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退職者インタビュー 怒涛の日々で学んだスキルとスタンス、これからのキャリア

デジタルキューブの中の人をご紹介する社員インタビューシリーズ。第5弾は、2021年に退職された元デジタルキューブ フロントエンドエンジニアで、現在は Stripe Japan で Developer Advocate を務める岡本 秀高さんに、代表の小賀 (こが) と共にお話を聞きました。

前半は入社の経緯からデジタルキューブでの怒涛の日々について、後半は転職活動のきっかけとデジタルキューブ退職に至るまで、そしてこれからのキャリアについてお届けします。

岡本 秀高 (おかもと ひでたか) さん

  • 在籍期間: 2015/08/01 – 2021/11/19
  • ウェブサイト/SNS: https://hidetaka.dev/ja-JP/
  • 現職: Stripe – Developer Advocate
  • 趣味: 和太鼓・コーヒー・ゲーム
  • 休日の過ごし方: 子供と外出・コミュニティイベントへの参加・習い事

聞き手: 人材開発室 恩田淳子

デジタルキューブでの仕事について

— 退職前のデジタルキューブでの仕事内容と、現在のお仕事について教えてください。

岡本さん (以降敬称略) : 入社してからしばらくは AWS 上で稼働する WordPress の保守作業を手伝いつつ、WordPress のプラグイン開発をしていました。

自社プロダクトである Shifter のローンチ後からは、ダッシュボードや API の保守が中心になり、最後の2−3年はほとんど React でのアプリケーションと AWS Lambda + API Gateway の Serverless アプリの開発と保守に回っていました。

現在は Stripe の Developer Advocate として、開発者向けのコンテンツ発信やユーザーフィードバックの社内共有、コミュニティイベントへの参加などに取り組んでいます。

デジタルキューブは Stripe Partner かつ Stripe ユーザーですので、イベントでのコラボレーションや最近出た関係性の高そうな製品・アップデートの紹介などでやりとりを続けています。

— デジタルキューブに入った経緯について教えてください。

↑左: 岡本さん、右: デジタルキューブ 代表 小賀

岡本: 元々デジタルキューブに入社したきっかけは WordPress コミュニティイベントでの LT* 登壇でした。

そこで発表したのが、Linked data を使って、今でいうインテグレーションみたいなことを WordPress を使ってやるといった内容でした。それが小賀さんの目に留まり、うちでやってみたら? と言われ2015年の夏に入社したのが始まりです。

*LT… ライトニングトークの略。カンファレンス等のイベントで、1人5分ほどの短時間で登壇すること。

小賀: 「単純にウェブサイトを作るのではなくて、API を使って連携したデータをサイトに表示するようなことをやってみたいんだよね? じゃあ、うちでやってみようよ」と誘ったんだよね。

岡本: 会った当日、イベント後の懇親会で小賀さんに突然「お前、明日からうちに来いよ!」って言われましたね。

小賀: そうそう。「明日は無理です!」「なんでや!」「明日は土曜日だからです!」「あ、そうか!」なんて会話して。(笑)

岡本: (笑) でも、嬉しかったですね。当時は趣味で WordPress を触っているだけで、WordCamp も趣味の一環で参加して、デジタルキューブやその他の会社さんがやっていることがかっこいいなと思って追いかけていたんです。そこで自分でも色々試したり、思い切って LT に登壇したら誘ってもらえて。正直、ヨシ!って感じでした。

<当時の登壇スライド>

岡本: とはいえその分野での実務経験はなかったのと、データ取得元になるのが AWS だということで「まずは AWS の中でもガチインフラの EC2 や RDS を使えるようになろう。それに加えて、AWS の中では当時モダンな領域だった、ダッシュボードに使うようなフロントエンドに近い分野をやっていこう」ということでアシスタントインフラエンジニアとして入社しました。

— デジタルキューブでの仕事にやりがいは感じていましたか?

