私は学生時代、スポーツクラブで受付のアルバイトをしていました。埼玉県のとある駅、その隣に建つビルに入っていて、駅前に広がる大きな団地にお住いの老若男女、たくさんの方々に利用されていました。子供用スイミングスクールもやってましたので、いっつも賑やか。たくさんの人との触れ合いが面白くて、大学1年の終わりから始めたこのアルバイトを、卒業して他の会社に就職するギリギリ直前まで続けていました。支配人・社員・アルバイト、全スタッフが和気あいあいと楽しく働いていて、常連客も多くて、スタッフとお客さんとの距離も近くて。時給は安かったし、立ち仕事で大変だったけど、お金以上にたくさんの経験ができて、充実したアルバイトライフを送ることができました。
私が入社して1年ぐらい後に、とある学生アルバイトが入社してきました。茨城訛りの強い彼は、話を聞いてみたら同い年。同級生だとわかりすぐに意気投合。そこから今も続く長い友情が始まりました。会えばお互い悪口ばかり言い合っていますが、照れ隠しみたいなもんで、この間も5年ぶりくらいに会って、一緒にキャンプに行ったのですが、5年のブランクなんて関係なし。楽しい時間を過ごすことができました。
誇張でもなんでもなく、彼は仕事ができるタイプではありませんでした。というか、仕事が全くできませんでした。「よく時給もらえたな!」と、みんなでよく笑っていたのを覚えています。プール担当だった彼は、泳ぎこそ上手でしたが、子供からはナメられ、大人からは怒られ・・基本的に、言われたことができない、説明しても理解してくれない、同じミスを繰り返す。仕事ができない典型でした。でもそれを全て笑いに変える、根っからの明るさと、史上稀にみるウィットの才能を持っていました。老若男女だけでなく、子供、ハンディキャップの有無や人種、どんな人とも分け隔てなく、公平に明るく接することができる人でした。(自分にとっては衝撃でした)面白い人にはたくさん出会ってきましたが、今現在も含めて、彼を超える人にまだ出会ったことがありません。スタッフから愛され(一部の人からは仕事ができなさ過ぎて嫌われてましたが笑)、多くのお客さんからも支持されていました。ただ、本当に仕事はできない。よくよく思い出してみると、泳ぎも大して上手くなかったような・・。
とにかく、彼はびっくりすぐるらい仕事はできなかったですが、確固たる信念は持っていました。
「みんな」幸せじゃなきゃ意味がない。
全人類が持っていそうな、ありふれた信念ですが、彼は良い意味で単純な人間故、この信念を「地」で行っていました。良い人も悪い人も、好きな人も嫌いな人も。仲のいい人も疎遠な人も。自分の周囲にいるすべての人が幸せになれば良いと、本気で思っている人間でした。他人の幸せを本気で願える人間だったと思います。この信念に基づく彼の言動は、周囲の人に大いに影響を与え、そのうちの一人である私も、大いに影響を受けました。そして今に至っています。一種の「カリスマ」なんだろうなと思っています。
そんな彼もある日突然、京都の大学で介護を学ぶ!と言って、関東を飛び出し、気が付けば介護関係の会社に就くことになり、忙しい毎日を過ごしていました。私も就職し、仕事で忙しく、お互いに疎遠になりつつありました。でも、たまに連絡を取っては飲みに行ったり。話を聞いたり。案の定、仕事ができない彼は相当苦労しているようでした。それでも信念を捨てずにもがいている彼は、ストレスでぶくぶく太っていきましたが、中身はちっとも変わらず。相変わらず面白いやつでした。私も仕事に文字通り忙殺され、鬼のように転勤し、結婚し、転職し、子供ができ、家を買って・・・あっという間に時が過ぎていきました。
彼の事も忘れかけていた頃、たまたま転職の報告をLINEでしていたら、彼から返信がありました。何やら今、インドで働いているとの事。イン、ド?え、インド?なんで?
