石川樹脂工業では、ガラスと樹脂を掛け合わせた新素材を採用した食器ブランド『ARAS』を展開しています。「強く、美しい、カタチ。」をコンセプトに、“こだわりがある人の普段使い食器 ”を目指し、家庭の食体験をよりおいしく、より楽しくするため、素材、技術、カタチを一から考え直して開発しました。先進と伝統の技術が融合して生まれる、新しい食器です。
「ARAS」キービジュアル
こんにちは、石川樹脂工業専務取締役の石川勤です。今回は、弊社を代表するブランド『ARAS』について紹介します。ブランドに込めた想い、コンセプト設計、ユニークなチーム形成……ひいてはブランドの思想を考え、形にしていくことが、人材の教育にも繋がっている。立ち上げてからまだ2年しか経たない若いブランドですが、「素材の力で世界を変える」を具現化するインパクトは十分に備えています。
ARASチームのメンバーである山中沙紀さんと水上絵梨香さんに話してもらいました。前編では「石川樹脂工業との出会いとARASの誕生について」、後編では「具体的なマーケティング内容とコンセプトの届け方について」。前後編を通じて、石川樹脂工業の盤石な組織づくりと人材教育を伝えることができればと思います。
ARASの中枢メンバーは石川樹脂工業と外部のスペシャリスト数名によって構成されている。内部からは二名(石川専務、水上さん)。外部からはマーケター(山中さん)、プロダクトデザイナー、ブランディングディレクター、グラフィックデザイナーが所属している。
山中
業務委託としてARASのマーケティング全般、商品開発、コンセプト設計、インターン生の育成など幅広く関わらせていただいています。具体的には、インターン生と1on1をしながらInstagramの運用プランや投稿スケジュールを組んだり、新商品発売にあたり訴求ポイントの戦略を立てたり、インフルエンサーさんとのコラボレーション企画を手掛けています。
ARASマーケティングチーム 山中さん
水上
名刺に記載されている肩書きは「営業部」ですが、実際には商品開発、プロジェクトマネジメント、マーケティング戦略など、ARAS全般の業務に関わっています。また、商品梱包の改善やユーザーとのコミュニケーションも担っています。「ARASのために私ができることはすべてやる」という感覚です。
ARASマーケティングチーム 水上さん
石川樹脂工業との出会いとARASの誕生
土壌づくりの立役者
2020年3月、ARASは誕生した。ブランドの構想は立ち上がったのは、遡ることその2年前。ちょうどその頃、二人の女性が石川樹脂工業と出会う。一人はドイツから、もう一人はインターン生として。時計の針を2018年の夏に戻す。
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山中
当時、夫の帯同でドイツに住んでいました。前職(P&G)の先輩だった石川専務からお声がけいただき、石川樹脂工業との関わりがはじまりました。当時、石川樹脂工業ではPlakira(トライタンを素材とした自社ブランド)をはじめとするto C向けのブランドを拡大していこうとしていて、マーケティングのサポートとしてお誘いいただいたことがきっかけです。
石川
当時、マーケティングを含めた上流の業務を手伝ってくれる仲間を探していました。P&Gのカルチャーをよく知っている人であれば即戦力になります。すると、時間を持て余している優秀な後輩がいた。それが山中さんでした。
山中
ほぼゼロから立ち上げることは、私自身も初めての経験でした。当初、PlakiraのInstagramのフォロワーも100人に満たない状態。地固め前の地ならしから考えていきました。また、同年からインターン制度を取り入れたこともあり、インターン生への育成も期待されました。マーケティングを教えながら、一流の戦力として育ててゆく。手探りで巷の記事を拾い集め、知識を得たり、専務と相談したり、インターン生たちと話し合いながらワンチームで作っていった印象があります。
ブランド立上げ当時を語る山中さん
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およそ1年間、山中さんはドイツから遠隔で人材と構造の地盤づくりを支えた。時を同じくして、大学三年生だった水上さんがインターンシップの2期生として石川樹脂工業へとやってくる。
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水上
私がインターンをはじめたのは、県内のとある会社がインターンフェスを開催していて、そこで石川専務のプレゼンテーションを聴いたことがきっかけです。
