DONUTSの共同創業者 根岸心による、DONUTS ジョブカン事業部 副部長 CTO兼 株式会社ジョブカン会計 取締役 藤原尚紀へのインタビューを全3回の特別編集版でお届けしています。
第1回の記事はこちら
第2回の今回は、会計ソフトの開発秘話や、ビズソフト株式会社設立の経緯について根岸がインタビューしました。
インタビュアー(左)
株式会社DONUTS 共同創業者 根岸心
インタビュイー(右)
株式会社DONUTS ジョブカン事業部 副部長 CTO
株式会社ジョブカン会計 取締役 藤原尚紀
ー会計ソフトの開発へシフト
根岸:前回のインタビューでは、藤原さんのエンジニアとしての経験を中心にお話をうかがいました。ところで、日本マイコンが会計ソフトに舵を切った背景はどのようなものだったのでしょうか?
藤原:Windows版弥生会計の開発にとりかかるまでは、ワープロやお絵描きソフト、タッチタイピング等の開発に力を入れていました。でも、MS-DOS版弥生会計の成功を機に、より堅実な業務系ソフトの開発へと全社的に舵を切ったんです。私自身は、Windows版の販売管理の設計を行う傍ら、必要に応じてWindows版弥生会計の応援にも行きました。その後ようやくWindows3.1版の弥生会計がリリースされたのですが、すぐに32bit版のWindows95が発売されたため、またゼロから2年ぐらいかけて弥生会計を作り直しました。その後「弥生」を扱っていた日本マイコンが買収され、「大番頭」を展開していた株式会社システムハウスミルキーウェイと統合されて、インテュイット日本法人が設立されました。
根岸:ちなみに、その当時のインテュイットの社長って、ビル・キャンベルですか?!
藤原:そうです!社長として来日もしたし、現地でも本人に会いましたよ。5年前に亡くなったニュースを見たときは悲しかったですね。
根岸:それはアツいですね!!すごいなぁ。
インテュイットからすると、この2社が一つになるのはすごいPMIだと思うのですが、違うプロダクトを持っている会社が一つになって、開発陣がまた新たなプロダクトを生み出せる体制を整えるのは、大変な作業だったのではないでしょうか?
藤原:買収されて、インテュイットの開発部門は100人ほどの規模になり、インテュイットのQuickBooksの日本語版を1年ぐらいかけて作りました。
根岸:それは、弥生と仕様は全然違うものだったんですか?
藤原:そうですね。今もそうですが、QuickBooksは販売管理・会計・給与がオールインワンになった一般ユーザー向けの仕様でした。ところが海外は小切手文化が主流で、〆日という日本独特の概念がありません。なんとか取り繕った仕様にしてみたものの、入金管理や繰り越しができない部分が、日本ではあまり受け入れられなかったんです。弥生はそういった面ではやはりトラディショナルな仕様でしたから、最終的には弥生に注力することになりました。この頃はなかなかしんどかった記憶がありますけどね。
根岸:なるほど。やはり日本でやるなら、日本のカルチャーに合わせた仕様のほうが妥当だということですね。
藤原:販売管理に関しては確かにそう言えますね。厳密な決まりもなく、やり方はいろいろあります。請求書一つをとっても業種によって形式などが異なりますし。ただ、QuickBooksもオールインワンのシステムとしては非常によくできていたと思います。
オフィスが大阪から東京に移転した1999年~2000年には、QuickBooksのWeb版を作るための精鋭部隊として、渡米した社員もいました。ちなみにその頃のWeb版は現在のような至れり尽くせりのFrameworkはなく、Servletでひたすらゴリゴリ書いていましたね。
私も2000年初頭はそのローカライズをする日本のチームで開発をしていたんですが、最終的にインテュイットは撤退してしまいました。
―ビズソフト株式会社の設立
根岸:話を戻して、ビズソフト株式会社が設立されたのはどのような経緯だったのですか?
藤原:インテュイットの日本撤退前後の時期には多くの人が転職活動をしていて、私も転職先が決まっていたのですが、その際に事業整理を担当されていた方に慰留され、弥生とともに残留することになりました。一方で、当時大阪に残っていたエンジニアなどを中心にスピンアウトして、ビズソフトの前身となる株式会社ワァットコミュが設立されました。
根岸:じゃあ、藤原さんはこのタイミングでは転職しなかったんですね。
藤原:そうですね。直属の上司と共に開発全体を見る立場になり、それ以降はエンジニアではなくマネージャーとしての業務がメインになりました。そんな中、今度はワァットコミュが人事・採用系のWebシステム開発に着手しているという話を聞いたんです。しかも大手通信企業の採用活動のシステムとして既に新規導入されたりもしていると…。
さらにOBCとワァットコミュが新たな取り組みを始めるという経緯もあり、かつての仲間が多く集まっているそちらにジョインすることにしました。
これまでWindows版はたくさん作ってきたので、Web版を作ってみたかったというのもありますけど。
ー安心して使ってもらえる難しさに直面
根岸:その後はビズソフトで「ツカエルシリーズ」を作られたわけですけど、技術的な変遷を感じる部分はありますか?
藤原:Windows95発売の頃は、OLEやCOMがMicrosoft社が推し進める先端技術でした。弥生の開発でもこれら先端技術を存分に応用し、ボタンやスクロールバー等の描画も直書きしていました。このような作り方をしている分、開発工数も相応にかかり、結果リリース時期も遅延し、当時の社長に「自分たちのためにソフトを開発しているのか!」と叱咤されたこともあります。
ビズソフトでまたゼロから作る頃になると、これらOLEやCOMはかつての技術になりつつあり、またOSもXPやその後のVistaへと続くUI/UXの進歩があり、OLEやCOMは使わず、コントロールの直書きもやめて、OSの進化と共にアプリの見え方も進化する作り方を採用しました。あと、開発する上で大きかった点はUnicode対応でしょうか。Webでは当たり前ですが、WindowsはShift_JISの世界なので。これに対応しないとWindowsのThemeに対応できずに時代遅れのUIになってしまいます。
結果、渾身のデスクトップアプリが完成したのですが、よくできているからといって当たり前のように売れるわけではありません。名前が通っていないものは安心感にどうしても乏しいので、売ることの難しさを痛感しました。
最終回となる第3回では、藤原の幼少期のエピソードや、「ジョブカン会計」開発時のこだわりに根岸が迫ります。どうぞ、ご期待ください!