話によると「日本で仲良くなったインド人に誘われて、現地の不動産コーディネータみたいなことをやっている」との事でした。「友達に誘われて地元の草野球チームに加入した」みたいなノリで、よくインドに行ったなと感心してしまいました。それに、インドはご存じの通りバックパッカーの聖地なので、「バックパッカーに無償で現地の自分の家を開放している」との事でした。というか、「バックパッカーっぽい人なら誰にでも開放している」「一人暮らしのはずなのに、いつも誰かと一緒に暮らしてる」との事でした。いや、公民館じゃないんだからやめとけと一応アドバイスしてあげました。
不遇の時代を抜け出し、彼は「仕事ができないが、他者には無い良いモノを持っている」ことを一人のインド人に認められました。そして彼が得意とする「人付き合い」をうまく活かし、不得意とする「事務作業・ルーティン」などをアシスタントに任せるようにしました。その結果、仕事は軌道に乗り、現地ではそれなりに名の知れた人物になりました。
どうやらインドでヨロシクやっているということがわかって「よかったよかった。でもまさかインドで花開くとは誰も予想してなかったよな。」なんて、家族と話していたのもつかの間。暫くしてから、今度は「オレのYOUTUBEがバズッた」との報告が。ユーチューブ・・?え?なんで?
なんでも、現地の屋台を紹介する動画を趣味でコツコツ、アップしていたところ、それに火がついて、本業以上に忙しいとの事。今では各種セミナーに参加したり、握手会・サイン会、本の出版。非常に充実した毎日を送っているようです。なにその波乱万丈。
彼には残念ながら、学歴も、行動力も、計画性も、先見の明もありませんでした。(あんまり言うと怒られそう)逆に彼が持っていたものは、
・「みんな幸せじゃなきゃ意味がない」他者への思い。信念。
・チャンスを逃さない瞬発力。チャンスに飛びつく勇気(インド人に誘われてインドにすぐ行っちゃう)
・自分にできない事を、できないと割り切る力(自分ができなくてもできる人にお願いします精神)
この3つだけで人生を切り開いてきたように思います。まぁ、当然、私の見ていないところで彼なりに沢山の失敗、苦労や努力をしてきたのでしょうが・・。
彼の事を思うと、いつも思い出すセリフがあります。映画「フォレスト・ガンプ」の中で、主人公が最後に呟く言葉。「僕らはみんな運命があるのか、それとも風に乗って彷徨ってるのか? たぶん両方。両方が同時に起こっているんだ」
おそらくほとんどの人は、基本的に風に乗って彷徨っているんだと私は思います。彼もそうでした。その中で、運命とかチャンスとかをタイミングよく掴むことができれば、自然と人生は切り開かれていくのかなと。自分の意志や努力で切り開いている人ももちろん沢山いるでしょうが、でもそこに至るまで、少なからず風に乗って彷徨っていた期間があったはずじゃないかなと。チャンスやタイミングを幼くして掴む人もいるということでしょう。いずれにしても、今がそのチャンスなのか?そのチャンスを掴むのか?決めるのは自分だということです。
彼を見ててつくづく、「人間一人ができることは限られている」ということを思い出します。人の中には科学ですごい発見をする人もいるし、野球で言えば、投打に渡ってすごい活躍をするメジャーリーガーもいるけれど、おそらくどんな偉人も周囲の協力無くして偉大な成果は残せないはず。時に支えられ、時に支えてあげる。この社会の基本的な仕組み・ルールを知ってか知らずかきちんと守っている人の所に、不思議と運命とかチャンスが舞い込むんでしょうね。ほんと不思議。
そうやって見ると、ゲットイットには、そうした運命やチャンスを掴んできた人の集まりなんじゃないかなと、そう思っています。
何故って?それは自分の目で確かめてみてください。ゲットイットは一緒に働く仲間を募集しています。