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CEOのつぶやき(1)「孫正義は“成金のおっさん”なんかじゃなかった」インターネット黎明期からITバブル崩壊までを辿るアイスリーデザイン創業記

i3DESIGN(以下、アイスリーデザイン)のメンバーインタビューの第3回目。今回会社の顔である芝陽一郎CEOにお話を伺います。

我々i3DESIGNは、2006年に創業したクライアントのDX(デジタルトランスフォーメーション)を支援し、デザイン思考でITサービスを創造している企業です。これを如何にして創ってきたのかの歴史と事実を前・後編の2回に分けて語って頂きました。

「アイスリーデザインとは一体、どんな会社なのか?」その答えは、社長がどんな人生を歩んできたのかを紐解くことで見えてくるはずです。

経営者一家に生まれ、サラリーマンを知らずに育った芝少年。インターネット黎明期の驚きのエピソード、哲学を志してのドイツ留学、そして孫正義との出逢いなど、その半生は驚きに満ちたものでした。

CEO 芝陽一郎(しばよういちろう)

早稲田大学大学院卒業後、野村総合研究所に就職。その後、ソフトバンクグループで当時最年少役員となり、2011年以降は株式会社アイスリーデザインを経営。趣味はサーフィン。

運動会に両親が来ない。その裏で育まれた経営者の魂

––はじめに現在CEOとしてアイスリーデザインの創業経営者の芝さんですが、そのルーツはどこにあるのでしょうか?

両親とも自営業を営む家庭に生まれたことが、自分に大きな影響を与えていると思います。小さい頃は祖父母に預けられて生活をしていたのですが、保育園の途中から「宮崎で農業をやりたい」と父親が言い始め、大阪から宮崎に移り住みました。その頃は気付いていませんでしたが、変わった両親ですよね(笑)

––ご両親とも別々の経営をされていたんですね。

そうです。だから小さい頃は“普通の家庭”に憧れていました。仕事があるので、親は運動会にも来なかったですからね。「なんかうちの家庭、普通と違くないか?」って。今となっては、そういう環境で育って良かったとも思えますけど。

––知らず知らずに、経営者としてのマインドが育てられていたわけですね。

うちの母はもう70代なのに、また新しい会社を始めてますからね。今でも親を見ると「負けていられないな」と思わされますよ。

学生にしてプロバイダを経営した理由は「大学院の学費を稼ぐため」

––大学ではどんな学生時代を過ごしたのでしょうか?

世界中を旅する仕事をしたかったので、高校時代はジャーナリストに憧れていましたね。「落合信彦かっこいい!」なんて言いながら。でもその一方でニーチェをずっと読んでいるような面もあって、大学では社会哲学を専攻しました。哲学に励むか、海外を旅するか、どちらかばかりしている学生でした。それから大学院の1年目はドイツに留学して、本場で哲学を学ぶことになりました。

––海外旅行、大学院、さらに留学となると、とてもお金がかかりそうですが…。

そうですよね。「どんなボンボンなんだ!」という感じかもしれないけど、留学のために奨学金をもらった以外は、自分で稼いでいたんです。

––しかし、普通のアルバイトで稼げる額ではないですよね。

最初は叔父の経営している貿易会社で働いて、香港やヨーロッパに高級ブランド品を買い付けに行っていました。そして学部生の最後の方は、自分でプロバイダーをやっていたんですよ。

––個人の学生がプロバイダを経営ですか!?

当時Windows95が出て、インターネットも広まり始めた頃でした。僕はホリエモンと同じ世代なんですけど、当時は“やれば儲かる”という時代だったんですよ。自分は哲学を専攻している文系なので、早稲田大学のサーバー管理者を連れてきて、一緒にやってました。他にも異文化交流会みたいなところに行ってはエンジニアやデザイナーに声をかけ、自分は仕事を取ってきたり。

––アップルを作った頃のスティーヴ・ジョブズみたいですね。

その当時は1回目の結婚もしていて、大学院に行きながら結婚生活するにはお金が必要だったんですよ。

「あえて、できるだけ硬い会社を」と初就職

––大学卒業後の進路は?

哲学の道でやって行こうと思っていたのですが、ドイツ留学時、日本とのあまりの文化レベルの格差を目の当たりにして「哲学ではヨーロッパに敵わない」と痛感し、哲学の道は諦めることにしたんです。

––それで会社員になろうと。

はい。自分でプロバイダを経営してはいましたが、一度就職してみようと思ったんです。親族にまったくサラリーマンがいなかったので、逆にサラリーマンに対するコンプレックスみたいなものがありましたし。

––なるほど。

日本に戻ってきたときはすでに6月か7月で、シーズン的に就職活動が終わったタイミングだったので、通年採用している会社であるリクルート、野村総研、ソフトバンク、IIJを受けて、最終的にはリクルートと野村総研で迷い、野村総研に入社することにしました。言ってみればアウトローな環境で育ってきたので、できるだけ硬い会社に入ってみたくて、決め手は社名における”漢字の多さ“でした(笑)

