SalesGrowthの限界
~営業は大事だけど営業だけがすべてじゃなかった~
こんにちは、広報担当の遠山です。
今、私たちは“優秀なリードエンジニアの方”を求めています。
その背景と詳細を「4回の連載」に渡って紹介していまして、この記事はその第2弾です。
#1では、弊社代表である富田の創業に関わる話を中心に、紹介させていただきました。そして本記事#2では、自社のWebメディアやSaaS系のサービス開発を初めた頃からの話を、『事業』を軸としてご紹介します。
なぜ今私たちが優秀なリードエンジニアを必要としているのか。
その背景には、Web系のサービスを作り始めた時から今までの経緯が大きく関わっていますし、これから一緒に働いて事業を創っていってくからこそ、私たちがおこなっている事業領域や事業そのものについて、ぜひ知っていただきたいと思っています。
現経営メンバーであり各事業部の責任者3人に、事業に対する想い、そしていま抱えている課題などについて、ここだけの裏話も交えて話してもらいました。
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#1 リクルートのトップ営業がつくった、イノベーションという会社の成功と挫折
左から
山北 正晃(やまきた まさあき)
執行役員 兼 パートナービジネスユニット ユニット長
2008年イノベーション入社。ITトレンド/List Finderの立ち上げを担当し、現在は新規事業である動画プラットフォームサービス「Seminar Shelf」のグロースを担当。
遠藤 俊一(えんどう しゅんいち)
執行役員 兼 オンラインメディアユニット ユニット長
2008年イノベーション入社。ITトレンドの立ち上げを担当した後、広告代理店事業部の責任者に就任。
現在は、Webメディアサービス「ITトレンド」のグロースを担当。
内田 雅人(うちだ まさと)
執行役員 兼 セールスクラウドユニット ユニット長
2010年イノベーション入社。ITトレンドのセールスを担当した後、新規事業創出をミッションとし活動。現在は、SaaS系サービス「List Finder」のグロースを担当。
BtoB向け成果報酬モデルの先駆け「ITトレンド」の立ち上げ
僕たちの成功も失敗も、すべてはここから始まった
− #1でも紹介した通り、リーマンショックなど苦しい時期の経験を経て、Webサービス/SaaSサービスなどの新規事業創出に注力するわけですが、新しい事業軸へのピボットは、創業7年目、2007年にリリースした『ITトレンド』が第一歩でしたよね。まずはその当時の話から教えてください。
遠藤:
ITトレンドを知らない人もいると思うので、簡単に説明しますね。ITトレンドは、企業がIT製品を導入する時に利用する比較メディアで、今私が担当している「オンラインメディア事業部」のメインサービスです。
利用ユーザーはIT製品導入の時に、情報収集や比較・資料請求などが1つのサイトでまとめてできるというメリットがあります。お客さまには「価格コムのBtoB版です」って説明してイメージを持ってもらってたたかな。
ビジネスモデルとしては、IT製品を掲載している企業さまから、提供した見込み顧客数に応じて費用をいただく、成果報酬型。今でこそ比較メディアは多くあるけど、2007年当時はまだまだめずらしかったし、『半年の掲載で150万円』みたいな定額のビジネスモデルが多かった中で、『見込み顧客1件につき1万円の成果報酬型』を取っていたメディアは、画期的だったと思います。
内田:
当時はまだイノベーションにいなかったからあまりわからないんですけど、1件1万円の成果報酬型にしたのってどんな背景があったんですか?
