「医療やヘルスケア分野をデジタル技術で革新する」を掲げるジェイフロンティア株式会社。14期目を迎えた2021年8月に東証マザーズへのIPO(新規株式公開)を実現しました。50名規模のベンチャーながら、売上高1000億円企業に向けて急成長中です。
急成長の理由のひとつが「幅広い事業ポートフォリオ」。EC・通販企業の売上拡大を支援するBtoB事業から始まり、自社オリジナル商品をEC・通販で展開するD2C事業に事業領域を拡大。さらに、これまでの非対面ビジネスの運営・マーケティングノウハウを活かし、「オンライン診療・オンライン服薬指導・薬の宅配」をワンストップで提供する医療プラットフォーム『SOKUYAKU』事業を展開――多彩で堅実な経営基盤を実現しています。
今回紹介するのは、代表を務める中村篤弘。「調剤薬局の現場を知り、ECやシステム、プロモーションまで全てを経験してきたからこそ社会課題解決に貢献できる」と豪語します。
ジェイフロンティアが上場を果たすまでの14年間で彼はいったい何を考え、何を信念としてきたのでしょうか。その溢れ出るパワフルさの源と、壮大な使命感を持つに至った人生観に迫りました。
プロフィール
中村 篤弘(なかむら あつひろ)
代表取締役社長執行役員
大学卒業後、大手ドラッグストアに入社。医薬品や化粧品の販売、薬剤師のマネジメントなどを経て、POSシステム会社、ヘルスケア関連商品を扱う企業のEC集客の販促・広告代理店で営業本部長などを経験。2010年より現職。
<目次>
・広告の限界を解決するためにジェイフロンティアを設立
・要介護の祖父、医療従事者の多い環境に育つ
・「社長が変わらなければ会社は良くならない」と言われた日
・医療業界のDXと「未病」で日本のGDPを押し上げる
広告の限界を解決するためにジェイフロンティアを設立
――ジェイフロンティアの設立時はどのような課題感をもっていたのでしょうか?
当社をスタートさせた際に私が感じていた課題感は2つありました。1つ目は「広告の限界」です。私たちジェイフロンティアは広告代理業から始めたのですが、設立前から「広告だけでクライアントの課題を解決するのは限界がある」と感じていました。
化粧品やヘルスケア商品などのランディングページの広告でどれだけいいクリエイティブを作って、いい媒体を選定して出稿しても、商品自体が良くなければ売れません。また、商品の価格やECを載せているシステムの良し悪し、送料の有無などにも売上は左右されます。D2Cにおいては、広告・販促という1つの要素さえよければ売上が上がる業界ではありません。
つまり、さまざまな角度からクライアントに対して課題解決を提供できなければならないのですが、広告代理店の中にいるとどうしても「広告の発想」から抜け出せないことが多々ありました。
――もう1つの課題感は?
売上が上がるとクライアントが「卒業」してしまうことです。私は会社員時代、月間で2億円を売り上げており、大手の代理店カンファレンスで1位を受賞したこともあります。「売上が上がる」との評判を聞きつけて、お陰様で私を指名してくださるクライアントがたくさんいました。ところが、月商300万円だった企業と一緒に二人三脚でがんばって月商3億円まで上げると、卒業してしまう。つまり、大手の広告代理店に鞍替えしてしまうのです。
あるメーカーの立ち上げで、ECサイトの構築から始めてたった3ヶ月で月商2億円まで引き上げるご支援をしたことがあります。最終的には、500万円の広告費で立ち上げた商品を年商25億円に。この結果が出せるなら自社で商品開発して販売してみたい、と考えるようになりました。
「ビジネスというのはやはり商流の風上にいないと難しい」と感じたことが、ジェイフロンティア設立のきっかけのひとつでした。
要介護の祖父、医療従事者の多い環境に育つ
――ヘルスケア分野との出会いは何かきっかけがあったのでしょうか?
私は学生時分から、祖父が要介護者でした。兄が病院で働いていたこともあって、介護をしてくれていて。日本の薬局の待ち時間は現在、平均で28分と言われていますが、薬を取りに行くだけで午前中いっぱい時間がかかったり、本人が受け取りにいかないといけなかったり、通院の送迎で時間を取られたりを目の当たりにしていました。
加えて、周囲に医療従事者が多かったことも「出会い」に影響していると思います。私の妻は薬剤師で、叔父も薬剤師、あるいは親戚に看護師がいるなど、医療従事者が多かったこともあって、潜在意識の中には医療や介護現場への課題感を持っていました。
――ジェイフロンティアは一貫して、販促・広告とヘルスケアが軸にある?