––(笑)

野村総研時代の同期とはいまだに仲がいいんですけど、みんな優秀で、なおかつ勉強熱心だったので「負けられない」という競争心で本当に良いトレーニングができましたね。

––堅い会社も悪くはなかった、と。

そうです。ただ、しっかりとした組織なだけに、5年後や10年後の自分が予測できてしまうんですよね。それに「賢い仕事ではなく、もっともっと泥臭い商売がしたい」という思いがあったので、当時ネットバブルでソフトバンクが盛り上がっているのを見て「そういえば新卒で合格していたな」と門を叩き、転職することになりました。

孫正義という天才との出逢い、そして嵐のような日々

––ソフトバンクグループ在籍時はどんな仕事をしていたのでしょうか?

海外ベンャーキャピタルとの折衝や、投資案件のデューデリを担当していました。入社12ヶ月後には孫(正義)さんと、現在ソフトバンクモバイル社長の宮内(謙)さんと一緒に仕事をしたのですが、とにかく孫さんは凄まじかったですね。

––どのように凄かったのでしょうか?

自分は当時28~29歳だったので、孫さんについて「成金のおっさんだろ?」くらいに生意気に思っていたんですけど、とんでもなかったです。僕は哲学を専攻してドイツにも留学していたし、それなりに頭の良い人をたくさん見てきた方だと思うんですけど、孫さんは別次元の頭の良さでした。

––別次元というと想像もつきません。

右脳と左脳を両方使う感じなんですよね。普通の“頭の良い人”って、左脳での論理の組み立てに時間と労力を使うんですけど、孫さんは左脳との計算と右脳の直感を自由に横断する感じで、ある瞬間にジャンプする。だから、普通の人が1時間かけて出す答えに1分でたどり着いてしまうんですよ。数字の計算も早いし、決断も早いっていう。

––そんな孫さんから学び取ったことはありますか?

いや…、自分も常時一緒にやっていたわけではないけど、とにかく一緒に仕事するのがすごくつらかったですね(笑)。「寝てないんじゃないか?」というくらい24時間指示が来るし、一緒にずっと仕事ができるタイプではないですよ。ソフトバンクの社長室のメンバーなんかは、孫さんの近くにいればいるほど体調崩して辞めていくという話もありましたし(笑)

まだ長い旅路の途中。いよいよアイスリーデザイン創設へ

––ソフトバンクグループ時代の仕事は相当ハードだったことが伺えますね。

そうですね。ソフトバンクグループの当時最年少役員となった後、その嵐のような日々に疲れて「落ち着いて仕事がしたい」と思って、フリーのコンサルタントに転向しました。そこでは東芝や三菱商事の投資先ポートフォリオの整理や資金調達を手がけるようになりました。

––それまでのキャリアが綺麗につながっていますね。

でも、ここが自分のダメなところなんですけど「実際に物を売る仕事をしてみたい」と思って、コンサルを辞めて中古車の輸出を始めたんですよ(笑)

––また波乱万丈な展開が(笑)

そうして待っていたのは、未知の領域での冒険の日々で。世界中から携帯電話に依頼が殺到して、これまで関わりのなかった人種や職種の人たちとともに、10トンダンプをタンザニアに送ったり、国境封鎖による債権回収のために海外へ飛び回ったりと右往左往してました。

––いきなり泥臭さがマックスですね(笑)

それは充実した日々ではあったんですけど、海外での債権回収には命の危険もあったし、いい加減『これは俺の商売じゃない』と気付いて、さすがに辞めました(笑)そこでプロバイダ時代以来のIT領域に戻って、2006年に中古車販売サイトASPのアフリカへの販売のためにアイスリーデザインの前身を設立したんです。

––ついに!

そうですね(笑)その後、ところがちょうど同じ頃、旧知知人がオーナーのCRMソフト開発会社を手伝ってくれと頼まれました。最初は、ほんの手伝いのつもりがこの会社があれよあれと成長したので、上場を目指し、取締役副社長兼COOとして営業現場の総責任者とまでなりました。しかし2010年、リーマン・ショックの煽りを受けて事業が失速、大手商社系ITベンダーに吸収されることとなり、それと同時に取締役も辞任しました。

この間、片手間にやっていた中古車販売サイトASPもあまり儲からない事業形態となってしまし、事業を一旦整理しました。そして心機一転、現在アイスリーデザインにつながる前進事業をスタートさせようと決心しました。

時は、まさにスマホ全盛期を迎える直前、営業訪問先で、とあるニーズを聞いたをきっかけにアイスリーは、一躍モバイルソリューションビジネスの橋頭堡を築くこととなったのです。

後編(後日公開)につづく

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