※本記事はPodcastで配信している内容を、文字に起こし、まとめたものです。
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■プロフィール
ゼロスペック株式会社 代表取締役社長 多田満朗
2005年、米 Red Rocks Community College卒業。 日本に帰国後、新卒でニトリGに入社し、営業・海外開発PJT・EC内製化PJTなどをリード。 部長職を経て2015年に退職し、ゼロスペックを設立。 IoTセンシングデバイスとSaaSの掛け合わせサービスである「GoNOW」を開発。 「人々に「データ」から未来に新たな価値を提供する」ことを目標に事業に向き合う。
目次
- 学生時代は「気が強い」子供だった
- 「楽した方向に行くと、必ず失敗する」
- 挫折、そしてアメリカへ
- 起業家として影響を受けた3人
学生時代は「気が強い」子供だった
ーー幼少期や少年時代、「どんな人」と言われることが多かったですか?
両親ともにかなり気の強い両親でした。
男3兄弟の末っ子だったので、自由な部分がありながらも、
上の兄弟との戦いがありながらみたいなところを繰り返していました。
そのような環境だったので、
気が強かったりとか、我が強かったという一面はあるのかなと思ってます。
家の外では、スポーツばかりやってた子供でしたね。
サッカーを小学校から高校までずっとやっていたので、
周りから言われたのは「負けず嫌い」ですね。
確かに、同じチーム内での競いあいを楽しめた部分は多かったので、
そういう性格だったんじゃないかな。
あとはありがたいことに、
小学校と高校の時にキャプテンをやっていて、
そこで色々な経験をさせていただいたっていうのは、
もしかしたら今の経営スタイルとかこの事業を立ち上げるのに生きてる部分は多いんじゃないかな、
という風に思ってます。
ーー高校のサッカー部時代の話をもう少し教えて下さい
高校は北海道・札幌です。
北海道では強豪の学校だったので、体育会系の中で色々と養えた部分は多いですよね。
先回りしなきゃいけないとか、上下との関係とか、
そういったところすごいやっぱり厳しい時代ではあったので。
そういったところはすごく、いい意味で生きてる部分はあるかなと思いますね。
「楽した方向に行くと、必ず失敗する」
ーー高校卒業後はアメリカに渡るのですよね?
アメリカに行く話の前に、1個を付け加える部分があって。
なんとなくだけど、自分の小中高の人生の中で色んな経験を振りかえっていくと、
「楽した方向に行くと、必ず失敗する」ということを感じていました。
世の中には、世渡り上手な人とかもいるじゃないですか。
その中で行くと、自分は比較的器用じゃないってことなのかもしれませんが、
嫌な道とか、困難な道から逃げるといいことがなかったのが、小学校、中学校、高校あってですね。
もう少し具体的に言うと、
当然、キャプテンって真面目にやらなきゃいけないかったりする部分が多いので、
本来「もうちょっと遊びたい」とか、「ふざけてやりたい部分」とかもできなかったりとか、
ちょっと手を抜いてよさそうなところも抜けなかったりとか、
当然、ちょっと手を抜いたところを監督に見られて怒られるとか…。
そういういろんな経験の中で、
やっぱり、自分の中で色んな選択肢があった時に
「多分僕みたいなタイプは楽な道を選んじゃダメだな」っていうのは、
いつの頃からか、こう完全に根付いてましたね。
挫折、そしてアメリカへ
…実は高校時代、当然ながら、最後の選手権大会を目指してやるんですけど、
僕が3年生の時に、監督と3年生が揉めて、3年生が一気に辞めちゃったんですよ。
色々3年間の蓄積とかがあって、色々と納得いかないラインが選手側にもあって…。
本来でいうと、3年間の集大成が、そこを目指してやってたのが、
そこをチャレンジせずに途中でやめてしまったという。
やっぱり後悔と挫折がすごいあってですね。
サッカーで色々頑張っていきたい部分もあったので、
次に進むべき道っていうのが見つけられなかったことがやっぱあってですね。
そこで、たまたま自分の母親の知人がアメリカにいるということを知って。
迷ってた僕を見てなんですかね。「1度そういうとこに行ってみたら」っていう声をかけてもらって、
そのチャンスをいただいてアメリカに行くっていう決断をさせてもらいました。