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何気なく参加したインターンフェス。当初、水上さんはどの企業にもインターンに入るつもりはなかったという。4、5社の企業が立ち替わりに1分間プレゼンをする中で、石川樹脂工業から石川専務が登壇した。「環境にやさしく、落としても割れない器」。Plakiraのプレゼンだった。
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水上
たった1分間のプレゼンテーションで、「なんて素敵な考え方なんだろう」と商品にも仕事にも惹かれました。募集内容はWebマーケティングのインターンシップ。“マーケティング”に興味があったかと言うと、そういうわけでもなく。直観的にびびっと来たんです。
「主体的に考える」ための教育
水上
今考えると、当時のインターン生にはハードな課題だったと思います。PlakiraのInstagram運用を1から考える。考え方のアドバイスはもらえますが、答えは教えてもらえません。自分の頭で考えて、プランを提出して、実行する。だからこそ、何もないところから考える力が養われたと思っています。
石川
山中さんが入ってくれたおかげで、インターン生の育成に大きな変化がありました。マーケティングのテクニックではなく、まずは言語やマインドを揃えることに時間をかけた。人として、組織として「こうあるべき」というマインドセットのトレーニングを切々と重ねました。
山中
インターン生から「AとBどちらが良いと思いますか?」と質問されることがあります。そのような場合、答えは言わずに「あなたならどちらがいい?」と質問を投げかける。P&Gでは“レコ(レコメンデーション)”と呼んでいて、「あなたのレコはどっち?」と、本人に言語化させた上で選択させます。考えに至った理由まで説明してもらい、どのように感じたのかを伝えてもらう。それらを引き出した上で、ようやく私たちがどう思うかをアドバイスしていきます。
それらを徹底的に意識することで、インターンを経験して社員になってくれた水上さんをはじめ、全員が当たり前のように意見を言ってくれるようになっていきました。
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2018年から採用しはじめたインターン制度。新卒から採用して、言語とマインドを習得させつつ、主体性を引き出しながら、リーダーシップを発揮できる社会人へと鍛え上げてゆく。父(会長)の考えを受け継ぎ、P&Gで学んできたことを落とし込み、一人ひとりが強い組織をつくり上げる。石川専務の考える“新しい石川樹脂工業”を育て上げるための重要な改革の一つだった。
その中で、ARASの構想が立ち上がる。
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山中
Plakiraは透明性を謳ったブランドで、コップを中心にプレートなどのプロダクトを展開していたのですが、徐々に商品の幅に限界が見えてきた。そこで、器をメインとし、カトラリーなどにも展開できる食卓自体を豊かするトータルラインナップのブランドの構想が生まれました。
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新ブランドを立ち上げる意義は何か。石川樹脂工業にとっての価値は何か。ユーザーにとっての価値は何か。社会的な価値は何か。侃々諤々の議論を重ね、新ブランドの在り方を模索した。
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石川
ARASの立ち上げにおいて、最も時間のかかったポイントがコンセプトづくりです。テーブルウェアに行き着くまでにも、多くの議論を重ねてきました。石川樹脂工業は、輪島塗や山中塗などの漆器の木地づくりにルーツがあります。また、金沢という都市は「食」の一大拠点でもある。わたしたちにも深い愛着があり、文化として「食」との親和性が高い。
加えて、企業が社会の中で果たす役割に目を向けました。石川樹脂工業がSDGsに対してどのように貢献しているのか。「食」と「サステナブル」を組み合わせ、わたしたちらしいブランドを育てていくことに決めました。
食卓での利用シーン
「足りないものは、経験値だけ」
ARAS誕生の裏側には一人のインターン生の成長と苦悩のドラマがあった。Plakiraのプロジェクトを進めていた水上さんに突如、白羽の矢が立つ。
「水上さん、ARASのリードお願い!」
まさかの大抜擢だった。
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水上