そうですね。リアルの現場からECまで「ヘルスケア関連の商品をどうやって消費者に届けるか」を一貫して考えて来ました。
2008年に広告代理業としてスタートし、2012年にD2Cのメーカー業を、2016年には医薬品の通販事業を始めました。そのあたりから規制緩和の流れもあって、医薬品を届けるための仕組みとしてオンライン診療を念頭に置きつつ2019年に調剤薬局を港区で開始しました。薬局を拡大展開したかったわけではなく、デリバリーサービスを行うためです。つまり、
『SOKUYAKU』の「β版」を始めるためにお店を開きました。
『SOKUYAKU』とはオンライン診療サービスで、2021年2月にアプリをリリースし、俳優の大沢たかおさんにCM出演してもらい、東京23区を皮切りに現在はデリバリー網を横浜市、大阪市、福岡市、名古屋市まで拡大させています。
D2C領域においても現在は、商品企画から製造、物流、EC販売、プロモーションまで「一気通貫」のバリューチェーンを構築しています。プロモーションにおいても、ECからテレビ通販までチャネルを使い分けるノウハウを蓄積してきました。まさに創業時に抱えていた「広告だけでは解決できない」課題を解決できる事業に成長しました。いわゆる「オムニチャネル販売戦略」を実現しています。
――「一気通貫」を実現している企業はほかにあまりなさそうですね。
医療分野の知見や課題分析も必要ながら、もっとも難しいのはプラットフォームやバリューチェーンの構築です。さらに加えて、プロモーションのノウハウの蓄積が必要だと思います。その点において、当社のヘルスケア事業ではBtoBだけでなくBtoCまで幅広い知見と実績を重ねてきた強みがあります。
――中村代表の考え方や信念において、創業時から変わらない「一気通貫」の点はありますか?
社内のメンバーに対しては常々「人生の理想や夢を達成する方法はただ一つ。それは人間力を高めることだ」と伝えています。
「人間力」は3つの要素ーー知力、胆力、徳力があります。
「知力」は勉強を深めていくこと。「胆力」はメンタルタフネスや精神力、情熱のことです。「徳力」は徳を積むことで、一朝一夕には身につきません。人に親切にする、ウソをつかない、親孝行する……そういった積み重ねで、人にいい影響を与えられる力や求心力が身につきます。
私は「仕事をすることを通じてしか人間は成長しない」と考えています。座右の銘に、幕末に生きた吉田松陰の言葉「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」があります。「誠意を尽くせば、どんなものごとでも動かせる」といった意味合いです。
吉田松陰の私塾「松下村塾」は、伊藤博文や高杉晋作など名だたる人物を塾生として輩出しています。でも、吉田松陰はたった2つのことしか塾生に教えてないんです。
「何のために生まれてきて」「何のために生きるのか」ーーこの2つだけです。ただし塾生には小学生も含まれていましたから、そんなことを言われても理解できない。では子どもたちに何と伝えたかと言うと「なにごとにも誠意を尽くしなさい」と教えたんです。つまり、朝起きたら命がけで布団をたたみ、懸命に玄関の掃き掃除をしなさい。それを続けたら、君たちがなんのために生まれてきたのかが分かる、と。これしか教えてないんですよね。
30歳を過ぎてから私の人生を振り返ったときに、何のために生きるのかが自分なりに理解できました。それでジェイフロンティアを始めました。至誠を続けた人は誰でもものごとを動かせると思っていますし、仕事を通じてそれを伝えていきたいです。
「私と同じ行動をしてほしい」ということではありません。適材適所でそれぞれが成長してくれたらいいんです。人間力さえあれば、チームも売上も収入もあとからついてきます。夢や理想を達成して結果を出すには、人間力を向上させるしかないと私は思っています。人間力を高めた上で、個人個人の人生の目標を達成してくれたら本望です。
だから、仕事を通じてお互いが成長できる環境を作りたいし、そのために事業を通じた人材育成に力を入れています。
設立時から変わらない考えは、もうひとつあります。それは「日本企業がもっと外貨を稼ぐ仕組みを作る」ことです。海外志向という話ではなく、日本に対してもっと恩返しがしたいと思っています。
2010年にJALが経営破綻した際、当時の政権に請われて稲盛和夫さんが会長に就任しました。周囲の経営者はみんな反対しました。絶対に失敗する、晩節を汚すから止めたほうがいい、と。当時すでに80歳近い彼は、コンビニのおにぎりを片手にホテル暮らしを続け、2年間でJALを再建させました。
この話を聞いて、単純に「自分は情けない」と思いました。
稲盛さんは、戦後の焼け野原から日本を建て直してきた世代です。日本のGDPがいまだに世界の3位でこれだけの経済大国なのは、上の世代ががんばってきたからだと私は思っています。一方で、私たちはいったいいつまで先輩方のつくってきた貯金、つまり、資産を食いつぶし続けているのか、と。
そうした諸先輩方に恩返しをしないといけない。日本のGDPを上げ、日本の需要と消費を増やさないといけないーー30歳くらいのときに思いました。では、何がもっとも恩返しになるのでしょうか。私は「日本企業が外貨を稼いで先人を超えること」だと思っています。
日本経済をこれまで支えて来て下さった偉大な企業の創業者・経営者の諸先輩方に「お疲れさまでした。あとは私たちに任せて安心して引退してください」と言えるようになりたい。将来はジェイフロンティアをそんな会社にしていきたいです。
人材育成と、外貨の獲得による日本のGDP向上。創業時から変わらず抱き続けている考えです。
「社長が変わらなければ会社は良くならない」と言われた日
――中村代表自身が「変わった瞬間」、ターニングポイントはありましたか?