岡本: はい。新しいことにどんどん挑戦していけることが楽しく感じていました。ただ当時は楽しいというか、ただただ怒涛の日々という感覚だったかもしれません。

まず、入社前になぜかパスポートを取りに行かされるところから始まりました。

入社直後はインフラ部門のマネージャーがいる新潟県長岡市で2週間の強化合宿を受けました。「AWS 認定資格を一つも取ってこなかったら帰ってくるな」というお達しを受けたので、必死に勉強して…結果、ソリューションアーキテクト (アソシエイト) は不合格、ディベロッパーに合格しました。先輩に「お前、普通は逆やろ!」と突っ込まれたのを覚えています。

その後は、入社して半年経たずに2015年冬に WordCamp US へ行きました。

当時は、自社プロダクトである Amimoto にマネージドのプランがなく Amazon Market Place に出していたものしかなくて、もちろん Shifter もない、今より自社プロダクトが充実していない状況でした。

WordCamp US で出したブースでは、ノベルティである3Dグラスだけむちゃくちゃ人気なのに、現地の人には「で、君らは何を展示しているの?」と言われる始末で、全然成果が出ませんでした。

小賀: でも、Matt*の登壇で手を挙げてブロークンイングリッシュでも質問していたのはすごかったよね。こいつ根性あるなと思った。

岡本: せっかく行ったんで、何か爪痕を残さなきゃと。(苦笑)

*Matt Mullenweg… WordPress創始者

— 当時の写真を見ると、“熱気”を感じます。

岡本: 自分だけではなく、渡航したメンバー全員で、成果が出なくてもとことんやりきっていました。

↑2015年、WordCampUS 出展風景。人の波がすごい!

岡本: Shifter の開発からローンチも怒涛でした。

小賀: Amimoto 以外で何か出せるものがないかと話し合って、そうか、サーバという概念をなくしてしまえばいいのか、というところから始まって、Shifter を作ろうとなったのが2016年6月の WordCampEU だね。

岡本: そこから半年で Shifter をローンチをしましたよね。「半年後、2016年12月6日の WordCampUS がリベンジの舞台だ、絶対サービスローンチする」って小賀さんが旗を立てて。

2016年7月に東京の高輪プリンスホテルで AWS サミットがあったんですけど、打ち合わせする場所を探す時間すら惜しくて、床に座って打ち合わせしたくらい。

で、まあ開発が終わるわけもなく。WordCampUS の前週が AWS の Re: Invent だったんですけど、日中はイベント参加、夜はとにかく開発開発で…

岡本: スケジュール的に難しいのはわかっていても、当時 US でジョインしてくれたメンバーたちが WordCampUS で Shifter をメインに仕立てたブースを準備しているものだから、何がなんでも仕上げないといけなかったんですよね。だからイベント前の1週間はほぼ寝ずの状態で、WordCampUS 開催当日の会場に向かっている途中にギリギリでローンチするという激動のタイムスケジュールでした。

↑Shifter 開発 & ブランディング設計の打ち合わせ風景

↑ローンチしたての Shifter のトップページとデジタルキューブのブース

— 小賀さんとしては、あえて怒涛の時間軸に岡本さんを放り込んだ感じなんでしょうか? それともたまたま会社としてそういう時期だった?

小賀: 当時僕も世界に出ていきたかったのもあったから、どっちもかな。

始まりが「明日からうちに来い」というむちゃくちゃな時間軸で、ひでくんも当時25くらいで若かった。やる気もあるし好奇心旺盛だし「返事は『はい』か『Yes』か『喜んで』だ」っていうと必ず「はい!」って即答する奴で。そのめちゃくちゃ素直でかつチャレンジングな精神を評価していたから、機会を与えたいと思っていた。

というのも、モダンな領域をやってもらうひでくんには特に、WordPress と AWS 両方のグローバルな規模感を体感してもらった上で開発者になってほしかった。

机の上で教科書を開いてっていうのではなくて、世界を体感した方がボーダレスに開発できるだろうし、それに耐えられる奴だと感じていた。だからまずはできるだけ短い時間で世界観を知る経験をしてほしかったんだよね。

