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自分の活躍出来る場を求めて

ギャプライズに入るまで 

高校1年生まで仙台で過ごし、オーストラリアへ留学、そのままオーストラリアの高校を卒業しました。その後アジアNo1の先進国、シンガポールにて中国語の語学学校に9ヵ月通いました。時の流れがゆっくりで、必要がなければ高校を中退してスーパーで働くのも正解とされているオーストラリアと、世界でもTOPに入る教育水準を設け愛国心と成功意欲が強いシンガポールという2つの国で過ごした時間は、私に世界の広さを教えてくれました。

日本での仕事

東北大震災後、家族の心配もあったので日本へ帰国。大学へは行かずに仙台や東京で働きました。先に大学に入っている友人たちが授業をさぼったり課題のつまらなさに愚痴をこぼしているのを見ているうちに、大金を払ってまで大学に行かなくてもいいやと思ったからです。色々な仕事(経験)がしたいと、バイトや派遣を転々としました。25歳を過ぎたころ、当時バイトをしていた日系ホテルグループからインバウントの営業担当になってくれと言われ、そろそろ落ち着くころかなと初めて正社員になりました。

葛藤

東京オリンピックも決まり、政府がインバウンドの受け入れを緩和したことにより、ホテルはインバウンドの受け入れを強化していました。会社で一番予算があり、期待されている国際セールス部(バイト先)で一番の海外取引国である台湾・香港の担当になりました。当時は、台湾人のほとんどが日本に3度は行くという脅威のリピート数で日本のホテルの需要が他のどの国よりも高かったのです。ですが、私は将来的にヨーロッパまたはシンガポール駐在を前提に社員になっていました。私を社員になるよう説得した上司が他社に引き抜かれ、新しい上司は「それは前の人との約束であり、自分の約束ではない、それよりも今任されている台湾の仕事を一生懸命やることだ、それが会社のためだ。」と言い、私の希望が叶う余地がないことが宣言されました。「あぁ、これが日本か。」と会社に失望。その後も、年功序列第一で非効率的な会社の仕組みに納得がいかないなどもあり、100%を出し切らないまま働いていたのを覚えています。

ギャプライズに出会う

シンガポールに居たころ尊敬していた方が、代官山オフィスの社員をWantedlyで募集しているの見つけてWantedlyに登録しました。しかし、先方はプロのコンサルタントを求めていたのでその希望は叶いませんでした。そんな私が登録したプロフィールを今の上司である奥原さんが見て、声をかけてくれました。他にも声がかかった面白そうな会社は話を聞いていたのですが、奥原さんが旅行代理店用に作った資料を見て驚きました。「私が数年かけて学んだ業界を、この人はパワーポイント一枚で説明した。」と。その後もギャプライズの方針や目指しているものを説明してもらい、こんな会社があるのかとわくわくしました。「仕事のポジションで希望が通りやすい」「頑張れば海外に招待される」「出来る人の給料はどんどん上がる」という説明を受け、そんな会社が日本にもあるのかと思いました。頑張ったら頑張った分認められ、それが自分に返ってくる会社は、今の日本ではまだ少ないと思います。先の出張予定まで詰まっていた当時の都合を説明すると、それでも待つと副社長の土井さんが言ってくれたのも印象に残っています。

ギャプライズで働いて

社内には色々なチームがあり、仕事もバラバラですが、皆に聞きやすいし協力的です。おかげ様で自分の営業先にいくつかのツールや運用で合計1億以上になる発注をもらう事もできました。大きい会社からも頼りにされるギャプライズがあるのは、今までの努力とこれからも成長していく意欲があるからだと思います。この会社でたくさん学んで、まだまだ成長していきたいと思います。ご一緒にいかがですか?

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