遠藤:
理由は2つあって。まずは、費用対効果を明確にできること。
もし定額で費用をいただいても、その後に成果が出るかどうかって正直明確に保証できなくて。もちろん最大限努力はするけど、それが必ず成果に結びつくとは限らない。だからこそ、成果に対して費用をいただくような価格体系にしたかったのが1つめ。
もうひとつは、販促予算が少ない中小企業にも利用してほしかったこと。
せっかく良い製品を持っているのに、プロモーションやメディア掲載に予算を多く投資できる企業はそんなに多くないんだよね。広告に投資できる企業は今よりも少なかった印象があります。
そういう企業でも、むしろそういう企業にこそ価値を提供したい。だから、少額で利用できるような価格帯にしました。
山北:
今でこそITトレンドは利用率No.1のメディアにまで成長しましたが、オープン当時は大変でしたよね。私は2008年に新卒で入社してITトレンドの営業担当になったんですが、当時はまだ比較メディアが一般的じゃないし、ITトレンドの知名度もない。話を聞いてもらえても、『成果報酬型』が一般的じゃないので、不確定な費用への予算が取りづらく掲載してもらえない。
今でこそ当たり前の『成果報酬型』ですが、オープン当時は同様のサービスがほとんどなかったので、そこを理解して利用いただくハードルが高かったです。たくさん苦労しましたよね。
遠藤:
そうだね、だからとにかくガムシャラに営業してたよね。当時のイノベーションはザ・営業会社って感じで、俺とだる(山北のあだ名。ダルビッシュ有選手に似ていることが由来)なんか、毎日リストの奪い合いしてたし。
山北:
ですね。チームワークなんて全然なくて。「遠藤さん、先輩なのに大人げないな」って思ってました笑 ちょっとはゆずってくれてもいいじゃんって。
遠藤:
でも、努力の甲斐もあって、順調に掲載製品数も売上も伸びていって。気がつくと成果報酬型の競合メディアもどんどん増えていってたし、定額のサービスを提供していた他メディアの方から「イノベーションさんが市場を壊しちゃったよね」って冗談まじりで言われたことがあって。その時に、『世の中に少なからず影響を与えられたんだな』ということを実感して、「ごめんなさい」って口では言いつつ、ココロの中ではガッツポーズしてました笑
ITトレンドは今年12年目のメディアなんですが、こうしてオープン時を振り返ってみると、感慨深いですね、ホント。
たくさんの新規事業チャレンジと失敗。そしてSaaS事業への投資
− その後も、たくさんメディアを立ち上げましたし、SaaS系サービスもたくさんリリースしましたよね。
山北:
そうですね、代表の富田や当時の取締役の人間が中心になって、とにかくいろいろなサービスを立ち上げました。メディアで言うと、BtoBのサービスやの比較メディア『BIZトレンド』や土地の所有者と土地活用サービスをマッチングする『土地活用ナビ』、フランチャイズ本部とフランチャイズで開業したい人をマッチングする『フランチャイズ比較ナビ』などなど、今はないメディアも含めて、15くらいはメディアを立ち上げてたのかな。
内田:
しかも、新卒3年目のメンバーとかが立ち上げの責任者をしてたよね。当時から、若手でもチャンスを掴める会社ではあるかなと。
遠藤:
そう、ほんと毎月のようにメディアが立ち上がってて、とにかく『市場調査→営業→オープン』を繰り返すっていう。楽しかったし、今の礎を築いた時期だったのは確かだけど、ハードはハードだったかなー。今やれって言われてもできないかも笑
− それで、メディア立ち上げが落ち着いてきた頃に、SaaSのサービスも創り始めた、と。
山北:
SaaSサービス第一号は、OEMからスタートしたんですよね。
WebサイトにアクセスしたユーザーのIPアドレスから、企業を判明させることができるっていうサービスを知って、「これはすごいサービスだ!」って思って。それで、ベンダーに会いに行って、OEMで販売させてもらえるようお願いしました。
遠藤:
社内でサービス名を募集して、投票の結果「List Finder」っていう名前になったんだよね。
山北:
おもしろいサービスだったこともあって、比較的順調にお客さまが増えていって。でも、実際に使っていただくと「ここをこうして欲しい」「これってバグじゃないですか?」そんなご意見をたくさんいただくようになりました。
もちろんバグは改善しなきゃいけないし、要望を吸い上げてサービスの改善もしていきたかった。そのためにOEM元のベンダーに要望を伝えたものの、回答は「すでにスケジュールが決まってて、早くで半年後くらいの対応になります」という、理想とは遠いスピード感だった。
僕たちが目指したい姿と現実とのギャップをどう改善するか。考えた結果出た結論が、サービスの自社開発だったんです。・・・まぁ自社開発って言っても当時の社内にはエンジニアはひとりもいなかったので、メディアの開発を担当してもらっていたパートナーに依頼したんですけどね。
こうしてできたのが、正真正銘自社開発プロダクト第一号の「List Finder」です。
▶https://promote.list-finder.jp
営業ファーストで進んでいった結果、ぶつかった壁
− その後、メディアもSaaSサービスも、順調に伸びていったんですか??
