当社では、リモートワーク下で減少してしまった「人」を知る機会の創出、そして社員が自身のキャリアを検討していく上で参考になる情報の提供を目的として、「キャリア寺子屋」を運営しています。「キャリア寺子屋」では、当社の社員が登壇し、これまでの経歴やそこでの学び、キャリア選択における価値観などを共有しています。
今回は、デジタルイベント事業局の局長として組織をリードする一方、ふたりの子どもを育てるママさん管理職、滝沢 渚のストーリーをお届けしたいと思います。
【プロフェッショナル・メディア事業本部 デジタルイベント事業局 局長 滝沢 渚】
1986年生まれ。明治大学 政治経済学部 卒。2009年に新卒でアイティメディア株式会社へ入社。コンシューマーメディアやBtoB ITメディアの広告営業を約7年経験した後、出産・育児のため休職。デジタルイベント部門のマーケターとして復職後は、マネジメントも担い、2020年にデジタルイベント事業部長に就任。翌年に第二子を出産し、復職時に現役職へ。
※所属部署や業務内容は講話当時(2022年5月時点)のものです。
滝沢: 今回は、キャリアとプライベートの2軸でお話することで、それぞれの転機にどんなことを考え、どのような選択をしてきたのかお伝えできればと思います。
予想外の営業配属と辛い不況時代
滝沢: 私は新卒でアイティメディアに入社をしました。当初は編集記者職を志望していたのですが、配属されたのは営業部門でした。正直なところ「あれ、なんか違うな?」と思いながらキャリアをスタートしました(笑)。
現在の営業部門は、メディアの領域問わず顧客ニーズに応じてマーケティングサービスを提供するアカウント体制になっていますが、私が入社した13年前当時は、BtoBとBtoCのメディア領域ごとに営業が分かれていました。私はBtoC部門に配属され「ITmedia Mobile」や「ITmedia PC USER」といったコンシューマー向けメディアの広告を販売していました。広告とは何か、受注案件はどのように進行させるのかなど、何もわからない状態からのスタートでしたが、様々な方に支えていただきながら、がむしゃらに頑張っていました。
当時はiPhoneやスマートテレビが登場したばかりで、アーリーアダプターが多いアイティメディアに広告を出稿いただくことも多く、売上は好調でした。その波に乗り、私自身も企画を考えアイディアを売るという仕事を非常に楽しく感じていました。
しかし、時代の潮目がだんだん変わっていきます。市況は悪化し顧客は赤字や倒産続き。さらにポータルメディアが売上を伸ばし、価格比較サイトのような新たな競合も出現したことで、アイティメディアは長いBtoC不況に突入します。当時私が所属していた部署は仲間がどんどん減っていきました。入社3年目から5年目は苦しい時期が続きましたが、その中でもがきながら、結果を出すためにどんな工夫ができるか、長距離を走り続けるためのセルフコントロール方法はなにかなど、常に自問自答を繰り返しながら売上を作る方法を考え、何でも売りました。当社のメディアと全く関係のない料理番組も提案し、番組のディレクションもしましたね。
時を同じくして、プライベートでも大きな下り坂を経験します。仕事とプライベートのどちらも苦しい状態になると、人はメンタルをやられてしまうんですね。この時期は人生の迷子で、何をやってもうまくいきませんでした。しばらく沈んでいたのですが、浮上せねばと思いなおし、メンタリティを鍛える旅に出たり勉強をしなおしたり趣味のコミュニティを作ったりと自分の世界を広げる活動をしました。
仕事の面でももう一度自分を鍛えたいという思いから、私は会社に「BtoBの営業部門へ異動をさせてほしい」と伝えました。BtoC部門にいたときにも売上目標の達成にはこだわり厳しい市況の中で達成はしていました。そのため営業スキルが向上している実感もあったのですが、それは担当領域が変わっても発揮できるものなのか確かめてみたくなったのです。BtoB業界や商品の知識は一切なかったですが、半年間でキャッチアップし、次の半年間で成果を出すと決めて異動をしました。結果、異動の1年後には目標に対して200%超の達成をすることができました。期限を切って自分自身を追い込み、さらに結果を出せたことで、業界や商材が何であれ成果を出せる自信がつきましたし、もう一度がむしゃらにやったことで五里霧中な状態から抜け出すことができました。
ニューヨーク移住によるキャリア観の変化
滝沢: その後プライベートでも結婚が決まり、久しぶりに公私ともに上向いたのですが、今度は夫から「ニューヨークに転勤しようと思う」と言われます。私の仕事は一切考慮せず、夫に帯同する前提で話をされたことに違和感を覚えました。この際に夫と人生や家族の在り方について議論を繰り返したのですが、これが自分のキャリア観や今後どうやって生きていきたいかを改めて考えるきっかけになりました。
私の母は専業主婦だったので、新卒での就職活動当時は「私もいずれ主婦になるのだろう」と考えていました。今考えると非常に浅はかなのですが、自分が働くのは長くて10年くらいだから、その10年を密に過ごせる会社を就職活動の軸のひとつにしていたほどです。アイティメディアに入社したときも、漠然といずれは辞めるのだろうと思っていました。しかし、いざそのときがきたら「辞めたくない」と強く思いました。「家庭人だけではなく自分個人のための人生も歩みたい」という欲求に気づいたのです。