ーー「楽した方向に行くと、必ず失敗する」という考えがあったという部分は
今の多田さんの見てても、納得です。逆に言うと、「もっとあの自分の仕事剥がしてくれ」とは個人的には思ったりします。
そうですよね。
不器用な部分の悪い側面が出ちゃっているのかなと反省もしています。
この話、今しちゃっていいかわかんないけど
今回、松田さんが私たちのチームにJOINしてくれたことで、
かなり会社にとっては新たな血が入ってみたいな感じで、
すごい活性化してる感は見えてきてると感じています。
そういった意味も含めて、ここ何年間の中でも、
角度が上がってみんなの行動が大きく変わってる時期という意味でいくと
「今、いい時期だな」っていうのは感じます。
事業の面で言っても、どんどんチームのメンバーに
チャレンジする場を作っていけそうなところが出てきてるとも思いますし、
「変わってきてる」というのは会社の空気感としてありますね。
こういうベンチャーの楽しみの1つって、
新しい血と言うか、自分たちとは違う経験の人が入ってきた時に、
化学反応が起こると言う部分ですよね。
今なんてとってもみんな刺激的になってるんじゃないかな。
ーー誘導してしまったみたいで、なんか恐縮です💦…話を戻させてもらって、高校での挫折があって、いろんな想いを抱えてアメリカに行かれた、と。
あんまり元々勉強できた子じゃないので、
簡単に言うと、1発目の入国の段階から大変でした。
税関の人と全く言葉が通じず、そこで多分2時間ぐらい足止めくらったんじゃないかな。
実は、アメリカでまた違う目標が1個できちゃって。
スノーボードに結構のめり込んで、プロになりたいという想いが芽生えて、
学校通いながら、スノーボードを頑張っていたっていう時期もありますね。
プロにはなれなかったんですけどね。
あとは、まだあんまり社内メンバー全員にも話してない話になるんですけど、
ちょっと帰国に至るまでにも色々な話がありまして。
アメリカにいた間、両親からの仕送りあった時もあったんですけど、
学費のために自分で稼ぎ始めた時期もあって、
インターネットの先駆けみたいな形がちょうど僕がアメリカに行った時にあって。
web広告みたいなところのビジネスを個人事業みたいな形でやって、
サイトを作ってそこに広告を載せるみたいなことをやってたんですよ。
それを日々やりながら毎月入ってくる収入から学費や生活費を捻出したりと。
他にも、日本食やの皿洗いでメキシコ人と働いたりとか、他にもいろんなとこで働いたりとか、
アメリカにいる間はいろんなことを経験させてもらっていました。
起業家として影響を受けた3人
そして、ここからちょっと起業の話になるんですけど、
実は、元々独立願望が元々すごいあって。
僕の中である3人の影響がすごくあったんです。
まず、僕の父親。
父親は自分で会社をやっていて、
色々なタイミングで、自身の会社の立ち上げの苦労とかを、
そんなに多くではないけれど、聞かされたれていたことが、心の隅に残っていてですね。
父親からは、創業社長とサラリーマン社長の違いみたいなよく言われてて、
過酷さが天と地ぐらい違うみたいなことを言われててですね。
自分の中で起業ところが1つ芽生えてきたというところがあって。
また、サイバーエージェントの藤田社長の本
「ジャパニーズドリーム」っていう本があってですね。
それをアメリカに行った時に読んだことがあって。
「アメリカンドリーム」じゃなくて「ジャパニーズドリーム」っていうところにも
すごい刺激もあったし、考え方にも影響を受けていました。
そして、私が前職にいたニトリの似鳥会長にも影響を受けています。
自分が独立するにあたって
この3人からの影響は非常に大きいな、という風に思ってますね。
※こちらのインタビューの続きは「こちら」。
いかがでしたでしょうか?
個人的に、「創業者の人生の歩みや価値観」は
スタートアップの文化や成長に強く影響する要素だと考えております。
ありがたいことに、ゼロスペック社員や応募者の多くが
「多田の人柄」に惹かれているとという状況があります。
この記事を通して、一人でも多く
代表多田の価値観に共鳴する方が生まれれば嬉しいなと感じております。
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