岡本: US の後の WordCamp シンガポールで小賀さんに「公募セッションに受かったら経費でシンガポールに連れてってやる、もちろんプレゼンは英語だ」って言われて応募して、運良く登壇に至ったのは記憶に残るチャレンジでした。

小賀: 今だから言うけど、選考に通る案をピックアップして、選定者のジョンに根回ししておいたんだよ。(笑) 会社としても、WordPress と AWS 両方のモダンな領域を若いエンジニアに喋ってもらうことが会社のブランディングにつながると思っていたから、どんどん出ていってほしかった。

岡本: うわぁ…全然知りませんでした…いや、ありがとうございます。

↑海外 WordCamp での登壇風景

「小さい失敗経験を積んで、大きな機会を逃しにくい」環境だった

— デジタルキューブで特にきつかったことや、その中で学んだことはありますか?

岡本: お伝えしたような状況だったので、ずっとキャパを超えていた記憶しかないです。(笑)

技術の話でいうと、新しくリリースされた AWS のプロダクトや注目されているフレームワークなどの評価や導入の希望が出しやすく、とはいえ既存の環境を壊すリスクなどがないかの相談もしやすかったので「小さい失敗経験を積んで、大きな機会を逃しにくい」環境だったと思います。

コードの修正 (デバッグ) の仕方も先輩に叩き込まれましたね。ログを見て原因仮説を立ててから修正を試みろ、とにかく手順を踏んできちんとやれ、と。

技術領域に加えて、タスク管理やプロジェクトマネジメントも学びました。

挑戦しすぎた結果、担当プロジェクトの数やタスクの数がキャパシティを超えてしまうことは割とあって。どう考えても全部はできなかったんですよね。

だからこそ「自分のキャパシティを把握する」「なんらかの理由で担当できない場合ははっきり伝える」「相手の要望をMVP* に絞るか代替案を出す」などのスキルが鍛えられたように感じます。ゴールポスト (期日) が動かせないならゴール条件を変えられないか、またはその逆はありかなしかと確認してみたり、周りの様子を見ながらやらなくていい空気を作るようにしたり。

*MVP… Minimum Viable Product。顧客に価値提供できる必要最小限のプロダクト

加えて「お客さんはどう使うんだろう」とゴールから考えて、それを元に考えるようになりましたし、時間がないからこそ迷ったらすぐに周りの人に相談するという癖づけもできたと思います。

タスク管理は当時から Backlog を使っていたので、タスク管理やチケットの切り方は徹底的に教わりました。1〜2週間くらいの範囲で優先度を考慮しながらタスクの期限を切り直して、パンクしたらまた切り直して…といった感じです。

小賀: 時間は平等だし買えない。期限は絶対守れっていうのはずっと言ってたね。

岡本: 時間で区切れ、パスを回せ、段階的に並列処理しろ、20%の時間は自分の投資に使え、8時間全部を作業で埋めるな…。とにかく叩き込まれましたね。

あとは登壇です。デジタルキューブはアウトプット奨励文化で、スライド数は在籍していた5年間でおよそ100本。会社アカウントにアップしたものと、小賀さんの代わりに作ったスライドも合わせると、登壇資料の作成数は5年で120本ほどはあります。

我ながら、駆け抜けた濃い5年だったなと思います。

岡本さんの登壇スライド一覧

https://speakerdeck.com/hideokamoto

転職活動から、デジタルキューブ退職へ

— 転職活動を始めたきっかけについて教えてください。

岡本: そもそも、転職したくて転職活動を始めたわけではありませんでした。

デジタルキューブに入る前からになりますが、自分のスキルレベルを客観視するためにも、OSS やコミュニティ活動を個人的にも仕事としても続けていました。

その流れもあって、辞める気はないものの「もし辞めても他で通用するスキルを身につけよう」という意識は常に持っていました。入社1年半から2年目くらいからは、定期的に他社の求人状況を見ては「これならデジタルキューブのままでいいか」という棚卸しをするようにしていました。

そうこうしているうちにコロナ禍になり、OSS やコミュニティ活動を通じて交流のあった Stripe でリモートワーク採用が始まったことを知ったのが転職活動のきっかけです。

— 転職活動から内定まではどんな流れで進みましたか?

