答えは Yes であり No でもあります。
アニメ『機動戦士ガンダム』シリーズに登場するガンダムそのものを造るのか、という問いに対しての答えは、明らかに No です。ガンダムそのものを現実世界で造ろうとする試みは荒唐無稽です。理由は、技術的に極端に困難であること、そして、その困難さを乗り越える価値が無いことです。
アニメや SF にロボットが登場するのには、その作品毎に違った理由があるはずです。例えば『鉄腕アトム』を考えてみましょう。筆者が見るに、鉄腕アトムの世界のテーマは「異質な他者との共存」です(現代の diversity や tolerance といった概念に通じる先見性のあるテーマだったと感嘆します)。物語世界の中で異質な他者を表現する icon が、アトムのような「自我を持つ自律ロボット」だったと。ならば、アトムがロボットである必然性は必ずしも無かったのかもしれません。アトムが異星人や未来人だったとしても、それはそれで、手塚治虫先生なら素晴らしい物語を紡ぎ出されたことでしょう。
つまり、重視すべきは作品が訴える「異質な他者との共存」というテーマであって、原子力モータ(原子力発電所のような核分裂炉ではない)で動いて飛んで十万馬力という、ロボットとしての属性ではない、ということです。作品が訴えるテーマそっちのけで、ロボットとしての属性にケチを付けるのは、愚の骨頂を通り越して害悪に近いと筆者は考えます。
そして、ガンダムです。ガンダムの身長や体重、劇中で果たす兵器としての役割などの属性は、作品世界の中でこそ意味を持つのであり、そのまま現実世界に持ってくるのはナンセンスです。
では何を現実世界に持ってきたいのか?
筆者は、数多のアニメや SF に共通して描かれる夢である「人が搭乗して思い通りに操る巨大人型ロボット」による「人間の身体能力の拡張(オーグメンテーション)」という機能を、現実世界で実現したいのです。
数多のアニメや SF で各個に描かれる架空のロボットの属性は、前述の理由で現実世界とは関係ありません。無駄に詳細な工学的考察は野暮というものです。しかし一方で、それらのアニメや SF に、筆者は大いにインスパイアされました。それらの架空のロボットの活躍を視ていなければ、筆者はロボット工学を志さなかったでしょうし、本プロジェクトを立ち上げることも無かったでしょう。それらのアニメや SF へのリスペクトを表現したい、それが、一定の誤解を受けるのを承知で、筆者が「ガンダム」という言葉を好んで使う一番の理由です。
つまり、ここでの「ガンダム」は、数多のアニメや SF で縦横無尽に活躍する「人が搭乗して思い通りに操る巨大人型ロボット」による「人の身体能力拡張(オーグメンテーション)」という機能の象徴です。ガンダムそのもの/ガンダムだけを実現するつもりはありませんし、それだとおそらく近未来には実現しないでしょう。そうではなく、ガンダムに象徴されるロボットに託して数多のアニメや SF が描く「巨大人型ロボットによる人の身体能力の拡張」という夢を実現するのか、という問いであれば、筆者は胸を張って Yes と答えます。
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▶︎ 2012/07/10(火)12:19:00 = uploaded
▶︎ 2012/08/14(火)10:26:00 = revised
▶︎ 2018/01/05(金)16:05:59 = last revised