内田:
それが、そううまくは行かなかった。営業会社ゆえに営業が重要視されていたし、「営業の方が偉い」みたいなものも、どこか暗黙の了解的に社内に流れていた気がするんだよね。
新卒もまずは全員営業に配属になって、成果が出ない人はその他の業務に異動になる。営業職以外の素養を持った人を採用しようとか、優秀な人を営業職以外に配置しようとか、そんな考えは会社には全く無かった。
遠藤:
事業責任者ももちろんほぼ営業出身者で構成されていて。だから戦略や戦術は、“いかに営業するか”に寄っていて、“サービスの機能やUI/UXを最適化する”という視点や、“データを活用したマーケティング活動”に注力するということはありませんでした。
それが顕著に業績に現れたのがITのトレンドの停滞期。
当時の責任者は、当時1,000くらいだった掲載製品数を2,000まで増やすという、「2,000プロジェクト」を掲げたんだけど、結果としてそれが事業成長率の鈍化を招いたんです。
▶ITトレンドの売上高推移
− 掲載製品数が増えることで、事業が拡大するイメージですけど、そう単純ではないんですね?
遠藤:
たしかに、掲載製品数が増えること自体は決してマイナスなことではないんですけど、我々のビジネスモデルは “サイト来訪ユーザー” が “掲載製品” に資料請求をして始めて売上が立つというモデル。故に、掲載製品数が増えても来訪ユーザーの総数(UU)と資料請求率(CVR)が合わせて向上して事業規模が拡大するんです。しかし、当時は掲載製品数を伸ばすという部分的なところのみに、人・モノ・金を投資してしまっていたんです。そうすると、一時的に掲載製品数だけが伸びても、サイト来訪ユーザーから資料請求が発生しないので掲載企業は解約をしていくという負のスパイラルに入ってしまい、結果的に事業拡大につながらなかったんです。。
今、振り返ってみると、営業力のみでの成長の限界だったんです。社内エンジニアもいない、マーケティングのプロフェッショナルもいない中で、メディアのグロースには限界があるのが当たり前ですよね。
内田:
あの頃から、社内でエンジニアやマーケターに対する認識が高まったよね。イノベーションが営業会社からひとつステージアップできたタイミング。その後くらいから、「営業成績悪い人がマーケに行く」っていうのが、「マーケに向いている人を採用する」に変わったし、エンジニア・マーケター・セールスが三位一体になって事業のグロースに注力するという座組みができ始めたよね。それに比例して、売上はまた順調に伸びていった。
・・・エンジニアやマーケターって偉大だなって笑
開発アウトソースで見えた限界。そして「0」からのエンジニア組織立上げへ
山北:
ちょうど同じ頃に、List Finderも壁にぶつかってたんだよね。こっちは開発アウトソースの壁。List Finderの開発はパートナーに委託していたんだけど、あんまりコミュニケーションがうまくできていなくて。
開発がどんなものか、どんなプロセスで行われるのかがわからないから、「こんな機能が欲しい」ってなったときに、何をどこまでどう伝えたら良いのかが全然わからなかった。結果として出来上がったものが、思っていたものと違うということが、度々起こってしまっていたんです。
やり直しの工数も多くかかったし、もっと実現したいものを背景とかからちゃんと伝えていれば、よりよい方法で機能を実装してくれていたかもしれない。今思うともっとできることがたくさんあったって思うけど、とにかく当時の僕たちには、その状況を改善するだけの知識も経験もなかった。
システムを開発するにはもちろん開発するためのスキルが必要だけど、僕たちに知識が全然ない分、エンジニアが事業を理解してくれていて、同じところを目指してくれることの必要性を、とにかく強く感じました。
#1でもちょっと触れた通り、エンジニアの内製化が必要不可欠だと感じたイノベーションは、内製化への道を歩み始めるのですが・・・オフショアの失敗や新卒教育の失敗、その後に待っていたのはエンジニア組織の急成長、そして迎える『組織の再構築』です。
紆余曲折の6年間を経て、なぜイノベーションのエンジニア組織は『再構築』を必要としているのか。再構築の先に目指しているのは何なのか。この連載記事でお伝えしたいメイン部分にあたる内容、その詳細については次の記事でご紹介します。
次話はこちら↓
#3 たったひとりから始まったエンジニア組織の設立と拡大、そして再構築
#4 理想のエンジニア組織への挑戦 ~本当のテックカンパニーを目指して~