岡本: 書類選考と、面接が数回ありました。応募した職種の関係上、英語の面談もあったので大変でした。

ただ、OSS やコミュニティ活動などで「何ができるか」「何をしてきたか」が見える状態にはじめからなっていたのはかなり助けになったと思っています。

— 転職活動の選考時に気を付けていたことがあれば教えてください。

岡本: まず「Stripe としてはこういう人材がきたら嬉しいはず」という想定ゴールを設定し、相手から見て「入社したらどういう動き方や働き方、貢献をしてくれそうか」がイメージできるように、事前にレジュメや資料を用意しました。

また、提出前や面接前に知人にレビューを依頼するなど、自分の物差しだけにならないように気をつけました。

小賀: 確か最初はサポートエンジニアで行こうとしていて、おそらくサポートエンジニアとしてはちょっと厳しいけど、マーケ領域としては良い人材だということで、ひでくん用にポジションを作ってもらったんだったよね。

— デジタルキューブに退職を申し出た時のことを教えてください。

岡本: 辞めることを報告した際、一言目が「行ってこい」だったのは印象に残っています。

小賀: なんかさ、いつも来ないくせに突然オフィスに来たよね。

↑「ひでくんがオフィスに来た時点で何となく察しはついていた」という小賀

岡本: 一度空振りしたんですよね…誰もいない日にオフィスに行っちゃいましたね。2回目は小賀さんがいるか確かめてから出社しました。

小賀: 「小賀さん。今日、いますか」って改まって事務所に来てさ。1日無言で働いて夜になって、もうそろそろ帰らんとやばいよ、今日様子が違うけどなんなん、なんかあるんだろ、…早よ言え!って言ったらやっと切り出したよね。

岡本: 今思うと、告白する前の男子高校生みたいでしたね…。僕、かなりしどろもどろでしたけど「つまりどういうこと? Stripeに行くのか?」「決まったんで行こうと思います。」「お、よかったやん行ってこい、うちの会社からユニコーン企業なんて最高じゃないか。」って。今でも覚えています。本当にありがたかったです。

そこからは急な引き継ぎなどでいろんな方に迷惑をかけたでしょうけど、ポジティブに送り出してもらえたことで、今も交流が続けられているのかなと思います。

↑話している時の2人の笑顔がぜんぶ最高でした

— 離れてみて感じる、デジタルキューブの良さや、逆に改善点があれば教えてください。

岡本: 退職後に体制がかなり変わった気はしますが、OSS やコミュニティ活動に業務時間で携わることにポジティブな会社は、やはり希少だなと感じました。DevRel / マーケなどの職種以外の人間が動ける会社となると、まだまだ限られている気はします。コミュニティの感覚はデジタルキューブで培われたし、自分で機会を作っていくきっかけももらえたのですごく感謝しています。

改善点で言うと「リリースした機能はどれくらい利用されているか」や「どのステップで迷うユーザーがいるか」などの測定や分析に手が回っていなかったことが心残りですね。そのあたりまで手を回せるようになって仕組みまで作れると、より伸びるのではと思ってます。

現在のお仕事と今後の目標について

— 今の仕事でやりがいや面白さを感じるポイントを教えてください。

岡本: 日本・APAC でひとりなので、チームの計画をどうローカライズするかや日本の状況をどうチームに共有するかなどのプランニング・測定方面のタスクに追われています。

プログラマーとして伸ばしたスキルを活かして、自動化を企んだり製品知識のインプットを効率化したりしつつ、考える時間を増やすようにしています。

— これからどんなキャリアを歩んでいきたいですか?

岡本: 「できることからやって、並行して色々小さい失敗を積み上げる」でやってきたので、長期のプランはあまり考えていなかったりします。

が、どこでどう働くにせよ「製品の機能」より「どんな問題を解決してくれるのか?」を自社製品に限られない形で考えたり提案できたりする存在になりたいと思っています。

— ありがとうございました!

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