いい意味で、マイクロマネジメントをやめたときですね。かつて私は社員の仕事に介入しすぎていました。しかし、この方法では会社が「中村商店」になってしまい、年商25億円くらいで頭打ちになってそれ以上成長しなくなりました。それどころか、倒産の憂き目に何度かあいました。月末の会社のキャッシュが6万円しかなくて1億円足りない、なんてことも……。そのとき私は何をしたかというと、神社に行って神頼み(笑)。創業から5年目の話です。
そんな頃に焼き鳥屋で社員から「この会社は社長(つまり私)が変わらなかったら良くならないですよ」って言われて。その言葉にいろいろと気づかされて変わるきっかけになり、今では感謝しています。
事業は人がいちばん大事なので、教育や採用、研修などにはもちろんお金をかけます。当然、社員には成長してほしいですが、人に依存したビジネスモデルでは会社が成長しません。当時は、私がコンサルのような属人的な営業手法で売上の8割を作っていました。しかし、それでは再現性がない。
「みんな頑張れば、みんな絶対に幸せになれる、人生が良くなるぞ」ってマネジメントをしていましたが、それをやめました。本人が同じように思っているとは限らないからです。私は、新卒で入社した会社のドラッグストアに毎朝4時に出社をしていたくらい、ストイックなんです。ジェイフロンティアの経営が傾いたときは、自主的に朝5時に来て、会社のぜんぶのトイレ掃除を勝手にひとりで課していました。自分に厳しい人間です。
そんな私が、社員との接し方を変えて、事業の主軸を広告代理業のBtoBから、メーカーとしてのBtoC(D2C)へ拡大させたのもこの時期でした。この苦しい時期がなければ今はないし、感謝しています。足腰とメンタルが強くなりました。
――逆境が変革のきっかけだったんですね。
そうですね。もうひとつ変化の大きなきっかけがありました。それは、私と社員の間に取締役やマネジメントで入ってくれたメンバーの存在です。中間管理職で優秀なメンバーに入ってもらってからは、会社が上手く回り始めました。ほかの会社で社長を務めていたような人をヘッドハンティングしました。私が直接現場に何かを言っても伝わらないし、私には向いていない。だからこそ、私の意向を咀嚼して翻訳・変換してくれる人が必要でしたし、それ以降はスムーズになったのでとても感謝しています。
医療業界のDXと「未病」で日本のGDPを押し上げる
――2021年に上場して半年が経ちました。現在はどのようなことを考えていますか?
2021年に上場して以降、売上高1兆円を目指しています。上場から半年も経たずに5社をM&Aしました。そんな企業はほかにあまり存在しないと思います。しかし、ただやみくもにM&Aしているのではなく、一緒に仲間として同じ船に乗れて、シナジーを生み出せる会社である要素が必須です。かつ、社長が残ってくれる会社しか買収していません。もちろん、生え抜きの社員が社長になってくれることも期待していますよ。
「人生100年時代になると社会保障費が100兆円必要になる」と言われていて、それでは現在の国家予算の100兆円が社会保障費だけで使われてなくなってしまい、ありえません。社会保障費を今より下げるには、医療のDXと「未病」の促進しかありません。未病とは、病気になる前に防ぐ、病気になる人を減らすことです。
ゆくゆくは自社で新薬の研究・開発が行えるように注力し、研究者に投資して、扱える成分や商品の幅をもっと広げていきたいと考えています。
――採用で新しくメンバーを迎えるにあたり、どんな人を歓迎しますか?
若い人であれば、素直で誠実であること。その要素を持っていないと、伸びません。さらに、チャレンジングで困難な状況を楽しめる人。相手の期待値を超える仕事ができる人、至誠を尽くせる人。
働き方改革の前の時代、私はドブ板営業をしていました。私が新卒入社の頃は1日2時間睡眠で3年間、頑張ったりしていました。営業時代、部下の空けた2400万円の赤字の穴を埋めるために、深夜の3時にクライアントの社長へ電話して、激怒されつつも雀荘にいることをつきとめ、その会社の周辺にある雀荘を3件回って社長を見つけました。「朝まで麻雀して勝ったら話をきいてください」とお願いしました。結局負けましたが、その社長は3000万円分の広告を買ってくださいました。
相手の期待値を越え、至誠を尽くすを地で行っていたつもりです。今の社員に同じことをしろとは決して言いませんが(笑)。
ただ、考え方は30歳以降、変わっていません。日本のGDPを押し上げる、日本の医療業界のDXを成し遂げる。これが私の使命ですが、20代の若手に特に伝えたいのは「仕事を一生懸命やらないと、何のために生まれてきたのか、使命に出会えない」ということです。使命とは、命を使うと書きますから。
――最後に、中村代表の夢を教えてください。
吉田松陰の夢や魂が今も私の中に生き続けているのと同じように、100年後、200年後の世代に対して自分の生き方でいい影響を与えられるような、事業家であり人間でありたいですね。
取材・文:山岸 裕一、撮影:鈴木 智哉