗り、2014年 2月にGEEKLAB.NAGANOを設立し、地域のエンジニアとの交流を図りながら、長野よりITを盛り上げていく活動を始めました。結果として、この活動に弊社のエンジニアも関わることにより、個々の技術レベルが一気に向上するようになりました。

この頃より、社内勉強会やワークショップ的な活動が活発になってきて風通しの良い組織になってきたので、若手を中心に会社が盛り上がってきました。

業務においても、入社1〜2年目であってもユーザとコミュニケーションを取りながら改善提案や開発を進められる案件が多くなり、非常にやりがいがある環境にもなってように思います。



現在

以上のような経緯あり、現在のJSLがあります。

最近の特徴として以下のようなものがあります。

・案件の大半を社内で捌いているために、Slack等で技術共有がしやすくなった。
・積極的にOSSへコントリビュートするメンバーが増えたきた
・個人ブログや、Qiitaへアウトプットしてくれるメンバーが増えたきた
・PyCon JPへスポンサー協力させて頂きながら、コミュニティ繋がりの案件を頂けるようになった
技術認定試験による査定の導入(来期より採用)

転換期前より知る私としては、私服で出社したり、定時後に後輩達とゲームしたり、動画鑑賞するような雰囲気によく変わったなと思う次第です。

裏腹に思うのは、個々のエンジニアが自主的行動をして成果を出し続けてくれるからこそ、このような雰囲気、環境に変わってきたのだと思います。

さいごに

弊社は歴史こそ古いですが、ベンチャー企業のような気持ちで成長し続ける企業です。
来年も引き続き、常にチャレンジや変化を恐れずにトライし続けます。

今後、会社をスケールする上でまだまだ人材が必要です。
弊社としては、こんな方大歓迎です。

・新しい技術に触れるのが好きな方、積極的に業務に導入したい方
・直接、会社もしくは、ユーザに対して企画・提案したい方
・知り得た知識やノウハウをブログ等でアウトプットしてくれる方
・一緒に長野からIT盛り上げてくれる方(「長野で」では無く、「長野から」)

冒頭にも書きましたが、私も今年で40歳となりましたが、まだまだ自分の伸びしろを信じつつまた、時には他のメンバーのサポートを受けながら、日々邁進していきたいと思っています。

是非、今、長野で一番熱いJSLを一緒に盛り上げてくれる方、お待ちしています!!

株式会社日本システム技研では一緒に働く仲間を募集しています
9 いいね!
9 いいね!

今週のランキング

中澤 祐一さんにいいねを伝えよう
中澤 祐一さんや会社があなたに興味を持つかも