突然、新しく立ち上がるブランドのプロジェクトマネージャーのようなポジションを与えられました。12月に山中さんが産休に入るため、その後継に私が指名された。責任重大な役割です。当時、私はまだインターン生で、ARASのことを何もわからない状態でした。言い渡され9月から、およそ3ヵ月で山中さんに業務を教えてもらいながら徐々に引き継いでいきました。仕事量だけでなく、プレッシャーも伴います。一番大変な時期でした。
山中
1を伝えると、10を理解して、次に20の提案を出してくる。モチベーションも吸収力も高い。みるみる成長してゆく水上さんを見ていて、やりがいと喜びを感じていました。専務と私の中では、水上さんにはすぐにでも入社してもらいたい気持ちでした。
声をかけたのは入社希望を出してくれた矢先のことです。その段階で、水上さんには一人前にリーダーシップを発揮してくれるポテンシャルを感じていました。辛いことがあっても、立ち上がる力がある。足りないのは経験値だけ。そこさえ補えば、プロジェクトを牽引する立派なプロジェクトマネージャーになる。
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山中さんからのバトンを受け継いだ水上さんは、試練を乗り越え、さらに急成長してゆく。山中さんが産休に入った年末、世の中ではコロナウィルスの感染が広がりはじめた。世界は混乱し、誰もが先行きの見えない不安を抱えていた。その状況下、ARASは4ヵ月後にローンチを控えていた。
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水上
2月頃からコロナ禍が深刻になっていきました。その影響もあり、ARASのローンチを前倒しすることになりました。入社自体は4月なのですが、そうは言っていられません。2月末から一気にプロジェクトを進めていった。入社した10日後、無事ARASを世の中に発表することができました。ARASにとっても、私にとっても、波乱の幕開けでした。
クラウドファンディングサイト「makuake」での公開のようす
山中
ローンチ直前、まだ育休中だったのですがSlackを見てみると、水上さんがローンチ用の文章、構成、画像をすべて練り上げ、外部メンバーと関係性を築き上げて運営していた。安心すると同時に、彼女の成長にいたく感動しました。
石川
これまでにも「ムチャブリをすることがわたしの役割」と言ってきましたが、水上さんには「大変なことに巻き込んでしまった」という気持ちがあります。判断自体は間違ってはいなかったのですが、そこまで責任を負わせて良いものだったのか。あのタイミングでは、水上さんの成長に期待するしかなかった。それをポジティブに乗り越えてくれた水上さんを頼もしく思いました。
それは、インターン生への教育によって、言語やマインドのセットを通して入社前に独り立ちできるように育ててくれた山中さんのおかげでもあります。二人の存在は、このチームの強さの理由だと思っています。
つくり手が一番のファン
水上
専務からすると「巻き込んだ形」だと思うのですが、私の立場からすると「選んだ側」なんですね。定例会では、毎回白熱した議論が展開されるのですが、話を聴くたびに、私のARASへの“ファン度”がアップデートされてゆくんです。コンセプトやサステナブルへの想い、その一つひとつを聴いて「なんて素敵なブランドなんだ」と感動していました。
その経験を通して「このブランドが好き、この考え方を広めたい」という想いがあふれて、「ここで働きたい」という想いに至りました。ARASのメンバーが話し合っている環境が好きだし、そこから生まれたコンセプトや想い、すべてが積み重なったのだと思います。
自らのことも「ファン」と公言する水上さん
半年間のインターンの中で、Plakiraを好きになり、ARASを好きになり、石川樹脂工業を好きになっていった。専務や山中さんをはじめ、チームメンバーのみなさんと一緒に働きたい、石川樹脂工業も自分が率先して大きくしていきたいと思った。一年目から経営者の観点で働ける現場は、普通はありません。そういう意味で、率先して働きたいと思える会社でした。
まとめると、とにかく「好き」だったんです。
石川
水上さんに関しては、きっと山中さんも同じ気持ちだと思います。ゼロから育てていった感覚があるので、どこか親目線でもある。頼もしく思っているし、これからも頼っていきたい存在です。
ARAS誕生の背景には、山中さんの土壌づくりと水上さんの成長秘話があった。ARASは、食体験を豊かにする食器ブランドでありながら、人が育つ豊かな土壌となりはじめていた。
後編へつづく