ただ、夫のチャレンジも応援したい。そこで夫とも会社とも相談し、ニューヨークへの帯同の期間を1年半と定め、その間会社を休職することにしました。もともと帯同のための休職制度があったわけではないですが、会社が柔軟に対応してくれたので、打開策が見出せました。
キャリアを分断して行くからには、これを逆手に新しい何かを得られる機会にしようと決意しました。ニューヨーク滞在を自分ドリブンの経験にするために、自身の抱えている課題と向き合い克服する期間にしようと思いました。コンプレックスであった英語力の向上に加え、デジタルマーケティングやビジネスの知見を深めることを目的に、ビジネススクールに通いながら現地のスタートアップ企業で働きました。これまで取り組まずに逃げてきたことに真剣に向き合った、辛くも幸福な日々だったと思います。最終的にはMBAを取得し帰国しました。
事業成長とライフイベントの狭間で苦悩
滝沢: 実はニューヨーク滞在時に第一子も授かり現地で出産をしています。ニューヨーク滞在中は夫の協力が得られたのですが、帰国後は子どもと家にふたりきりで過ごす時間が長くなりました。家に閉じこもり大人と話す機会が減ったことで知らず知らずのうちにストレスが溜まり、産後鬱のような状態になってしまいました。私にとっては家庭以外のコミュニティや役割の存在も大きいんだと気づき、復職を早めることを決めました。
復職時に配属になったのが、「プラットフォームビジネス推進部」という、現在のデジタルイベント事業局の前身となる部門です。それまでに経験した広告営業とは全く異なる仕事でしたが、新しいチャレンジが非常に楽しく、すぐに復調していきました。
そして2020年。コロナによってデジタルイベントの需要が急拡大することになります。本当に忙しくて、メンバーと一緒に大変な思いをしましたが、チーム一丸となって乗り越えた経験は、私のキャリアの中でもすごく貴重なものになりました。
その後、デジタルイベント事業を当社の柱として更に大きくしていこうということで、私が事業部長に就任しました。一方、家庭のプランとして子どもはもうひとり欲しいという希望もありました。自分のためにも他のメンバーのためにも「事業部長だから家庭は二の次にする」とはしたくなかったですし、会社も私のそんな思いを理解してくれていたので、安心して第二子を出産し、育児休業から復帰することができています。
仕事とは、人生の価値観を実現する手段のひとつ
滝沢: 今回、キャリアとプライベートの両軸でお話したのは、私が「仕事は人生を構成する一部」だと考えているからです。人生において大事な価値観を実現するための手段として仕事はあり、私にとってその大事な価値観とは、人間としての成長です。そして成長とは視座があがることや責任範囲が広がることととらえており、視座があがることによってそれまで見えなかった世界が見えるようになり、及ばなかったことに考えが及ぶようになる。私はそれに喜びを感じるんです。
そして、大事な価値観を実現する手段であるからには、仕事は絶対に楽しまないといけないと思っています。もちろん悲しいことや困難なことはありますが、そんなときは笑って力を抜いて、切羽詰まらないようにしています。その上で、克服する方法を考えたり、辛い要因を明らかにしたりしますね。楽しみながらも、自分を変える努力は大事です。私は内省がほぼ趣味みたいなものなので(笑)、目の前の課題について常に自問自答し、 自分に足りないものは何か、なぜ足りないのか、どうやったらそれを補えるのかを考えています。自分自身が変わり続けることが生存戦略として強いと思っているんですね。
――事業部長という立場で多くのメンバーをマネジメントされていますが、何か気をつけていることはありますか?
滝沢: マネジメントにも様々なスタイルがありますが、私は強烈なリーダーシップで引っ張るのではなく、できるかぎりメンバーの話を聞いて、その人の中にある答えを一緒に紐解くことを意識しています。秀でた戦略を打ち出し牽引できるようにもなりたいですが、まだマネージャーとしては道半ばで、今はメンバーに並走するスタイルですね。
――仕事が繁忙期に入ると、家族から不満を言われることがあるのですが、滝沢さんはどのように乗り越えていますか?
滝沢: 対話を重ねるしかないと思っています。自分にも家族にも「仕事が忙しい」「今は仕事で勝負したい」という時期があると思います。だから、持ちつ持たれつなんですよね。私だったら夫に「今は私の仕事が忙しくなっているけど、あなたが仕事に集中したい時期が来たら、その時は私が家事や育児をしっかりやるから」という話をします。
夫との対話は常に意識していますね。ニューヨークへ行くと聞かされた時は激論になりましたが、それ以降はフラットに話をして、理解を得るまで根気強く話し合うスタンスになったと思います。
――5年後、10年後のありたい姿を教えてください。
滝沢: 事業部長として仕事をする中で、自分自身の課題も新たに見つけました。それによって、こうなりたいという像が自分の中に明確にできたので、まず5年後までには確実に課題を潰してレベルアップをして視座を高めたいですね。10年後は、課題の解決だけではなく、ゼロイチでアウトプットをしていきたいです。
プライベートでのありたい姿は悩んでいるところです。我が家は0歳と5歳の子がいて日常生活もままならない状態なのですが、5歳の息子が「お受験したい」と言い出しまして、大変ながらも並走しています(笑)。子どもが自分の道を自分で選べるように、親としては様々な情報をインプットしてあげたいですね。
当社で10年以上活躍を続ける滝沢らしい、非常に濃いストーリーでした!
今後も社員のキャリアや価値観をお伝えしていきます!