代表の呉は大学卒業直後、ボランティアに近い形で、韓国語を話せない在日韓国人に言葉を教えていました。その後、日本の貿易会社に勤務。社長秘書の仕事をしながら、通訳としてのキャリアをスタートしたのはこの時期です。
転機となったのは、1993年のJリーグ発足。サッカー経験があったため、「サッカーを通じて日本と韓国をつなげられれば」という想いが芽生えました。
韓国はサッカーが強い国ですが、当時はトップレベルの選手でも、年俸は日本の5分の1程度。そこで、エージェントと協力し、韓国の優秀な選手を日本に紹介するようになりました。そんな中、「現場の通訳がいないからやってくれないか」とJリーグのとあるチームから声がかかったのです。最初こそ勝手がわからずに苦労したものの、やがてチーム専属通訳として重宝されるようになりました。
サッカーの国際大会となると、各国からVIPが訪れる。本来、VIPにはトップレベルの通訳がつきますが、英語以外の通訳のクオリティは低いなと感じ、「希少言語の通訳はまだまだ層が薄い」と肌で感じたため通訳・翻訳会社の立ち上げを決意しています。